8 路傍のセミ Sideキリヤ
一目見て、恋に落ちた。
同時に自分が欲していたものが何か、分かった気がした。
オレ、おっさんでもイケんのか。
見慣れた終電間際の繁華街に、見慣れた酔っぱらいどもが転がっている。
その何も目新しさのない光景の中、あがいてるおっさんが目に入って、いつものが来た。
お前の恋はハードル低すぎんだよとタクには言われるが、付き合ってる時は作動しないんだからいいだろ。今日も元カノに見つかる前に逃げた。復縁の可能性は俺にはない。完全フリーなら、感情に従っても問題ないはずだ。
そのおっさんは周りと違って、路上に寝ころぶでもなく、ゲロを吐くでもなく、のろくでも足を進めている。
とはいえ、終電に間に合う見込みはない。
「大丈夫か?」
倒れかけた身体を、腕を握って支えてやる。 ほっせぇな。不健康の方向に。
上げた顔は思ったより清潔感があって、悪くないと値踏みする。
とはいえ、行きずりのおっさんとか、さすがに危ないよな。
「便所があって、休めりゃいいか?」
まぁ、なりゆき次第だ。
「いやお礼とか……部屋の支払いとか、どうしたものかと」
思った以上に常識人で、思った以上にすれてない。よくこんなおっさん存在すんな。二十年ぐらいどっかに籠ってたんじゃねぇか。
今夜はさすがになしか。
「キリヤだ」
やたらと腰が低いし、多分ずっと怯えてる。まぁオレみたいなのに急に行き合ったら、怖くはあるわな。名乗って多少の情報を開示して、ようやく同じ空間にいる程度は許容される。
少し話聞けば、上司の選ぶ店が美味くて、付き合ってたら飲まされ過ぎるんだと。今時アルハラとか拒絶しろよ。なんか、素直過ぎて心配になるレベルなんだが。
あとゲームうまい。これは腹立つレベル。ラブホでゲームできんのかと喜んでた無邪気さどこいった。対戦ゲーム全勝して、なんかゴメンみたいな顔で見んじゃねぇ。型落ち眼鏡割んぞ。
……とりあえず『繋ぐ』か。
「店員さんみたいな必要に駆られてもいない人がかける、チャラチャラしたオシャレの対極みたいなヤツを」
こいつ、だいぶ口が迂闊だな。この間の別れ際もそうだが、本気で装ってる時以外はかなりボロが出る。
まぁその方が付き合うのには気持ちがいい。
連勤にシフト調整してもらって待ったかいがあった。
眼鏡を選んでやりながら観察する。風貌はおっさんだが、妙に整えているところがある。加齢臭もない。ダッサい眼鏡を変えれば、どっちかって言うと童顔だ。
ひたすら自己肯定感が低いみたいだが、もうちょいどうにかすれば、そこそこ女も寄る程度になるだろうに何でだか。
敬語崩したいが、客と店員では無理だな。
……店員の俺がタメ語で、客のおっさんが敬語ってなんでだよ。
「そのまま流れるように、『でもわたし上は十歳までなんでゴメンナサイ』ってふられましたけどね」
は?
「……口説いてたのか?」
冗談だと笑うおっさんに、我ながら態度が悪くなった。
なんか思ったより女とは距離近いか?
指輪も跡もないのは確認してたが、見た目の改造かけるの早まったか?
