ep55 ゴールドコーストの黒船
ゴールドコーストの港に停泊したマンク・ユパンキの艦隊は、まさに当時のポルトガル人にとって「黒船」だった。
現地のポルトガル要塞長官は、蒸気艦隊の威容に腰を抜かしつつも、長期間の航海を経た乗組員たちの健康状態を案じるフリをして、密かにその「弱点」を探ろうとした。
「マンク殿、長旅でさぞお疲れでしょう。船員の皆さんも……壊血病で顔色が悪い者もいるのでは? 陸に上げて養生させなくてよいのですか? 我々のこの地には新鮮な果実も……」
長官の言葉は、ポルトガル人が長年の遠洋航海で手こずり、多くの命を失ってきた「壊血病」という弱点にを口にする。それは覇権国家としての長期航海の経験豊富さの優越感の裏返しだった。
しかし、マンク・ユパンキは、のほほんとした顔で首を傾げた。
「えっ? 壊血病ですか〜? あ〜……我が国では、その手の病気はもう既に対策が確立してますので、心配には及びませんよぉ〜」
「……えええーーーーー??? 確立?」
長官は耳を疑った。ヨーロッパでは壊血病の原因すら不明で、船員は何割かは死ぬが当たり前だというのに、その対策を「確立している」と言い放つ。マンクは船の食糧庫から、小瓶を取り出した。
「これですよ、これ。『カムカムの酢蜜漬け』。これを毎日スプーン一杯舐めるだけで、船員もみんな元気ハツラツです。これがあれば、極端な話、数年航海しても歯が抜けるようなことはありませ~ん。」
マンクが差し出したのは、アマゾン奥地に自生する高濃度ビタミンCの塊、カムカムをインカの精錬技術で保存食化したものだった。
「こ、これは……なんという……。この小瓶一つで、我々が長年苦しめていた『航海の死神』を払いのけられるというのか……!?」
長官の目は、先ほどまでの「探りを入れる」という余裕を完全に失い、狂喜乱舞に変わった。壊血病の克服は、ポルトガルにとって黄金郷を見つけることよりも、国家の航海能力を飛躍させる「神の力」そのものだったからだ。
「マンク殿! この技術……! いや、この『カムカムの酢蜜漬け』を! ぜひ! ぜひ我がポルトガルへ輸出してください!! 莫大な対価を支払います! いや、貴国の要求する条件は出来るがぎり飲みましょう!!」
長官は先ほどまでの傲慢さをかなぐり捨て、マンクの足元にすがりつかんばかりの勢いだった。
「え〜、輸出ですかぁ〜? う〜ん……じゃあ、そこの香辛料の仕入れ値を今の半額にしてくれるなら、考えてもいいですけど〜……あと、この港のドックに、うちの蒸気機関の調整機材と無線局を常設させてもらいますねぇ〜」
「承知した! もちろん承知した!!」
港の商館長たちが、インカの銀貨を求め、そして今や「海上の長寿の秘薬」となったカムカムを求めて殺到する。
マンクののほほんとしたペースに巻き込まれ、ポルトガル人は、自分たちが「食料を売るはずだった港」を、「インカの補給・情報収集拠点」へと変えさせられていることにも気づかない。
インカにとって、壊血病の克服は技術の一部に過ぎない。しかし、その技術を「貿易の切り札」として使うことで、ヨーロッパの王国の心臓部にまで「インカの影響力」を浸透させていく。
「いや〜、ポルトガルの人たち、喜んでくれてよかったですねぇ〜。カルバハルさん、これでもうこの港は、うちの補給拠点として完璧ですね〜」
「……提督。貴方のその『のほほん』とした表情が、一番の毒ですよ」
カルバハルが呆れつつも記録を書き留める傍らで、マンクは次の「輸出戦略」を考えながら、のんびりとカムカムの酢蜜漬けを口に運んでいた。ポルトガルに「インカの文明」が静かに、だが確実に染み渡っていく。
「と、いうよーに、ユパンキさま、じゅんちょ―に、外交、すすめてる。」
「あら、アンタチャ? 貴女のロータリースパークモールスって、さすがにここからアフリカまで直接届くわけじゃないわよね?」
クシリマイがクスコ宮殿のアンテナを見上げながら尋ねると、アンタチャは無表情のまま、手に持ったスパーク調整用の絶縁棒をクルクルと回して答えた。
「さすがに、たいせーよう、ちょくつうは、むり。今の技術だと、限界は、500㎞ぐらい?」
アンタチャは、ノートの端に簡単な図を描いて見せる。
「だから、途中のかいいきに、むせんちゅうけいの、ふね、だしてる。……リレー方式。信号を、ひろって記録して、また飛ばす。これの、くりかえし」
「なるほど! 船を中継基地にしちゃうのね、賢いわ!」
クシリマイが感心したように頷くと、アンタチャは誇らしげに、調整されたばかりの受信機のイヤホンを片方クシリマイに差し出した。
「……きいてみて。これが、アフリカにいるユパンキさまからの、ちゅうけい信号」
クシリマイが恐る恐るイヤホンを耳に当てると、微かなノイズの向こう側から「ブッ……ブーッ……ブッ……」という、規則正しくも力強い信号音が聞こえてきた。それは、数千キロ彼方の海上で、インカの艦隊が確かに動いているという証明だった。
「まあ、 これがアフリカの音なのね……」
「……これで、むせん、かんど、りょーこー」
アンタチャは小さく頷き、すぐにまた次の周波数帯を調整するためのコイル巻き作業に戻った。
彼女の緻密な中継網のおかげで、タワンティンスユの通信は、物理的な距離という概念を完全に過去のものにしていた。太平洋からアマゾン、そして大西洋を越えてアフリカへ。ニナン皇帝の命令は、蒸気と電気の鼓動に乗って、地球の裏側までラグなしで届く。
「中継船が点在する海なんて、もはやインカの情報伝達路じゃない。ポルトガル人たちが驚くのも無理はないわね……」
クシリマイが感慨深げに呟く横で、アンタチャは「……いつかは、電離層反射も、つかう。そうすれば、もっと、とーくまで、とぶ」と、さらなる未来の通信網の構想を独りごちていた。
その背後では、マカパの港に停泊する焼玉船のエンジンが、次なる遠征に向けて、低く力強い唸りを上げていた




