新世界帝国インカ 勃つ
タワンティンスユの皇太子はスクスクと育つ
ニナンの息子であり、帝国の未来を背負う皇子「アティク・アマル(勝利の聖蛇)」かつてのインカの神話と、最新の技術力で大陸を席巻する帝国の勢いをそのまま体現したような響きに、ニナン・クヨチの実妹であり正妃であるクシリマイは、母性的な微笑を浮かべて頷き、元気に宮殿の中庭で楽しそうに焼玉ゴーカートを走らせる皇子を眺める
「……勝利の聖蛇、本当に良い名ですわ。お兄様が描く、この大陸の新たなる歴史にふさわしい響き……彼ならきっと、大地と海と…空をも支配する帝国を継承するでしょう」
さらにタワンティンスユの王宮では、新たな命が誕生していた
しかし、その穏やかな空気は、ソチケツァルの命名によって一瞬で凍りついた。
「陛下、皇子の名を『クアウテモック2世』としたい。お許し願えるか?」。
「クアウテモック2世……!そう来たか……!!」ニナンの顔色が変わる
「コルテスにメシカ(アステカ)帝国を奪われ、雄々しく抵抗するも滅ぼされた最後の皇帝が『クアウテモック』だったな。 この子にその名を付けるということ。その意味は分かっているな?」
それは「かつてスペイン人に奪われたものを、インカの力でを借り再び手中に収め、正統な後継者として君臨させる」という、政治的かつ軍事的な強烈なメッセージだった。
ソチケツァルは真剣な顔でニナンを見つめ言う。
「スペイン人が滅ぼさんとしたメシカ王家の血。それを、我がタワンティンスユが保護し、洗練させ、教育を施して育てる。それを歴史の『正当な継承』と呼ぶのだ。メシカの民だって、クアウテモックの名を持つ者が我々の蒸気艦隊と共に戻ってきたら、喜んで迎えひれ伏すだろう。」
インカの教育と技術で育った「クアウテモック2世」が、将来、インカの機動部隊を率いてテノテトチラン(メキシコシティ)を「奪還」しに現れる未来。それはスペインにとって、悪夢以外の何物でもない。
ニナンは深く息をすると生まれたばかりの皇子を抱き上げ、言う。
「やるか……。良し!この子はクアウテモック2世。インカの血を引く皇子にしてメシカとインカを結ぶ存在となる!」
「陛下!!」ソチケツァルの目に涙が光る
「アティク・アマル、お前が大人になる頃には、この新大陸の地図には『インカの保護領』しか残っていないかもしれないな。……さて、クアウテモック2世には、いずれ『スペイン人の嘘のつき方』と『砲術』を徹底的に叩き込んでおくか。保護領化…いや復権の準備は、生まれたその瞬間から始まっているんだよ」
タワンティンスユのゆりかごの中で、歴史が静かに、そして着実に塗り替えられていく。スペイン人が築いた植民地帝国という砂上の楼閣は、インカの皇子たちの成長と共に、音を立てて崩れようとしていた。
その男、ヌーニョ・デ・グスマン。
ヌエバ・エスパーニャ総督。史実では、16世紀のメキシコで都市グアダラハラなどを創設したコンキスタドール(征服者)である。
征服者コルテスのライバルとして頭角を現したが、その実態は「新大陸でで最も過酷で残忍な圧政者」であった。
先住民の大規模な虐殺やブラックを超えたジェノサイド強制労働を繰り返し、司教から破門されるほどの暴政を敷いて恐れられた。
最後は本国スペインへ送還されて失脚し、落ちぶれたまま生涯を閉じたとされる。
さて、そんなヌーニョ・デ・グスマンであるが今、この世界線の彼の裏返った怒鳴り声がエバ・エスパーニャ総督府に響き渡っていた。
「馬鹿者! クアウテモック2世に祝いを送るなど許されるか! それを送ることは、タワンティンスユ王族によるメシカ帝国の正統性継承を我々が追認するに等しいのだぞ!」彼はタワンティンスユの通貨支配と牛痘供与に寄り、明らかに支配力に陰りを見せ始めており、その焦りに支配されていた。
