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ep54 インカのキレキャラ皇弟

ポルトガル側が恐怖に震えながら港の準備を進める中、ニナン皇帝が今回の「大西洋実験航海」の艦隊司令官として指名したのは、アタワルパのような過激な筋肉脳ではなく、別の弟であった。

その名はマンク・ユパンキ。

「ん〜……ゴールドコースト、でしたっけ? 遠いですけど、お弁当(食料)を多めに積んで、のんびり行きます〜。ポルトガルの人たち、お菓子とか美味しいの持ってるといいですねぇ〜……」

間延びした喋り方、のほお~んとした糸目垂れ目の面持ち。

アタワルパは「この歴史的大航海の初手、俺が筋肉でポルトガルを威圧してくる!」と自薦して、床を凹ませるほどの足踏みで猛アピールしたが、ニナンは「お前が行ったら外交じゃなくて侵攻になる」と即座に却下した。

「マンクなら、よっぽど無礼なことをされん限り、穏当に交渉をまとめてくれるだろう。あいつの、あのペースに巻き込まれれば、ポルトガル側も殺気立つことはできまい」

クスコの宮廷で、ニナンは穏やかに微笑んだ。

一方、その言葉を聞いていたワスカルは、眼鏡の奥で冷ややかな分析を行っていた。

(……兄上は、マンクの『真の性質』を把握した上での人選でしょう。あの男、普段はのほほんとしていますが、一度ブチ切れると手が付けられない。もしポルトガルが『よっぽどの無礼』――例えば、外交官への武力威圧や、条約の完全な踏み倒し――などを働いた場合……)

ワスカルは心の中で、そっと海図のゴールドコースト周辺に火のように赤い飾り石を置いた。

(もしそうなれば、あの穏当なマンクが激昂し、ポルトガルの寄港地は地図から消滅して火の海になる……。まあ、それをわざわざ口に出して不安を煽る必要もありませんがね。……ええ、黙っておきましょう(眼鏡キラーン))

数日後、大西洋を悠々と進むインカ帝国の旗艦『ソラール・インティ号』の甲板で、マンク・ユパンキは備え付けのハンモックに揺られていた。

「ん〜、海風が気持ちいいですねぇ〜。ねえ、カルバハルさん。ポルトガルの人たち、まだかなぁ。ちゃんと『友好のしるし』のスイーツ、喜んでくれてるといいんですけどねぇ……」

「……ええ、まあ、そうであれば良いのですが」

通訳のカルバハルは、マンクの背後に控える護衛の重装歩兵たちが、マンクが眠っている間に手入れしていたナフサ火炎放射器と褐色火薬ガトリング砲の整備状況を思い出し、冷や汗を拭った。

インカの「最も穏健な皇弟」が、ポルトガルの黄金海岸へ向けて出港した。

その船底には、外交用の茶菓子だけでなく、万が一(※)に備えた「帝国の怒り」が静かに眠っていることを、まだヨーロッパ側は知らない。


※史実のマンコ・インカ・ユパンキは一旦はスペイン人の支配を受け入れたが、後にその一族に対する非道な扱い(侮辱、暴行、妻たちへの強姦)に激昂し、インカ帝国側の残党を集めて十万人近い軍団を形成し凄まじい大反乱を起こしました。インカ史の『基本大人しいがキレたら大暴れする男』なのです。

一般的に日本語記述では『マンコ』となっています。しかし、これだと何か日本人として何かアレだと思い、チャッピー君を問い詰めた処、“Manku”とか“Manqu”としている資料も有るってことだったので本作では『マンク』としました。




ニナンは、広げられた海図の上で、マンク・ユパンキの艦隊ルートをなぞりながら大きく溜息をついた。

「最初は、マンクの妻であるオクリョ(史実では妹だったが本世界線ではマンクの従妹)を同行させて、マンクがキレないようにのブレーキ役にすべきかなと思ったのだが……」

その言葉を聞いたクシリマイが、手に持っていた王灼をコツンと床に立て、呆れたような口調で割り込んだ。

「お兄様、それは火に油を注ぐどころの話じゃありませんよ。あっちのヨーロッパ貴族っていうのは、正式な場に妻を連れて行く文化でしょう? もし現地で、無知なポルトガル貴族がオクリョちゃんを『未開の地の女』と勘違いして、侮辱したり無礼な態度をとったりしたとするわよね?」

クシリマイはその褐色巨乳を揺らしながら確信を持って言い切った。

「ユパンキなら、その場で礼儀正しく微笑んで、夜中に艦隊を王都リスボンの港まで進行させて、街ごと砲撃で焼き払うわよ。絶対。あの人は、身内を傷つけられることに関しては、アタワルパ兄様が引くほど容赦がないんですから」

ニナンは、一瞬だけ脳裏をよぎった「リスボン港が地図から消える未来」を想像し、顔をしかめた。

「……否定できない。確かに、あいつは普段がのほほんとしている分、一度スイッチが入ると『道理』などというものは吹き飛ぶ。オクリョ殿は温厚で賢明だが、マンクにとっては彼女こそが『帝国の誇り』そのものだからな。それを汚されたとなれば、交渉も条約も関係なく、物理的な粛清が始まる」

ワスカルが静かに眼鏡を拭きながら、冷ややかな補足を加える。

「ポルトガル側にとっては、マンクという『穏やかな防波堤』を自ら破壊し、その向こう側にあった『激怒したインカの皇弟』という名の地獄を引き出すリスクがあるわけですな。……面白い。あえてオクリョ殿を同行させ、マンクに『外交』という名の、非常に繊細な火薬庫を預けてみるのも一興かもしれません」

「いや、外交はあくまで経済優先だ。ポルトガルには、マンクという『穏健な男を怒らせたらどうなるか』という恐怖を、それとなく言葉で教えてやれば十分だろう」

ニナンは最終的にオクリョの同行を見送ることに決めた。

インカの皇弟が持つ「極端な二面性」。ヨーロッパという未知の地に、その猛毒の爆弾を送り込む。ポルトガルが彼を「礼節ある外交官」として遇する限りは平和が続くが、もし一歩でも踏み外せば、彼らの王宮は大西洋から襲来するインカの艦隊によって、その地図上の存在を怪しくすることになる。

「……マンク、頼むぞ。取り敢えずは『平和的な使節団』として振る舞ってくれよ。もし、あっちの連中が本当に礼節を捨てたら……まあ、あとはお前の好きにしろ」

ニナンのその言葉は、すでに「もしも」が起きた時の惨劇を容認しているのと同義だった。

外交において、礼儀は「無用な問題を起こさない為の最大の防御」である。それを理解できない相手には、もはや「平和的な対話」という選択肢は用意されていないのである。


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