6 魂を震わせる音に共鳴して
扉を叩き開けて、おはよー!と叫ぶマッチョなニワトリが右に。それに続いてメッセージ。
『おはようございます。今日の夜はよろしくお願いします』
同じおはよー!と叫ぶマッチョなニワトリが左に。
『ミニイラ買った?』
『この勢い好き。コンビニでプリペイド買うのに、詐欺に遭ってませんか?って言われないか、ドキドキでした』
『クレジットで買えばよくね?』
『クレジットカードの登録先は絞りたい古い人間です』
『何で?』
広背筋を見せつけるマッチョなニワトリ。
『セキュリティリスクの観点で。ってか、聞く姿勢じゃないね?』
大胸筋を見せつけるマッチョなニワトリ。
上腕二頭筋を見せつけるマッチョなニワトリ。
左の連投に、身体を縮こまらせるマッチョなニワトリが右に。
『え、そんなの見当たらないんだけど』
すぐさまもう一つ続く右のメッセージ。
『別シリーズか!?』
『ポージング集』
『何に使うの、それ!?』
『今度やってやる』
『リアルで求めた覚えないんだけど!?』
少し空いたあと、上腕二頭筋を見せつける、ミニイラストと同じポーズ、上半身裸の写真。シャワー上がりなのか、髪が束になっている。
『出勤前だから一枚だけな』
『僕はもう始業です馬鹿!』
アディオス!と羽ばたくマッチョなニワトリ。
※ ※ ※
上がり下がりを体現したような表情変化が、目の前で起きた。
「何で!?」
使い捨てのコーヒーカップごと手を鷲掴まれた。この世の終わりみたいな絶望的な顔で、キリヤ君が俺の爪を見ている。
「えっと……流れで?」
理由を問われればそれしかない。価値観のアップデートを試みようとこの間思って、キリヤ君のおかげで今日ライブに行くことになって、黒のマニキュアってかっこいいねと轟さんに軽率に呟いて。
そういう諸々の流れで──今、俺の爪は黒いわけだ。
ツヤツヤして綺麗だなぁとは思うけど、やっぱり四十のおじさんのマニキュアはキツかっただろうか。触り心地もツルツルしてて楽しいんだけども。
しばし呆然としたキリヤ君が、ハッと気づいたような顔になって、持っていたものをテーブルに放り出し、今度は俺の左手を取る。そちらも当然黒く塗られている。
けれど何か安堵した様子でキリヤ君は両手を掴んだまま、今度は脱力したようにテーブルに突っ伏する。
「……藤田さん、この人?」
大丈夫かと、斜め向かいに座っている轟さんが視線で聞いてくる。うん、普段とっても常識人なはずなんだけど、どうした。
「……悪い、動揺した」
お、セルフリセット入った。顔を起こしたキリヤ君の表情は、やや複雑ぐらいのしかめっ面になっている。
うん、とりあえず分かったから手を離そう。残りのコーヒー飲めないし、あとおじさんはドキドキして手汗がひどい。
「えー……っと。轟さん、こちらが矢崎桐哉君。タク君と直接お友達の、今日の恩人さんです」
「お世話になります……」
キリヤ君、いい加減第三者に意識を払おう。轟さんが業務中みたいになってる。
「……ああ、アンタがゴロさんの職場の趣味の悪い」
「ゴロさん?」
「趣味悪いとか僕言ってませんからね!」
急に冤罪をかけられた! 何事!?
「藤田護琅さんだからゴロさん。タク推しはどいつもこいつも趣味が悪ぃ」
「気のおけない仲的な軽口ですよっ。悪口じゃ多分ないですよ!」
「まぁ、タク推しそういうとこある」
「だろ」
「そこで分かり合うのかぁ」
若者、分からん。
それでもようやっとキリヤ君が俺の手を離してくれたので、今の一瞬の緊張でカラカラになった喉に、残りのコーヒーを流し込む。
「違ったら悪いけど、もしかして『つちのこキリヤ』?」
改めてキリヤ君も椅子にかけたところで、轟さんからおもしろい単語が出た。なんだ、そのレアキャラ感。
途端にキリヤ君はまたしかめっ面を浮かべる。
「忘れろ。……これだからタク推しはマニアックで嫌なんだよ。今セッティングがちょっと押してて、十五分後ぐらいに出りゃちょうどいいはずだ」
言って、先程卓上に放り出したものを轟さんの前に掲げる。