とりあえず今の会話でフリーなのは確定した。
「おはようございます、タダさん。すんません、今日のシフト」
普段は通しだが、早上がりに調整してもらってたんで礼を言う。おっさんは洗浄中で眼鏡がないせいか、借りてきた猫みたいにソファで縮こまってる。その間に退勤して、強引に飯に誘う。上司のうまい飯に釣られるぐらいなら、そこまで抵抗ないだろ。
完全に何が何だか分からない顔して付いてきた。しばらくそんな感じだったが、パエリアが三つ届いた時には驚きで目を見張ってた。いや、食えるだろ。歳で食えない? ……歳取りたくねぇな。
「死にたくないから生きてるだけだよ」
ぐっと、来た。
そう、これだ。
あの日気づいた、オレが欲しているもの。
「じゃあ、遊びに行こうぜ」
おっさんの戸惑いを無視してこっちのペースに巻き込む。手始めに連絡先。自分で入力させてフルネームと漢字も。できれば次の約束に繋がるような情報も抜きたい。世代差があっても共通で楽しめるもん。リメイクやってたアニメか。確か実写映画もあんな。リバイバル上映とかあったら誘いやすいか。
おっさんが便所に行ってる間に支払い済ませといたら、衝撃受けてやがった。基本だろ。上司としか飯食いに行ってねぇのか。
夜の内に感謝メッセージが入った。
既読にするが、メッセージは返さない。今の時間に返すと就寝で途切れる。今日の飯の話だけで終わると、次の約束へのネタが薄い。
それなら朝、意識がはっきりしてる時に印象残した方が良い。明日休みらしいし律儀そうだから、既読無視もないだろ。
『ただのイケメンですね』
割と気合い入れておっさんにも受け入れやすいよう好青年風に撮ったが、即レスで扱いが軽い。さすがに男相手に見た目使うのはなしだったか?
この武器通じねぇのは結構痛ぇな。
まぁ好みの方向性あんのかもしんねぇし、多少は続けるか。オレレベルで不快感もそこまでないだろ。
何より、姿に慣れさせんのは警戒心を解くのにいい。
メッセージにレスポンスは思ったより良い。おっさんってやたら長文か、やたら無精ってイメージだったが、ちょうどいいな。
この分だと、ネタさえありゃ次にも繋がる。
最悪のタイミング見られたが、最高のシチュエーションに繋がった。
とは思ったが。
「……なんていうか……薄いな」
裸の背を触りたかったが、完全に身体が強張ってるんで止める。
なんか怯えてるかと口にしかかって、無理矢理違う感想を捻り出した。
もしかしてミスったか?
人がいるとこでリラックスできないとは言ってたが、なんかのトラウマ持ちか?
とりあえず風呂に眼鏡はマジでどうかと思って取り上げたが、オレの腕握ってる手に、明らかに不必要な力がこもってる。
それでも浴槽に浸かる頃には、少しは力も抜けてきた。
元カノとの修羅場見られて今更カマトトぶるわけにもいかないんで、若気の至りでもある初期頃の元カノ歴に触れる。初体験は恋愛じゃないからノーカンでいいよな。両手の指で足りない可能性をほのめかすと、さすがに引いてる。言い過ぎたか。
ま、女にはこりてるってニュアンスで伝わりゃいい。
「──頑張り屋さん過ぎたね」
急に、来た。
当たり前に話していた声が、ふいに違うものに聞こえる。
何もかも包み込むみたいな、柔らかい声。
会話から感じていた、女との意外な距離の近さに、納得がいく。人間的な成熟感に、表層的な好き嫌いがどうでもよく思わされる。けど頼りがいって言うほどには至らない。滲み出る根っこの善良さ。油断を誘う親しみ。助言を妙に聞き入れる気になるのは、一切相手のコンプレックスを刺激しない、無意識でやってるだろうポジショニングのせいだ。
純粋だとか無垢だとか、そういうバカと紙一重みたいな属性じゃない。薄っぺらなラベルで終わらない。この人間性の深さは、確かな経験によってつちかわれている。
そんなヤツから見て、オレの行動はそういう結論になんのか。
オレはオレのおかしさを分かってる。
それは、そんなふうな言葉で、労られていいものなのか。
あぁ──この人、欲しいな。
なんでタクの方が距離詰めんの早ぇんだよ!
あんな爆笑始めて見たぞ! 敬語取れんのも早ぇんだよ!
しかも普通に会話のダシに使って初めっから行くわけねぇと思ってたラーメン屋に自然に連れてくしよ!
