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7 目が覚めても夢を見ている

 知らない天井だっていうのの元ネタは何なんだっけか。目が悪い人間は、その判別すら曖昧だ。

「起きたかっ?」

「眼鏡無事です?」

 第一声がそれとか思わないでくれ。知らない場所でこの視界は死活問題だ。

「ちょっと歪んだが、店なら直せる。ほら」

 どこかにあったらしい眼鏡を横になったままの顔に差し掛けてくれる。

 いや、手わたしてくれればいいんだけど、──って痛い!?

 位置が定まらないから受け取ろうとして、右手に走った痛みに身体がすくんだ。

「やるからゴロさんは動くな」

 厳しく言い含められて、大人しく待つ。クリアになった視界で見上げるキリヤ君の表情は、泣きそうなのに怒ってるような、複雑なものだ。多少の安堵も、今はいくらか表に出ている。

 硬い台から上半身を起こすと、かけてもらっていた薄っぺらい毛布がずれた。夜間は使われていない診察室のようで、壁掛け時計はあれから結構経っていることを示している。

「状況聞いていいです?」


 キリヤ君の説明によると。

 まず俺の手は、右手を数針縫ったが、大事な腱などは損傷してないそうだ。ナイフが小型の安物で、女の子の手ごと握っていたこと。俺も、女の子も、無理に動かすようなことはしてなかったこと。それらが良い方向に働いた。

 次に頭。緊張からの虚脱で意識を失っただけで、診断は倒れた拍子の打撲のみ。CT検査の結果も異常なし。これは眼鏡のダメージの方が大きいくらい。なのに長いこと意識が戻らなかったのは、時間も時間なので普通に睡眠状態だったそうだ。おじさんで恥ずかしい。もうオールとか無理なんです。お酒も飲んでたからと言い訳させて。


 それから、あの後の状況。

 流血沙汰になってしまったので、関係者の相談の上、警察を呼ぶことにしたそうだ。状況的に傷害は成立しているが、被害届を出すかは俺次第だそうで。


「──出しません」

 診察台の横で、丸い椅子に腰掛けたキリヤ君が、顔を歪める。

「何で」

「どうしようもなく世界に冷たくされてる気がする時って、誰にでもあると思うんですよね。そういう時の過ちを、僕は責めたくない」

「どこまでお人好しなんだ」

「そういうキリヤ君だって、殺人未遂とかで問答無用にしなかったんでしょ」

 あれは本来、そういう形だった。それが俺の被害届うんぬんになっている以上、仲間内のケンカか、痴情のもつれの仲裁で負傷した扱いになってるんだろう。

 自分を殺そうとした人間を野放しにできるのは、それの方が相当お人好しだ。

「オレは……何も傷ついてない」

「そんな顔して?」

 俺よりつらそうな顔して何言ってるんだか。

 まぁこれだと、傷つけたのは俺になっちゃうんだけど。

「何で」

 言葉にならない感情を持て余してるみたいに、キリヤ君がまた呟く。自分でも、何を聞きたいのか分からないんだろう。

 まぁ分かる。自分の痴情のもつれはいいとして、何でそこにおじさんが首突っ込んでくるのかって話だよね。ただあの子と揉めただけなら、君はあの時みたいに冷たいくらいの態度で対処できたんだろう。俺が間に挟まったりするから、ややこしくなる。

 まいったなぁ。

 俺には、大人としてこの『何で』に向き合う責任がある。

 今度こそ隠すはずだったのに、結局全然駄目だ。

 でも──でも、怖いなぁ。

 嫌われたく、ないなぁ。

 無意識に握りしめようとした右手が痛くて、指を震わせて開く。

「俺ね」

 緊張して、言葉がつたなくなる。

 足を伸ばして身体を起こしているのがつらくなってきて、膝を曲げて抱え込む。

「ゲイなの。それで君のことが好きで、あの子の気持ちも分かって、でもあの子に君を傷つけさせたくもなかった」

 呆然とする顔なんて見たくないのに、今日もこの眼鏡の視界は高精細だ。

 好きって感情の強さは、方向性を失うととんでもないことになる。他人だって自分だって、いくらでも殺してしまえそうになる。

 でもその先なんて、ないんだ。

 俺は少しだけあの子よりもキリヤ君よりも長く生きたから、知ってる俺が動かないといけなかった。

 完全に世に言う、余計なお世話なんだろうけどさ。

「それで全部説明つく?」

 これは告白なんかじゃない。ただの説明でしかない。

 押し付けたりなんかしない。ただ君の、こんがらがった感情を解く糸口にだけなればいい。嫌悪でも何でも受け止めるから、俺のことで悩まないで欲しい。

 早くいつも通りの自信家な笑顔を浮かべて欲しい。


 君が笑ってくれるなら、俺がいない世界でもいいから。


 顔が、勝手に俯いてしまう。沈黙が苦しい。どんな結末でもいいから、早く解放されたい。

 あぁ、怖い。

 四十になったって、平気になんかなれやしない。

 それでも──それでも──君に笑っていてほしいから。


「オレも護琅(ごろう)さんのことが好きだ」


 は。

 え。

 は?

「抱き締めてもいいか?」

 え。

 は。

 え?

「ゴロさん?」

 思わず顔を上げて横向いた先で、男前が訝しがってる。

「え、俺まだ意識失ってる?」

「起きてるだろ」

 男前が得心したように笑って、今度は許可も取らずに抱き締めてきた。

 うわわわ、あったかい!?

 すりっと擦り寄せられる顔の肌のハリが!

 背中に回された腕の、回して余りある感が!

 ちょっと許容量を超えるっていうか!

「……嬉しい」

 耳元で吐息混じりに囁かないで!!

 なんだコレ、背中がゾワゾワするぅ!!


 結局様子を見に来た看護師さんにばっちり目撃されるまで、俺の混乱は続いた。


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