「今日のライブティーシャツ、一枚持ってきたけどいるか?」
「マジ神」
「ここトイレ少ないだろ。着替えるならあっちで借りてこい」
手早く金銭授受が行われ、そうして轟さんは向かいの複合施設の方へと駆けていく。
置いてけぼり感つよーい。
「あの、僕もお支払い……」
「ゴロさんはオレの招待枠」
「僕はティーシャツ……」
「オレの見立て最高だな」
機嫌良く笑う視線の先が、右耳のイヤーカフを見てるのが分かる。キリヤ君の左耳にも、同じ形のイヤーカフが光っている。……いいのかなと思いながらも、やっぱりちょっと嬉しい。轟さんの推しとのお揃いネイルとかも、こういう気持ちなのかな。
今日は全身キリヤ君コーディネートの、先日アウトレットで買ったものだ。タイトめな濃紺デニム。いつもの仕事用より風合いが柔らかい、ラインがアクセントの白シャツ。カジュアルさのあるレザー調の紐靴。
ここにライブティーシャツというものが入る余地はないらしい。そこは少し残念。
「それで、つちのこキリヤって……」
「だからタク推し嫌いなんだよ……!」
タク君のバンドは、ボーカルが二人目なんだそうだ。その一人目がキリヤ君──なんてこともなく、二人の知り合いの、年上の人だったらしい。
ところがこの一人目さん、とにかくアクシデント体質で。ライブ当日喉がヤバいことはザラ、渋滞や公共交通機関の遅延による遅刻、はては突然の交通事故まで頻発していたらしい。で、ツインボーカルでフォロー入れたり、到着までしのいだり、代打したりで初期は割とキリヤ君がステージに立つことがあったらしく。ところがCDなどの音源には絶対残っていない。二人目に変わって以降は、ステージにも立たない。おかげでキリヤ君を幻のメンバー扱いするファンがいて、ついたあだ名が『つちのこキリヤ』。
いや、ロック感ゼロだな。
なお一人目さんは、事故で足を骨折した時の女医さんと電撃結婚した上に、なんやかんやで渡米したらしい。ドラマチックがすごい。
※ ※ ※
──音は、震えなのだと知る。
暗い中、灯された先の舞台。観客の熱狂。歓声などものともしないスピーカーからの轟音。
圧倒されて後ろの壁に背がつく。それでも容赦などなく、音が身体に叩きつけられる。逃がすまいと、許すまいと、腸の奥まで暴いて揺らされる。
それが──不思議と心地良い。
どうしてか心惹かれる。
腹に力を入れ、前のめりになって壁から背を剥がす。
「気分悪くなったら言え!」
近づいて、吐息も触れる距離でキリヤ君に耳元で言われても、言葉もなくうなずくことしかできない。
あぁ、世界には、こんな場所もあるのか。
「アタシ、就職失敗した時死にたくてぇ……でも弟の部屋でかかってた曲のギターがなんかうるさくてぇ……死にたいとかどうでもいいから俺のギターを聴けって、すっごい鬱なのにすっごいうっさくてぇ……っ」
「うっさいうっさいお前がうっせぇよ。あーもう泣くな、おら、ちゅーしてやるから黙れ、泣きやめ」
見てはいけないものを見ている気がする。
「同僚さんの、左手の薬指見えるか?」
職場の女の子がぐちゃぐちゃに泣いているとことか、その子に普通にキスしてるタク君とかに固まっていたら、隣からキリヤ君に言われる。
今日朝から疑問だった、轟さんの左手の薬指。いつも綺麗に塗られていた黒のマニキュアが、左手の薬指だけ剥がされていた。ピンク色の爪本来の色が見えている。無防備な剥き出しの、生身の色。
セクハラの予感があって、聞けなかったそれ。
「固定パートナーなし、お触り自由のサイン。タク推しファンの暗黙の了解」
覚悟があっての触れ合いは、セクハラじゃないのか。なるほど。そりゃそうか。
わんわん泣いている轟さんが、そのまま打ち上げを楽しんでいる人達の元に、タク君に抱かれたまま連れて行かれる。
「最近はデカいとこ多めだったからなかったが、割とあるんだよ、アニマルセラピー」
少し不安に思いながら轟さんを見ているのが分かったのか、キリヤ君が言ってくれる。
アニマル。
……あれ、今なんの話してる?
