ep42 ピサロ兄弟と家族の一幕
パナマ港の一角を占める専用ドックは、今や「ピサロ商会」の巨大な集積基地と化していた。
かつて歴史の表舞台で血生臭い征服劇を繰り広げるはずだったピサロ兄弟は、タワンティンスユの化物皇帝の手のひらの上で、新大陸屈指の「メガ貿易商社」へと完全なジョブチェンジを果たしていたのだ。
新スペイン(旧メシカ帝国)からかき集めた「牛(牛痘の苗床)」や「小麦」、そして彼らが今最も力を入れて運んでいるのが、ユカタン半島のジャングルから切り出された極めて硬質で重厚な木材――通称『鉄の木』であった。
「おい、そこの樽を傷つけるなよ! ニナン皇帝からの特注品だ。この『鉄の木』は、あっちのチート職人どもが研究している『スクリュー船』の軸受け(ベアリング)と水密パッキンに絶対欠かせない超重要素材なんだからな!」
エルナンド・ピサロが港で手代たちに檄を飛ばす。
鉄の木は、樹脂を大量に含み、水中で驚異的な自己潤滑性と耐摩耗性を発揮する天然のオーパーツ素材だ。前世の知識を持つニナンは、外輪船を一速飛びに超越した「蒸気スクリュー快速船」の量産を見据え、ピサロ兄弟にこの木材を時価の数倍のインカ金貨で買い付ける約束をしていた。
「毎度あり、だな。病気牛に続いて、今度はジャングルのクソ重い木を売るだけで黄金の山が築ける。タワンティンスユ様様だぜ……」
三男のファン・ピサロが帳簿を片手にニヤニヤと笑う。
そんな弟たちの姿から少し離れた事務所の机で、長男フランシスコ・ピサロは、額に縦皺を立てながらラマ皮紙に羽根ペンを走らせていた。
「……ふ、……ら、……ん、……し、……す、……こ……」
「兄上、おめでとうございます! 漸く、ご自分の名前『フランシスコ・ピサロ』の文字だけは完璧に書けるようになりましたな!」
エルナンドが事務所に戻ってきて、大げさに拍手を送った。
元文盲の征服者リーダーにとって、これは大航海時代を揺るがすレベルの歴史的進歩である。
「うむ……。これでインカの役人(宰相ワスカルの部下)どもに舐められずにサインができるな……」
ピサロは満足そうに鼻を鳴らしたが、すかさずファンがため息をつきながら苦言を呈した。
「でも兄上、名前の次はいい加減、足し算と引き算くらいは覚えて欲しいものです。何しろ向こうの財務官のキープ(帳簿)の計算速度はバケモノですからね。うっかりしてると、鉄の木の積載量の計算で関税をふんだくられますよ?」
「ぐぬぬ……。数字は苦手だ。あれを見るだけでカハマルカの砲撃を思い出して腹が痛くなる……」
腹を抱えるピサロだったが、その背後から「あなた、あまり無理をなさらないで」と、優しい声が響いた。
「ピサロ、お仕事も大切だけど、お昼のご飯が冷めてしまうわよ」
声をかけたのは、現地パナマの有力者から迎えたピサロの正妻、ウサカであった。
「お父様、お名前書けたの? すごい!」
「お父様、お昼食べよう!」
ウサカの横からは、エルナンド・ピサロの妻であるトトと、彼女たちの間に生まれた何人もの可愛いメスチソ(白人と先住民の混血)の子どもたちが、「叔父様!そろそろご飯にしよう!」ピサロの足元にワラワラと群がってきた。
「おお、すまん、今行く。ほら、お前たち、机の上のインカ銀貨でお手玉をするなと言っているだろう!」
史実のフランシスコ・ピサロは、成功への盲執からインカの王を騙し討ち、裏切りと殺戮の連鎖の果てに、最後は仲間であったアルマグロの息子一派に暗殺されるという血塗られた最期を遂げる運命だった。
しかし、この世界(ニナン・ハック後)の彼はどうだ。
命を奪われる恐怖もなく、インカの圧倒的な経済網(物流)の片棒を担ぐことで、莫大な「合法の富」を築き上げ、愛する現地の妻や子共たちに囲まれて、毎日賑やかで平和な飯を食っている。
「……おい、エルナンド、ファン」
ピサロは子どもを片腕で抱き上げながら、ふと窓の外の青いパナマの海を見つめた。
「俺たちはあの時、カハマルカで化物皇帝に腹を割かれて命乞いをさせられたが……今思えば、あの時死なさずに『貿易商』にしてくれたことに、感謝しなきゃならんのかもな」
「違いありませんな、兄者。あいつらと戦うなんて、今考えても正気の沙汰じゃねぇ。ここで牛と木を右から左へ流してる方が、よっぽど極楽ってなもんです」
ピサロ兄弟は顔を見合わせ、晴れやかな笑みを浮かべた。
歴史の闇に消えるはずだった征服者たちは、ニナンが興した産業革命の強力なサプライチェーン『ピサロ商会』として、新大陸で最も幸せな成功者への道を、一歩ずつ、着実に歩み進めているのだった。