どういうテクだ!?
「オマエ、次あの人なわけ? オマエのフィーリング至上主義どうかと思う」
「うるせぇ」
ぜってぇ見習いはしねぇ。
見習いはしねぇが利用はする。
ライブをダシに買い物に誘った。
気合い入れて先輩の車借りてきたら、またしばらく流されるままになってた。初見で食らわしてそのままベッド連れ込んだらヤれんじゃねぇか、この人。女みたいに車で襲われる想定はしないにしても、この送迎が住所特定のためだって考えもしてねぇな。
「キリヤ君も楽しめてる?」
そのクセ大人ぶった雰囲気で言ってくる。色んなことですぐ許容量超えるクセに、底の方にはぶれないもんを抱えてる。
毎度毎度スーツだが、仕事終わりだし、そんなもんかと思ってりゃ、私服がないとか言い出して。
どんな生活してんだよって思えば、こんなオレがする一個一個にキャパオーバーする世慣れしない世間知らずで。
なのに立ち位置を変えない。どんなにオレに振り回されても、ストンと何かのスイッチを押したみたいに元に戻る。
「ところで数ある服の中で何でデニム?」
見立ての理由なんか、着せたいか、脱がせたいかだろ。
「良いやつは足の曲線に沿った生地と光の反射が合わさった時が」
──エロい。
頭の中で言おうとする単語を先に思い浮かべて、そこで硬直した。
ごく自然に、そうなるであろう姿を頭に想像して、それが良いと感じて──それからそれを本人に無自覚に向けようとしていた。
駆け引きなんかなく、ただただ自分の欲望を。
いや、それはないだろ。何考えてんだ。
自分を整え直す。好意を向けるならまだしも、欲求そのままぶつけてどうすんだ。中坊か。アンタ相手に欲情するって伝えて、この常識人が喜ぶわけねぇだろ。
精神を安定させるのにしばらくかかる。
だから。
「大事に使ってんな」
時計の話なんて自分が平静を取り戻すまでの、相手の視線を辿った、興味がありそうな話題のフックでしかなくて。
「──うん、大事だから」
そんなふうに泣きそうに笑うのは計算外で。
それだと思う感情と、何でという疑問に振り回される。
どっちも、持ってんのか。
オレが求めてる弱さも、オレがたじろぐ強さも。
そんなの、両立するもんなのか。
そんなヤツ、いんのか。
あぁ──オレのものに、したいな。
「オレがつける」
耳に触れ、買ってやったイヤーカフをつける。身をこわばらせる緊張感に気づいていても、今度は遠慮しない。配慮なんかしてやらない。一線引く強さなんて突破して、アンタの弱いところに食らいついてやる。
オレを見ろ。オレを感じろ。
自分の中の、全力の笑みを向けてやったら。
「とってもよくお似合いですぅ」
「何で急に店員みたいな敬語に戻ってんだよ」
今のは相当良い雰囲気だったろが……ッ!
