南米のアトランティス
大西洋の水平線から現れたのは、ポルトガルの誇る最新鋭のキャラベル船団だった。
指揮官の航海長は、アマゾンの河口に広がる光景を望遠鏡で捉えた瞬間、持っていた地図を甲板に落とした。
「……神よ。我々が探していたのは黄金郷だったはずだ。だが、あれは一体……?」
彼の視界に飛び込んできたのは、原始的なジャングルの対岸に忽然と現れた、鋼鉄と蒸気の要塞都市だった。
規則正しく整列した石造りの防波堤。蒸気クレーンが重厚な鉄骨を吊り上げ、港内を「ドッドッドッ」と重低音を響かせながら走り回る焼玉エンジン船。さらに要塞の背後では、路面を突き固めたインカ式道路を、焼玉トラックが土煙を上げて次々と物資を運搬している。
その光景は、中世の文明を数世紀飛び越え、未来から迷い込んだかのような異質さだった。
「隊長……あの港にたなびく旗を見てください。見たこともない紋章(太陽の紋章)です。そして、あの蒸気船の煙……我々が誇る帆船よりも遥かに速く、風を無視して動いている!」
部下の報告に、航海長は膝を震わせた。
彼は無意識に、手元にある古い神話集を握りしめた。
「エルドラドを追い求めて、この絶望的な湿地帯までやってきたというのに……我々は歴史の向こう側にある『アトランティス』を発見してしまったようだ……。あれは、我々が知るどの文明とも違う。……神の技術を盗んだ異教徒の帝国だ」
その頃、港の監視塔では無線の性能アップの為出張してきていたアンタチャが無線機のレバーを叩いていた。
「……にんしき、かんりょう。ポルトガル、ぼろぶね、接近」
アンタチャの信号が、イリャパ・キープを通じてクスコのニナンの元へ届く。
「ついにポルトガル船が来たのか。……おい、カルバハル。港の『市』にいる部族の連中に伝えておけ。『新しく来た客は、我が国の通貨を持たない無教養な野蛮人だ。もし不躾な真似をしたら、インカの経済圏(と最新鋭の大砲)がどういうものか教えてやれ』とな」
オレリャーナは余裕の笑みを浮かべ、要塞の頂上に立つ鋼鉄製の回転砲塔に、焼玉エンジンで発電された電力で駆動するアーク灯のサーチライトを向けた。
「エルドラドが見つかると思ってやってきたポルトガルの野郎どもには気の毒だが、ここはすでに『インカという名の黄金郷』だ。歓迎(&大砲の試射)の準備はできているぞ」
港では、アラニが部族の戦士たちに「もしやつらが強奪に走るなら、ぶちのめして市場から締め出せ」と凛々しく指示を飛ばしている。
ポルトガルの船団が接岸を試みようと距離を詰めると、要塞からは警告の汽笛――蒸気機関が奏でる、重低音の威嚇音が鳴り響いた。
それは、「ここから先はタワンティンスユの領海である」という、物理的かつ圧倒的な拒絶の意志。
「アトランティス」に迷い込んだポルトガル船団は、エルドラドの夢など一瞬で霧散し、自分たちが「歴史の主役」ではなく、「巨大すぎる文明の末端」に迷い込んだ未開人に過ぎないことを、その身をもって知ることになるのだった。
マカパ要塞の長官オレリャーナが、不審な表情で港に寄港したポルトガル提督に対し、極めて事務的に淡々と告げた。
「……というわけで、貴殿らの上陸と通商の許可については、クスコ宮殿へ『イリャパ・キープ(ロータリースパークギャップ無線)』で照会いたします。」
提督は、目の前の長官が持っている、どこか粗削りだが妙に威圧感のある「小屋と鉄塔」を横目でみながら声を荒げる。
「ハッタリだ!! このジャングルの奥地に、大陸の反対側の都から何か月かけて返事をもらう気だ?! 貴様ら、我々を追い返すための時間稼ぎをしているのだろう?」
提督が部下に抜剣の合図を出そうとしたその時、アンテナ塔の側の通信小屋の中から、小さな影がトコトコと歩み出てきた。
この地のアマゾン・無線通信網の「距離延長」という過酷な実験のため、クスコから直々に派遣されていた技術長官・アンタチャである。
「ちゅーけいきょく、通すから、へんじは、なんじかんかは、かかる。たぶん、午後」
彼女は周囲の緊張感など知ったことかという顔で、無骨なレバーをガチャガチャと操作し始めた。
「……ん。今のスパーク、質が、低い。もっと、こう、ローターを高速回転させて、強力な……スパークを、起こして……」
アンタチャがレバーを回し、火花が激しく散る。
ババババババッ!! と、耳を裂くようスパーク音と同時に、卓上のガレナ式受信機が低く震えた。
「……ほら。イヤホン、ブーブーいってる。これ、クスコのワスカル様からの、返信信号。もう、届いた」
提督は耳を疑った。
「な……馬鹿な! まだ半日も経っていないぞ!」
アンタチャは無表情のまま、受信したコードを翻訳したラマ皮紙を、半ば呆れたような目で提督に突き出す。
「回答。……『上陸は許可、ただし、必要な食料と水は、相場より倍の価格で販売。拒否するなら、即座に港外へ退去させよ。拒否するなら、実力行使を許可、以上、ニナン皇帝の命』……だそう。……この、ブーブーいってるのが、ワスカル様の声の、代わり」
提督は、手の中の紙と、なおも規則正しく「ブーブー」と機械音を奏でるイヤホンを交互に見つめ、顔面蒼白になった。
「あ……ありえない……。物理法則を無視した悪魔の魔法か……!」
さっきまで「ハッタリだ」と叫んでいた提督の腰が、ガクガクと震え始める。
科学というよりは、もはや「神的存在の意志」を物理現象として直接受信しているとしか見えないインカ帝国の圧倒的な通信インフラ。ポルトガル船団の精鋭たちは、自分たちが文明の最前線にいると思っていたのに、実は「数百年先の未来から来た怪物」の玄関先に上がり込んでいることに気づき、戦慄のあまりその場にへたり込んだ。
アンタチャは、彼らの反応など無視して、次の実験用のコイルの調整に夢中になっている。
「……通信網、完成度、低い。もっと、クスコと……いつかは、直接、電離層反射、利用して、信号を飛ばす……。もっと速く、もっと遠く」
港に響くスパークの音は、ポルトガルの時代を強制終了させる終わりの鐘のように、マカパの空に響き渡った。




