人道支援は肥料と建材
ニナンの執務室で、壮大な「人道的介入」のリストが着々と作成されていく。
「焼け出された人々には、まず当面の生活基盤が必要だ。食料に医療品、そして……復興のための建築資材に、土地を豊かにする肥料を大量に送ろう」
ニナンがさらりと告げると、ワスカルは全く表情を変えず、正確にそれを「帝国公式支援物資リスト」へと書き換えていく。
「かしこまりました。……食料、医薬品、そして大規模な給排水設備を整えるための鉄管、それに農地改良のための最高級のグアノでよろしいですかな?」
「ああ、それだ。完璧だ」
グアノとは鳥の糞が石化した物でインカでは古くから肥料として活用されていた。現ペルーのピスコ沖合のチンチャ島では大量のグアノがとれるのだ。だが……
隣でそのやり取りを聞いていたピサロは苦笑した。
(……鉄管? 規格品の鉄管ってことは、加工すればそのまま大砲の砲身ですな。 グアノだって、成分を抽出すれば火薬の材料の硝石の塊……。これは、食料支援など名目の、完全な軍事独立支援パッケージ)
ピサロが面白そうに口を挟む。
「その『建築資材』の鉄管ですが、かなり頑丈な鋼鉄製だと伺っております。それを大量に……送るのですか?」
ニナンは、とぼけた顔でピサロを振り返った。
「ピサロ、何を心配している? 焼け出された人たちが、倒壊した家を再建するために必要なのは、薄っぺらな木の板じゃない。強固で、錆びにくく、長持ちする鋼鉄の支柱だ。水道を通せば衛生状態も劇的に良くなるだろう?」
「確かにそうですが……」
ワスカルが追い打ちをかけるように、冷静な口調で補足する。
「加えてグアノについても、我が帝国の最新技術を用いれば、土壌の微生物を活性化させ、作物の収穫量を通常の三倍以上に引き上げることが可能です。……スペイン統治下の飢えた民衆に、タワンティンスユの豊かな実りをもたらす。これこそが、我が帝国の誇る人道主義です」
(……火薬の原料を『収穫量が増える』とすり替えて語るなど、どこまで計算高いことか……)
ピサロは、目の前の二人の「慈悲深い支配者」たちが、実はメキシコをスペインから切り離すための「兵器供給ライン」を、白昼堂々、公然と開通させようとしていることを悟った。
ニナンは満足げに地図を眺める。
「支援物資が到着すれば、メキシコの反乱軍は、腹を満たし、病を治し、そして手元には強固な『配管』と『肥料』が残る。……スペイン総督府がこれを『これは武器の材料だ!』と批判しようものなら、世界中から『飢えた民衆を助けるインカの善意を阻害する非道な帝国』と罵られるだろうよ」
「……完璧なトラップですな」とワスカル。
「……なんとも恐ろしい」とピサロ。
「よし、ピサロ商会。お前たちの船団で、これらの『人道支援物資』を最優先でアカプルコへ届けろ。当然、積み荷の管理は我が帝国軍が厳重に行う。……さあ、北部大陸世界を豊かにするぞ」
ピサロは意味ありげに笑い「御意」と答えるのだった。
数日後、メキシコの反乱軍の手に渡ることになるのは、インカの文明の光という名の「独立戦争用パッケージ」。スペインが築いたパックス・ヒスパニカは、インカの慈悲深い「支援」によって、静かに、そして物理的に内側から爆破されようとしていた。
「ぶはははは!」
ニナンは思わず膝を叩いて爆笑した。執務室に響くその高笑いは、冷徹な帝国の中心地にあるまじき、あまりに軽快なものだった。
「ワスカル、今の報告、聞いたか? メシカの豪族が自治を乱立させ、スペインの総督府がそれらに顔色を伺って傀儡化しているだと? 史実とは完全に逆じゃないか!」
かつて、コルテスはメシカ帝国の各地の豪族の対立を煽り、内紛を誘発して支配を固めた。スペインが圧倒的な武力と政治工作で、現地勢力を分断し統治していたはずだ。それが今や、インカが持ち込んだ経済支援と技術力(という名の武器供給)によって、立場が完全に逆転している。
ワスカルは眼鏡の位置を直し、淡々とした口調で報告を続けた。
「ええ、まさにその通りです。スペインのグスマン総督は、今やメキシコの豪族たちの頭越しに命令を下すことすらできません。豪族たちは『インカの鉄管(=砲身素材)』と『インカの肥料(=火薬原料)』の供給権を握る者と手を結び、独自の自治権を主張し始めました。総督府の決定は、彼らの合意が得られない限り、書類一枚進みません」
ニナンは楽しそうに地図を指でなぞった。
「スペインが植民地を支配するために使っていた『対立させ分割して統治せよ』という手法を、逆に我々が『団結させてスペインから主権奪取せよ』という形に書き換えてやったわけだ。……今の総督府は、スペインの威信を守るための『張りぼての看板』に過ぎないな」
ワスカルは小さく頷いた。
「はい。現在、ヌエバ・エスパーニャはスペイン本国の王室に対して『インカの脅威に対抗するために増援を!』と必死に訴えておりますが、現地でその増援部隊を待ち受けているのは、インカの技術で武装した、もはや独立国家同然のメシカ豪族連合です」
ニナンは窓から空を見上げ、空を征くための夢を見ていたときのような、どこか楽しげな笑みを浮かべた。
「面白い。彼らはスペインという看板を使いながら、実質的にはタワンティンスユの経済圏の構成員として動いている。……スペイン国王が泣いて怒る姿が目に浮かぶよ。植民地として投資したはずが、いつの間にか『インカを豊かにするための出張所』に成り下がっていたんだからな」
「陛下、これはもはや『征服』とは呼べませんな」ワスカルが静かに付け加えた。「……スペインという国が、インカの壮大な市場の一部として『消化』されていく過程です」
ニナンは満足げにうなずいた。
「ああ。スペイン人は自分たちが植民地の支配者だと思っているうちに、気づけばインカに経済的にぶら下がるしかなくなっている。……史実の絶望を、最高の喜劇に変えてやる。さて、次のアジェンダは何だ? このままヌエバ・エスパーニャを『経済的保護領』として正式にリスト化するか?」
ワスカルは書類を差し出し、冷徹な微笑を浮かべた。
「ええ。ちょうど、スペイン王室からも『交易の再調整』を求める親書が届いております。……これを使って、パナマ以北の全権益を公式に我々の管理下に置く交渉を始めましょう」
タワンティンスユの支配は、武力行使を最小限に抑えつつ、世界を完全に掌握しようとしていた。スペインが作り上げた帝国という名の迷宮は、今やインカという巨大な経済的重力に引き寄せられ、その中心へ向かって崩壊を続けている。