椅子の背を抱くように腰掛けながら、スマホを操作する。起伏なく往復が収まってしまったメッセージ履歴を見返す。あの買い物の日から、やりとりがいまいち深まらない。
「あぁっクソ!」
「キリヤくんお下品だぞ」
「お前んとこのライブティーシャツのが下品だよ」
「販促用写真へのご協力ありがとうございまーす、つちのこキリヤ」
「隠しキャラ扱い止めろ!」
パシリの代償取られた。
やっと俺の印象も薄れてきたってのに、ジョークティーシャツともども復活させてどうする。
このバンドでたまにボーカルやってたことはオレの黒歴史だ。当時そこそこ騒がれて調子こいてたが、すぐ思い知った。オレは別に歌は上手くない。評判良かったのはただのビジュアルだ。二度と歌わねぇ。
「んで、何がお気に召さないんで?」
つちのこ……のことじゃねぇか。
「決め手に欠ける」
「ゴローさんか?」
「普通に名前覚えてんじゃねぇ」
俺がどんだけ苦労して距離縮めたと思ってやがる。
「決まるってのをどこに置いてんだ? ヤれりゃ終わりか?」
「違ぇよ。いつも通り、オトしたい」
「相手がいつも通りじゃねェのに?」
タクの手が、慈しむみたいにギターを撫でてる。
「ギターはベースみたいにゃ鳴らねェぞ」
言って長い指を添え、ピックで弦を弾く。たった一音を鳴らす。響きが、オレに迫ってくる。こいつの音は、どこにいても自分に向けて鳴らされてる気がしてくる。
だからオレは、ギターには一切触らなかった。オレの鳴らす音が、こいつの音みたいに響くわけがねぇって分かってたから。
そこにいるんだろ?って、どいつにもこいつにも突っ込んでく音。誰も彼もの存在を認めて捕まえて、絶対逃がさねぇ音。
でもそんなんよりもっと、どろどろに甘やかされたくねぇのか。愛されて溶かされて、溺れたくならねぇのか。
特別に、してほしくなんねぇのか。
「逆じゃダメなんか?」
「ゴロさん、童貞くせぇしムリだろ」
リード役がタチの方が無難だろ。
「誰がポジションの話……。オマエ、ホント、ボランティア王子よな」
「は? 立て替えてるラーメン代払え」
「アレ奢りじゃねェの!?」
「ゴロさん分はバーのお返しだがお前に奢るつった覚えはねぇ」
「確かに言われてねェな! でも一緒くたに払ったんならもういいだろ!」
ギャーギャー騒ぎ出したタクを置いて、休憩から戻ったメンバーと入れ違いにスタジオから出る。ティーシャツの撮影で呼びつけられただけで、別にもう帰ってもいい。
スマホがメッセージの到着を知らせて、音を鳴らす。
とりあえずコレ送っとけと、バンドの公式アカに載せた例のティーシャツ写真のデータが、タクから送られてる。
狙ってる相手に『一発ヤろうぜ!』送れって、嫌がらせだろが。
……ま、送るだけ送るか。
スタジオの重い扉を開けて飛び込む。
ちょうど通し練習の終わりだったのか、消えていく余韻をかき消すように声を上げる。
「バイク貸せ」
「おれは今カツアゲに遭ってる……」
お前の実況はどうでもいい。
胸ぐらを掴み上げたタクに、顔を近づける。
「あの写真送ったら既読無視の、通話無視だ」
「通話てオマエどんだけ……」
「ゴロさん、今日休みなんだよ! 休みは基本即読即レス!」
「うわ……構ってちゃん引くわァ……」
「……いや、何かあったかもしれないだろ。……倒れてたり」
「独居老人の心配か。おれのローン未済ハヤブサちゃんに手ェ出す気とか、この節操なしー」
余計な言葉は無視して、スマホを片手で弄る。それから画面を向ける。
一日保険の加入画面だ。
「他人の二輪ナンバーその場で記入できるの何なん? おれもまだ覚えてねェのに」
「基本だろ」
「この、恋の入り口だけフィーリングで後全部データ計算づく腹黒男ー」
「理論派って言え」
「頭悪ィのにな」
「テメェよりはマシだ」
