鉄の台車の姦計
パナマ総督府の重厚な執務室。かつて食い詰め物の略奪者だった雰囲気は過去となり今のフランシスコ・ピサロはヴェネチアの大商人をもしのぐ富豪オーラを漂わせている。そんな彼はパナマ総督に向い平然ととんでもない提案を投げかけていた。
パナマ地峡の蒸し暑い空気の中、総督は目の前の地図と、ピサロが提示した「鉄の台車専用道」の計画書を交互に見て、困惑を隠せない。
「ピサロ、正気か? パナマ横断道の道に、わざわざ鉄の台車を通す鉄のレールの道だと? 費用はどうするのだ」
ピサロは、ニナンから授けられた「絶対生存・利益最大化」の教えを胸に、淀みなく言い放つ。
「総督、費用は全て我が『ピサロ商会』、すなわちインカの銀で賄います。建設に際しては大勢のインカ人夫を使いますが、彼らは町での買い物に積極的です。パナマの町に莫大な銀を落とさせることを約束しましょう」
総督の目がわずかに動く。「ほう、貨幣の流出ではなく、逆か……」
「さらに一つだけ条件を」ピサロは表情を変えずに続ける。「インカの人夫たちは、台車の中で『火を焚く』習慣があります。煙が出ることは許可していただきたい……総督。これはパナマにとって千載一遇のチャンスですぞ。インカの出資で道を作り、インカの労働力が町を潤す。パナマはただ許可するだけで、インカの富が通過する『黄金の関所』となるの訳で」
ワスカル弁舌を思い出しながら、ピサロは畳みかける。
「む……それは魅力的な話だ。だが、その『火を焚く台車』……煙突から何が噴き出すのだ? 怪しいものではあるまいな?」
「総督、ご安心を。単なる湯気(蒸気)と煙……そして少しばかりの『焼玉』の香ばしいオイルの匂いです。慣れればどうということはありません」
ニナンの指示通り、ピサロは「エンジン」という言葉を隠し、「習慣」という名のインフラへとすり替えていく。
「……良いだろう。その条件で許可する。ただし、町の治安維持と火災対策の費用はピサロ商会持ちだぞ」
「承知いたしました。……パナマに、黄金と銀の雨を降らせましょう」
クスコ・帝国中央宮廷
ニナンはキープを通じて、パナマでの交渉が成立したことを確認し、満足げに頷いた。
「(これで、パナマ地峡は事実上のインカの経済圏。鉄道の基礎となる『鉄の台車道』が完成すれば、物流の速度が桁違いになる。総督府はインカの金に目が眩んで、自分たちの庭に『鉄道のレール』という名の支配権を敷かれたことに気づくまい)」
パナマ地峡のジャングルを切り開く現場。そこに現れたのは、馬も牛も使役されない、異様な光景だった。
鈍い金属音を響かせ、地面を這うように進む「焼玉重機」。その排気筒からは、焼玉エンジン特有の重厚な鼓動と、もくもくと黒い煙が立ち上っている。 パナマ総督は、建設現場の視察に訪れたその足で、呆然と立ち尽くしていた。
「……何故だ。……何故、あの鉄の車は馬も人も引いていないのに、重たい荷を載せて坂を登っているのだ……?」
傍らに立つピサロ商会の現場監督は、顔色一つ変えずに答える。
「総督、あれは『内なる火』が引いているのです。インカではこれを『エンジン』と呼びます。ラマの力(LK)を鋼鉄に宿した結果、あのような動きになるのです」
「エンジン……? いや、あれは悪魔の所業ではないのか……?」
総督が恐る恐る重機の近くに歩み寄ろうとすると、監督役のキスキスが慌てて制止した。
「総督! お近付きにならぬよう! 蒸気と重油の飛沫がかかれば、お召し物が台無しになります! それに、今のアンタ・ラマは絶賛・道路開拓中ですので、大変に気性が荒い!接近は巻き込み事故の元です!」
