ep53 南米経済特区マカパの蠢動
マカパの港は、今や「南米の玄関口」へと変貌を遂げていた。
当初は警戒して寄り付かなかったヨーロッパ各国の商船団だが、インカの蒸気船による圧倒的な定時運行、医療品の供給、そして何より『タワンティンスユ銀貨』の圧倒的な信頼性が、彼らを動かしたのだ。
銀貨の表面には、高精度な彫金で刻まれた太陽の紋章。裏面にはインカ帝国が誇る「完全なる計量基準」に基づいた重さと純度が刻まれている。インカが誇る高度な冶金・精錬技術によって作られたこの銀貨は、腐食や摩耗に極めて強く、かつてのスペインのレアル銀貨のように「刻印が不鮮明で純度がバラバラ」という欠陥とは無縁だった。
「この太陽の銀貨……なんと美しい……! しかも、どこの商館に持ち込んでも同じ価値が保証されているだと!?」
マカパの商館街に居並ぶフランドル、イングランド、フランスの商人たちは、自国の通貨を二の次にして、タワンティンスユ銀貨の確保に血眼になった。
◇
一方、その背後――すでにインカの経済的影響下にある新スペインの領内では、状況はより深刻だった。
「……またか。また給金の支払いを『太陽の銀貨』で要求された」
新スペインの銀山管理官が、机を拳で叩く。
現地でデス労働を強いられている先住民の労働者たちは、もはやスペインのレアル銀貨など受け取らない。彼らが求めているのは、インカの医療拠点で食料やワクチン、鉄器と確実に交換できるタワンティンスユ銀貨だけだ。
結果として、スペイン商人が現地の資源を買い叩こうとしても、インカの銀貨を持っていなければ誰も相手にしないという「経済的な閉め出し」が完成していた。
「レアル銀貨が、……鉄くずのように、価値を失っていく……」
市場において、インカの銀貨の方が「インカが保証する圧倒的な価値」を持って流通しているのだ。
ワスカルは、マカパからの報告書に目を通しながら、冷ややかな笑みを浮かべる。
「クックック……。皮肉なものですな。コルテスたちが追い求めたエルドラド(金)よりも、我々が流通させた『安定した貨幣』の方が、よほど効率的にスペインを絞め殺している。彼らはインカに『資源』を貢ぐために、せっせとレアル銀貨を我々の銀貨に交換し続けているのですから」
「ガハハ! 兄上、これぞまさに『通貨による侵略』だな! スペインの王様が気づいた時には、彼らの国庫が全部インカの銀貨で埋め尽くされて、インカの経済属国になってるってわけか!」
アタワルパが腹を抱えて爆笑する中、ニナン(俺)は窓の外、クスコの街を眺めた。
アマゾンを越え、大西洋へ。
マカパの門前市で始まった小さな商いは、今や大西洋を越えてヨーロッパ全土の経済を狂わせ始めていた。剣を抜かず、血を流さず、ただインカの「太陽の価値」を流通させるだけで、ヨーロッパの経済秩序(レアル銀貨体制)を内部からバグらせる。
「さて……いずれは、ヨーロッパの王族たちに『インカの銀貨を借りないと、自国で戦争の資金も調達できない』というシステムを植え付けるか」
インカの銀貨がヨーロッパの街角で燦然と輝くとき、世界はニナンの意図した通り、「タワンティンスユ経済圏」という巨大な太陽の光の下で再編されることになるのだった。
マカパ要塞の通信官が、マカパのポルトガル商館の最新鋭のロータリースパークギャップ無線で経由強気な呼びかけを行った。
「こちらタワンティンスユ帝国・大西洋岸開発局。……貴国、ゴールドコースト周辺の港湾施設を使用したい。寄港料は正当に支払う。補給と、航海実験のための整備を許可されたい」
数か月後リスボンの王宮、会議室。
ポルトガルの提督と高官たちは、マカパから届いた「インカの要求」を前に、椅子から転げ落ちそうな勢いで絶句していた。
「えええええええーーー!? こっち来るだと?! あの化け物みたいな蒸気船が、大西洋を越えてだと……?!」
彼らは青ざめ、震える声で帰ってきたマカパ商館員に尋ねる。
「……インカ、まさか本気か? アフリカの黄金海岸まで、あの『煙を吐く鉄の船』で来れるというのか?」
即座に商館員は答えた。
「理論上は余裕とか…。というか、これまでの航海データからして余裕らしいです。奴らとしても、遠洋航海における蒸気機関の耐久性と、各寄港地での補給体制を実戦でテストしたいらしいのです。協力パートナーとして扱ってやるから、準備を進めておけと……あと、ついでこちらの『香辛料』の買い付けもしたいとか……』
リスボンの会議室は現代日本のお通夜のように静まり返った。
「……実験……あいつらは、我が国の海域を、ただの『実験場』として使おうとしているのか……?」
ポルトガル提督は頭を抱え、脂汗を流す。
「断ればあの圧倒的な大砲で脅かされるし、受け入れれば港をインカの『技術』と『通貨』でハックされる……! ど、どないしよう……!」
港では、インカの蒸気艦隊がマカパの要塞を離れ、悠々と大西洋の波を切り裂き始めていた。
コリ・ルラク親方が設計した最新鋭の船体は、長距離航行に耐えうる燃料効率を極限まで高めており、焼玉エンジンはリズムよく、そして力強く「ドッドッドッ」と海を支配する鼓動を刻んでいる。
「ガハハ! 兄上! ポルトガルの奴ら、パニックになってやがるぜ! 補給料を払うと言っただけで、あそこまで怯えるとはな!」
アタワルパが携帯りゅう弾砲を担いでマッハスクワットを決めながら笑い飛ばす。
「ふふ、彼らにとっては『悪夢の接近』だろうな。だが、これが帝国の外交だ。武力を行使せずとも、圧倒的な技術と『彼らの主導権を奪う経済力』を見せつければ、向こうからひれ伏して補給拠点を提供せざるを得ない」
ワスカルは冷徹に、地球儀の上に「インカの補給網」を描き足していく。
「ポルトガルよ、恐怖に震えるのは後で結構。まずは我が帝国の蒸気船を、極上のサービスで出迎えることです。……さもなければ、その港は『実験』の結果、我々の最新の海軍基地に書き換えられることになるのですよ(眼鏡キラーン)」
大西洋を制するインカの艦隊。
太陽の紋章を掲げた鉄の船たちは、ヨーロッパの商権を食い荒らしながら、地球規模の「インカ・ネットワーク」を構築する実験を開始した。ポルトガルは今、自ら進んで「インカの巨大な版図」の一部として組み込まれようとしていた。
ストックの関係で明日からは朝1回の更新のみとします