出された鍵を奪い取り、背を向ける。
「ハヤブサちゃん傷つけたら、ゴローさんにお前の三ピー話暴露してやっからな!」
「あれは被害者だ!」
「今カノと盛ってるとこに元カノの不法侵入くらって、そのまま三ピーで使い物になるチンコは被害者じゃねェのよ!!」
そこは気合いだろ。
何でいんの?みたいな顔で出迎えられて割と本気で凹む。マジでまったくオトせてねぇな。オレのツラ見れただけで喜べよ、有料級だぞ。
返信が来ないのを怒らせたかとか、嫌われんのはキツいとか、焦った自分が格好悪くて恥ずくて。
「俺ね。十年前に両親亡くしてて。整理してたら寂しくなったから、キリヤ君が来てくれて嬉しいよ」
そんなところに、またそういう顔で、その穏やかな語り口で言う。
……あの、仏壇の写真だな。まぁ……そういう気配は察したから手は合わせた。一軒家のクセに、どっかさみしい気配あったしな。
口にする内容と、表情が合ってない。
何でそんな、やたら柔らかい笑い方してんだよ。名前とか、時計とか、あん時みたいに、言葉通りさみしがれよ。そしたらオレは、いくらでもアンタを慰めてやれる。
なのに。
から回ってんのを良い子だって頭撫でられるような、甘さしかない態度。無条件に受け入れてくれるような、心地良さしかない空気感。
違う。
そういうのじゃない。
オレは、アンタを、オトしたくて。
オレのものに、したくて。
「……何か、手伝うことあるか?」
「うん? キリヤ君、忙しくないの? あの写真も午前中のでしょ?」
「……一時間くらいなら」
さすがにそれ以上はタクの足がなくて怒られる。
「んじゃ、早めの夕飯の支度、手伝ってもらおうかな。さっきお隣さんにナスたくさんもらってさ。麻婆ナスとナスの揚げびたし、どっちが好き? 嫌いじゃなければ食べる分持って帰ってよ」
「……麻婆ナス」
「了解。俺一度素揚げして作るの好きでね」
ゴロさんが切るそばから、揚げる方をやらされた。むちゃくちゃ油跳ねた。慣れなくて慌てるオレに、ゴロさんは笑ってた。
──なんか、いいな。
結局そのまま食う時間まで居座った。
……タクにデカい貸し作った。やべぇ。
コーディネート通りの服装とイヤーカフに、満足の笑みを浮かべて──その爪が黒いことに愕然とした。
全部オレ好みに、オレのために仕立てたはずなのに、オレの想定外に逃げていく。
左手の薬指の爪もちゃんと黒いのにはすっげぇ安心した。あいつ来るのも拒まずなんだからマジで止めろ。オレを当て馬にすんな。
ただでさえこの後ライブだっつうのに。
──ほら見ろ。
刺激を、衝撃を、持て余して必死だったっていうのに、ゴロさんの腹に力が入った。受け止める気合いが入った。
耳に顔を、食いつけるほど近づけても、ろくに反応しない。真っすぐにステージだけを見てる。
これだからタクのライブは手段にしづらいんだよ。
なぁおい、寄っかかれ。頼れ。縋れ。
オレに落ちろ。
自分の足で、オレの手が届かないとこになんか、行こうとするな。
いんのは、分かってた。
多分バンドアカの打ち上げ写真見てきたな。落ち着いたって聞いて、油断してた。
動いた場合のシミュレーションはあった。チャチなナイフぐらいいくらでもさばける。女相手なら簡単だ。男相手でも、DV男との修羅場ぐらいはさばいたことがある。
空気壊したくねぇし、構って調子乗らせたくもねぇからギリギリまで放置してたら──何でアンタが動くんだよ。
ガリッガリの貧相な身体で、スイッチ入るとマジでビビりで、目なんか悪くて気づきにくいだろうに、なんでここでアンタが動くんだよ!
なんで。
なんでアンタが傷つく。
なんでアンタが倒れてる。
なんで。
「俺ね、ゲイなの。それで君のことが好きで、あの子の気持ちも分かって、でもあの子に君を傷つけさせたくもなかった」
ハァ?