そして……半年後
パナマ総督府の執務室には、どんよりとした重苦しい空気が漂っていた。窓の外を見れば、かつてのジャングルを切り開いて敷設されたタワンティンスユ国営鉄道の貨物列車が、蒸気を上げながら重厚な鉄の貨車を連ね通り過ぎていく。
「……最早、ここがスペインの植民地なのか、インカの北の出先機関なのか分からん」
総督が頭を抱えて呟くと、ピサロ商会の代表フランシスコ・ピサロは、どこか楽しげに帳簿をめくりながら答えた。
「何を仰います、総督。パナマ地峡は今や、インカの物資が西インド諸島へ流れ込む最重要ホットラインですよ。チンチャやリマ、グアヤキルの港から運ばれてきた銀や、チンチャ諸島のグアノ(硝石材料の鳥糞)あの魔法のような『カムカムの酢蜜漬け』、それにトマトやポテトが、この鉄道のおかげで大西洋へ直通しているんですから」
総督は机を拳で叩いた。
「だから、その『鉄道』とやらの敷設許可は出した覚えがあるが、いつの間に『インカ国営』になったんだ!? 、こっちの主権はどこへ行った!?」
ピサロ商会は、平然とした顔で数字を並べ立てた。
「総督、冷静に。我が商会のデータによれば、この地峡の治安は向上、税収は五倍、失業率に至ってはゼロに等しい。……これだけの成果を出しながら、誰が主権を気にするというのです?」
「……儂が気にしとるんじゃ!!」
総督が悲痛な叫びを上げると、ピサロは悪びれもせず、デスクの上に置かれた分厚い革袋をジャラリと鳴らした。
「それに、市場を見れば一目瞭然でしょう。商店街の流通通貨の七割、いや、もはや八割近くがインカの『太陽銀貨』です。スペイン銀貨よりも純度が高く、為替が安定しているのだから、市井の商人がこちらを好むのは当然の理です」
「……七割……」
総督は力が抜けたように椅子に崩れ落ちた。
軍を動かそうにも、その兵士たちの給与はインカの銀貨で支払われており、発砲する火薬はチリ硝石とチンチャのグアノから作られ、彼らが食事をする食堂も、またインカ製の調理器具を使っている。行政、補給、通貨、そしてインカが持ち込んだ高度な衛生管理技術と医療(キリヤ&パラケルスス由来の薬品)。
パナマ地峡は、軍事的な占領を一切受けることなく、その生活の隅々までがタワンティンスユのシステムに「侵食」されていた。
「もう一度聞く……儂らの主権は? スペイン王室への忠誠は、一体どこにあるんだ?」
ピサロは立ち上がり、窓の外の鉄道を見つめながら、柔らかく微笑んだ。
「総督。主権とは、人々の幸福の総量の上に成り立つ物はありませんか? 少なくとも、今この地峡に住む人々は、かつての飢えと疫病に苦しんでいた時代よりも、今の『インカの保護下』にある繁栄を愛していますよ。……ああ、そうだ。インカの技術局から『地峡の湿地帯に防蚊排水路を作りたい』と連絡が来ています。これを通せば、さらに経済は潤います。……ハンコをいただけますかな?」
総督は、震える手でインカ銀貨の模様が刻印された契約書を見つめた。
ここにはスペインの領土権を主張する文字など一文字も存在せず、ただ「効率的で、豊かで、逆らうことのできない」未来の計画書だけが記されていた。
「……ああ、もう勝手にしろ。……ただ、これ以上、パナマ市民がスペイン語を忘れてケチュア語で会話するようになったら、儂はもう……」
遠くから、インカ国立鉄道の蒸気機関車が快活な汽笛を響かせ、総督の絶望をかき消していく。パナマの空の下、主権という名の国境は、インカの線路によって平和的かつ穏便に消滅しつつあった。




