ep44 牛痘大作戦
「ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン、旧アステカ)じゃあ、相変わらずコンキスタドールどもがヒャッハーして暴れ回ってるのか?」
皇帝ニナン・クヨチは工房の椅子に深く腰掛け、大陸の北側に目を向けながらため息をついた。かつてアステカを滅ぼしたコルテス一派や、それに続く一攫千金目当てのスペイン人たちが現地で何をやっているか、前世の歴史知識があるからこそ嫌な予感しかしない。
兵站と諜報のトップであるアルマグロは、パナマのピサロ商会から『イリャパ・キープ(雷の手紙)』で届いた最新の報告書をめくりながら、苦渋に満ちた顔で首を振った。
「いえ、陛下。もはや『ヒャッハー』などという段階は過ぎ去っております……。あちらでは征服者どもが現地人を奴隷化し、鉱山や大農場で使い潰す、ブラック……いえ、『デス労働』が完全に組織化され、横行しております。おまけに本国から持ち込まれた天然痘の病魔が猛威を振るい、放っておけば数年で現地の人口が1/10になりかねん惨状です」
「デス労働にパンデミックのコンボかよ……。地獄じゃねえか」
ニナンは胸が痛んだ。かつての世界線で先住民が辿った絶望的な歴史が、まさに今、目の前で進行しているのだ。
「なんとかしてやりたいけど、だからってこっちから攻め込ん新スペインやスペイン本国と全面戦争(大遠征)をするのは(現代人心理的に)流石になあ……。下手すりゃあ、ヨーロッパ各国が参戦してきて大西洋を挟んだ世界大戦になりかねん。」
どうしたものかと頭を抱える俺の横で、眼鏡をキラーン!と冷徹に輝かせ、内政官房長官ワスカルが影から不敵な笑みを浮かべて進み出てきた。
「フッ、兄上。武力による解放が無理ならば、『経済と生存戦略のハック』を仕掛ければよろしいのです。……とりあえず、我が国で成功している『牛痘(天然痘のワクチン)』の種を新スペインに供与、いや『販売』してはいかがでしょうか?」
「お? 販売? 人助けなのに金を取るのか?」
ニナンが目を丸くすると、ワスカルは眼鏡の位置をクイッと直して、最高に知的な邪悪スマイルを浮かべた。
「タダで与えれば奴らは怪しむでしょう。ですが、ピサロ商会を窓口にして『奴隷の死亡率を劇的に下げる奇跡の薬』として独占販売すれば、強欲なスペイン人どもはこぞって金を支払い、自発的に現地人へ接種させます。現地人の命は救われ、我が国にはメキシコの富が流れ込み、スペイン本国はインカの医療技術に依存せざるを得なくなる……完璧な勝利の方程式です。
「しかしそれじゃあ働ける大人ばかり優遇されて、子供、年寄りとかは切り捨てられるんじゃあ……」
「ご心配には及びません、キリヤ殿の研究によりますと牛痘は人から人への移植が可能なのです。同時にその情報をそれとなく中米に流すのです。さすれば中米の民はインカに強い親近感と感謝の心を持つでしょう。平和理に中米地域に影響力を醸成できるというもの……」
「なるほど……! 相変わらず悪知恵のキレが凄まじいな、ワスカル! よし、アルマグロ、今すぐパナマのピサロの元に向え!」
腹黒参謀ワスカルの経済&民意ハッキングが新大陸のスペイン支配を根底から揺るがしつつあった。奪いとった黄金と現地の姫、令嬢を並べ立てて高笑いしているヌエバ・エスパーニャ総督グスマン。その足元が根底からハックされる日は近い。
十日後、パナマ港のピサロ商会・事務所。
「フランシスコ! エルナンド! ファン! 景気のいい話だ、とんでもねぇビッグビジネス(特大利権)を持って来てやったぞ!」
クスコからの指令を受けたアルマグロが、興奮鼻息荒く事務所の扉を叩き開けて入ってきた。
「ビッグビジネス……?」
長男のフランシスコ・ピサロが、ジム仕事手を止め、怪訝そうに顔を上げた。
「なんだいアルマグロ、また皇帝陛下の思いつきか? 今度はどんな奇妙な木や鉄を運べって言うんだ?」
次男のエルナンドが帳簿を閉じ、身を乗り出す。
「まぁまぁ兄上、聞いてみようぜ! 陛下の出す話で、俺たちが大儲け出来なかったことなんて今まで一度もねぇんだからな!」
三男のファンが目を輝かせる。
ウサカの勧めでグアヤキルへの避難用支部を計画し、リスク管理もバッチリなピサロ兄弟。そんな彼らの前に、アルマグロはクスコから届いた「牛痘ワクチン独占販売権」の契約書をドサリと机に叩きつけるのだった。
「ただ、一つ注意しておけ。この牛痘商売、あまり息の長い商売にはできんぞ」
アルマグロはピサロ兄弟の顔を見回し、低く、しかし鋭い声で警告した。
「陛下も仰っていたが、牛痘は人から人へ、接種した人間から別の人間へと移しても効力が維持される性質がある。そしてワスカル様の放った工作員が時期を見てこの件をヌエバ・エスパーニャに広める予定だ。その時ワクチン単体の市場価値は一気に暴落するだろう。大儲けしたからといって、浮かれて無理な不動産投資や艦隊購入なんかに金をつぎ込むのは厳禁だぞ。引き際を見誤るなよ」
その説明を聞いたフランシスコ・ピサロは、冷や汗を流しながら苦笑いをした。
「……なるほど。単に金を稼ぐのが目的じゃないのか。これは新スペイン全土の民意を親インカに向けさせる影響力戦術か……」
フランシスコは薄暗い事務所の中で、遠く離れたクスコにいるであろう化物皇帝と、その参謀の姿を想像した。
「相変わらず恐ろしい奴らだ……。新スペインの征服者どもに奇跡の薬を売ることで、剣を交えずに新スペインを足元から揺さぶる、静かなる侵略だぞ……」
「兄上、怖気づいているのか?」エルナンドが肩をすくめる。「我々だって、インカの医療技術がなきゃ、今頃カハマルカで土になっていただろう。陛下が求めるのは血の海じゃない。中米をインカの技術でコントロールしながら利益を得る『平和的な支配』だ」
ファンも頷く。「そうだぜ。ワクチンが暴落するまでの短期決戦、その間に得た莫大な利益で、グアヤキルの港をの支店の家具でも整えとくさ。あとは嵐が過ぎ去るのを、愛する家族と笑って待つだけだ」
ピサロ兄弟は顔を見合わせ、深々と息を吐いた。
かつては黄金の十字架を掲げて殺戮と略奪を繰り返した征服者たち。しかし今や彼らは、ニナンという化物皇帝が引いた「技術という名の巨大なチェス盤」の上で、誰よりも賢く立ち回る「物流の守護者」へと変わっていた。
「……よし、決まりだ。このビジネス、受けて立つぞ。ワスカル閣下の電信には『受諾する。ただし、ワクチン流通ルートにはインカの警備隊(アタワルパの鉄砲隊の精鋭)の警護をお願いしたい』と返信しておけ。
パナマから始まる牛痘の連鎖は、やがて大航海時代のスペイン植民地支配の根幹を、インカ帝国側の都合の良いように少しずつ、確実に歪め始めていくのだった。