その頃総督府より少し離れた行政官の屋敷にて、スペイン貴婦人の服装をしたメシカ人美熟女が言う。彼女こそは最後のメシカ皇帝クアウテモックの元妻であり、コルテス襲来と共に死亡した皇帝モクテスマ2世の娘テクイチポツィン(スペイン洗礼名、イサベル・モクテスマ)である。
「……フアン、あの子(クアウテモック2世)は、滅びに瀕しながらも生き延びた我がメシカの血と、旧大陸の野蛮人を粉砕したタワンティンスユの英知が交わった『希望の光』なのです。お祝いを送らぬ理由がどこにありましょう」
「め、滅想もないぞ、イサベル!!頼むからやめてくれ!! ヌーニョ・デ・グスマン総督閣下から『インカに内通した者は即座に絞首刑だ』と厳命されているんだよ! 我が家が、屋敷が総督軍に焦土にされる!!」
必死にそれを制止したのは、テクイチポツィンの現在夫であり、行政官でもあるドン・フアン・デ・サアベドラだった。彼は胃薬を常飲しつつ、妻をなだめ、書簡を隠し、執務室の鍵をかけた。しかし、かつてのメシカの王女テクイチポツィンの意志は、スペインの統治機構よりも強靭だった。
◇
一か月後。
タワンティンスユ帝国のリマ、ニナンの執務室に、ピサロ商会の連絡船が到着した。
「……陛下。テクイチポツィン様より、極秘ルートにて、黒曜石の短剣と黄金の記念品をお持ちいたしました」
ニナンは送られてきた品を手に取り、苦笑した。
「……非公式だな。……あちら側の総督と夫の胃に穴が開きそうな努力が見えるよ」
その様子を横で見ていたワスカルが、冷徹なまでの眼鏡の反射を伴いながら、静かに一歩前に出た。
「……面白い。では、返礼を送りましょう。それも、『ガチ公式』で」
ニナンは驚いてワスカルを見た。
「……ガチ公式だと? それをすると、パナマのスペイン総督府どころか、大西洋の向こうのスペイン王室までを怒らせることになるぞ。外交的な宣戦布告に近い」
「かもしれません。ですが陛下、我々には既にパナマを経済的に掌握し、西インド諸島への物流網を支配する実力がある。」
「……全ヨーロッパを敵に回して、やり合えるか?最悪そうなるぞ?」
そこにアタワルパが言葉をつなぐ
「全ヨーロッパ?風を頼りに大西洋をえっちらおっちら来る奴らの帆船が、偵察飛行船で100㎞先を見通し、蒸気船と焼玉船で自在に海を駆け、炸裂弾を数キロ先から命中させるタワンティンスユ海軍相手に何が出来ると?それにカムカムを禁輸にしてやれば船員の3人に1人は壊血病でお陀仏ですぞ?今のタワンティンスユ全軍が本気を出せば新スペインどころかパナマ、カリブ全域を1か月も掛からず軍事制圧してもおつりが来ます!」
ワスカルは、返礼のリストを書き連ねた羊皮紙をニナンの前に置いた。
「そろそろ『保護』という言葉の定義を、旧世界に対して修正すべき時でしょう。クアウテモック2世への贈答の返礼、そして、テクイチポツィン殿下への敬意を表した、インカ帝国使節団の派遣。……護衛には、リマから最新鋭の装甲蒸気船を3隻同行させます。あえて、堂々と」
ニナンは、そのあまりの「真っ直ぐな挑発」に、思わず笑いを堪えた。
「おいおいワスカル、お前もずいぶん悪乗りするようになったな。……いいだろう。その使節団の旗には、帝国の太陽紋章と、クアウテモック家の家紋を並べて刺繍させろ。スペイン人がメキシコシティで見たら腰を抜かすような、豪華絢爛なやつだ」
「御意。……これで、メキシコの民意は完全に我々の掌の上です。サアベドラの苦労は無駄になり、グスマン総督は泣き怒ることになるでしょうな」
「……非公式な贈り物に、国家規模の公式な返礼か。……まあいい、これも歴史の『錬金術』だ。」
クスコから発信された「公式な返礼」は、タワンティンスユがもはや「未知の文明」ではなく、新世界を統べる「随一の超大国」として振る舞うことの宣言であった。パナマの総督府、そしてメキシコの総督府へ、インカの使節団を乗せた黒煙を吐く巨船が向かっているという報せを聞いたとき、グスマン総督は、おそら怒りと絶望で失神寸前になることになるだろう。