眼差しの温かさに、声音の穏やかさに、何を言われてるのか理解できない。
何だそれ。その感情はもっと、欲望とセットのもんだろ。相手を奪い尽くして囲んで愛して、手に入れようとする感情だろ。
そうじゃないとしても、何でそんな指先だけ触れて、そっと慈しんで撫でて、それだけで幸せみたいに線引きできる。
オレが、欲しいんだろが。
好きって感情は、欲しいって欲望だろが。
何で──アンタの感情はそんなに綺麗なんだ。
…………ああ。
アンタは──護琅さんは──オレなんか目じゃないくらい……『大人』なんだな。
オレの思い通りにならなくても──オレのものにならなくても──護琅さんがオレを好きって言うなら。
……ま、それもありか。
「オレも護琅さんのことが好きだ」
つまりアンタがオレのものにならないなら、オレがアンタのものになりゃいいんだな。欲しいっつわれてなくてもオレが自分で突っ込んできゃいいわけだ。
ん? やってること今までと変わんねぇな。
そんで手始めに抱きしめたら、バカみたいにテンパってんだが、どういうことだ。
お気に入りリストに入ってんのは知ってんだ。すんなり受け取れや。返品受け付けねぇぞ。
「悪かった」
ファミレスで、ミカに頭を下げる。
「……そいつ新しいオンナ?」
「私カワイイ男のコにしか興味ないからキリヤんみたいなマッチョはちょっとぉ。ただのストッパーだからあんまり気にしないでぇ」
「オレもロードスター乗り回して投資の息抜きにバイトしてるタダさんみたいな女はちょっと」
「……あっそ」
聞かれたから答えたのに何で不満そうなんだよ。
「……謝罪って何に?」
「オレがお前の気持ちに応えきれなくなったのは謝る」
「応える気、なくなっただけでしょ」
「……最後まで付き合ってやれなくて、悪かった」
沈黙が返る。
椅子から立ってミカが座る横に立つ。
──それから床に膝をついて、頭を下げる。
「ちょっ、何してんだよッ、ダセェことすんなよ!」
「ちゃんと、終わらせてやれなくて悪かった」
「やめろよぉっ、キリヤそういうんじゃないじゃん! ビジュ強でッ王子でっ……わたしっいなくても……どこでもキラキラしてる……ヤツじゃん……」
見えないとこで、鼻を啜る気配がある。他の客も静まって、店内BGMだけが響く。
ひたすら、頭を下げ続ける。
『君は悪くないです。君の権利を阻害した相手は明確に悪い』
……違う。最初に権利を奪ったのは、多分オレだ。
終わらせるなら、それを返してやるべきだった。
オレの身勝手さで、あの人を巻き込むハメになった。ミカがやろうとしたことを庇う気なんてない。心の底では今もこいつなんてどうでもいい。ただあの人が傷つくことになったのには、オレにも責任がある。
だから、ちゃんと、終わらせる。
しゃくり上げる呼吸が少し落ち着いた頃に、立ち上がる気配があって顔を上げる。
化粧の崩れたミカの顔が見える。
「……これ、治療費とか慰謝料。あのオッサン、知り合いでしょ? わたして謝って……ありがとって言っといて。何もいらないって聞いたけど……ケジメ」
上半身を起こして確認すると、テーブルの上に茶封筒が置いてある。
「今日来たのはこれわたしたかっただけだから、……二度と連絡すんな」
そのまま伝票を抜いて、レジの方へ向かい、精算までして振り返りもせずに去っていく。
「……キリヤんって女の趣味悪いねぇ、王子とかマジウケるぅ」
タダさんがクリームソーダのアイスをつつきながら言う。
ミカが座ってた方の椅子に腰を落とす。
「オレ、夏の道端に転がってるセミ持って帰ったことあって」
タダさんがへぇと、まったく興味のなさそうな相槌を打ってくる。
「暴れて逃げんの虫かごに入れて、食いもん口に近づけたり、冷房かけた涼しい部屋に置いたり、何とか生きねぇかなってやったことあって」
冷房も一応ガキの頭で快適さを考えた末だ。
結果、もちろんすぐ死んだ。
「多分オレの根っこだって最近気付いて」
「恋人の選び方が虫起因とかすごぉいイカれてるぅ。気付いた最近のタイミングがいつかって聞かないであげるねぇ」
……ゴロさんには聞かせられねぇな。
「まぁ男の趣味は悪くないよぉ。あのオジサマ、カワイかったから私もありぃ」
「タダさん!?」