「なんかアイツに引っ付いてるだけで、色々吹っ飛ぶんだと。一緒にすると動物に失礼だけどな」
「すごい勢いでタク君下げてくるね」
「あのロクデナシが堂々と生きてんだから、自分も生きてていいって気になるんじゃね」
なるほど。ぶっきらぼうであっても、これはタク君に任せてても大丈夫という保証と同義だな。タク君とキリヤ君の信頼の現れだ。
なら、大丈夫か。
にしても。
「キリヤ君が俺の左手チェックしてたの、そういうこと」
「……お触りは駄目だろ」
それ男も対象なんだ。それは確かに困るなぁ。
打ち上げも時間が過ぎ、人がまばらになり始める。轟さんは離れていったままで、キリヤ君は帰りかけてた知り合いに挨拶しに通路へ。
一人、勝手に定位置にした壁際で、ぬるくなったビールを缶から飲む。
「ゴローさん、キリヤのことどう思ってんだ?」
近づいてきたタク君が、挨拶みたいな気軽さで聞いてくる。
「──好きだよ」
言った途端、隣に座り込もうとしていたタク君がバランスを崩して壁に頭を打っている。
「飲みすぎじゃ」
「いやそこは、あんなやつのことなんか別に好きじゃないんだから!とかだろッ」
「キャラが古いなぁ」
下手したら二十年前くらいのステレオタイプだ。タク君、未就学児だろ。どこでその知識仕入れた。
タク君が一人でいることが不思議で轟さんを探したら、向こうのテーブルで熱心に女性と話し込んでいる。その女性も黒のマニキュアをしていて、左手の薬指だけ元の爪のままだ。
「おれのファンとファンが意気投合して、おれがのけ者になった」
どういうことか問うまでもなく、完全に座り込んで壁に背を預けているタク君から答えが来る。
「よくあること?」
「ちょいちょい。何年何月のライブのあの曲の時のギターが!っつわれても知るか。最新が一番イケてるに決まってるだろが。今日の話しろ、今日の。……まァおれのギターがいつでも最高なのは否定しねェけどな」
思わず、缶につける口端が上がってしまう。
いいなぁ。タク君とキリヤ君がうらやましい。
自分を誇れる二人が、互いを認め合っている二人の関係性が、見ていて気持ち良い。二人とも、中身の伴わない自信に付き合うような性格ではない。遠慮のない二人のやりとりは、どこか安心できる。
こんな友達がいて、二人ともいいなぁ。
「──性愛込み?」
声音の温度差に、息を呑む。遠くに向けていた視線を左で下げると、ライブ中に見た眼差しと同じ熱に向き合うことになる。
言葉を探して、笑って目を閉じる。
「俺はゲイだけど、そういう意味ではノーだね」
「さっきからノーガードだな」
ヘラっと笑って返す。
アニマルセラピー、多分俺にも効いてるんだよな。
音を思い出す。身体を震わせて、奥の奥にあるものを引きずりだそうとする、あの音を。
どうしようもなく魂を揺さぶる、音を。
「俺の殻なんか簡単に切り裂いてくギター、最高に格好良かった」
へぇと、気のない返事が返る。
それから、組んでた左肘の袖が引っ張られた。どうしたのかと腕を垂らすと、触れる熱がある。タク君が俺の指先をすくって、爪を見ている。
轟さんが塗ってくれた、鉄壁でピカピカの爪。
「お触り厳禁だよ」
「アイツ、だいぶおかしいヤツだからな。言っとくが」
「完璧よりよっぽど良いんじゃない?」
通路から戻った途端、こちらを見て血相を変えているキリヤ君を見て言う。
──次の瞬間には、キリヤ君がタク君を蹴り飛ばしていた。
うん、それはやりすぎ。
片づけも終えてお開きの空気になっても、最後の時間を惜しむようにみんな、ライブハウス前で声をかけあってる。
そんな中、端でスマホ片手に悶えてる轟さんに近づく。
「大丈夫?」
お酒とか情緒とか、全方位的に。
とりあえず顔を上げた轟さんのメイクはどこも崩れてない。俺の目が節穴なのかも知れないがすごいな、あれだけ泣いてたのに。そういう用の化粧品があるのかな。
「公式アカ写真で見切れてしまったぁ……」
向けられた画面には、数時間前の投稿時間で打ち上げ最初の方の写真が映っている。バンドメンバーが中心で、キリヤ君も自撮り用の見せスマイルとは違う、自然な笑顔を浮かべている。
あ、いきなり轟さんが逃げ出して何事って思ったヤツ。見事に端の方に背中を向けてる挙動不審おじさんがいる。轟さんはその横で、身体だけ逃げ損ねて写っている程度だ。
「ファンにあるまじき失態……」
「これで?」
すごい顔で轟さんが唸ってる。
にわかのクセに写ってる俺、ファンに処刑されるんじゃないか?
タク君にキスされてたけどそれよりそこなんだ。これ多分、バンド周りってこういうものって思ったら駄目なヤツだな。端っこだけ体験して、知った気になるの良くない。
「今日はマジでありがとうございました」
ポチポチ……というか、ダダダダダという勢いでスマホを操作しながら、轟さんが言ってくる。その真剣な顔が、スマホ画面の光でぼんやりと照らされている。
「キリヤ君のおかげであって、僕は何も」
「藤田さんのそういうとこ、アタシ好きだし嫌いですよ」
轟さんが操作を止め、上目遣いに、でも睨むように強く見つめてくる。
「根っこのとこで人付き合い怖がってるのに、人のために親切で動けるとこ好きです。自己肯定感めちゃくちゃ低いとこは、嫌いです」
強く見える眼差しは、危ういバランスで成り立っていると今日知ってしまった。
「分かるんです。アタシも面接落ちまくって、世界にアタシなんかいらねぇって言われた気になってましたから。同族嫌悪ヤバいんで、感謝ぐらい受け取ってください」
あぁ……もう、みんな剥き出しでキツい。
「じゃあ、どういたしまして。轟さんは今働いてるだけですごいよ。俺なんか就職失敗した後、八年も引きこもってたんだから」
自分の汚点を、赤裸々に口にできる。こんな空気、俺は四十年知らなかった。
「駄目マウントもダサいんで、ほどほどにした方がいいですよ。……今思うと面接官、何様だと思いません?」
「分かる。俺みたいに努力するクソ真面目採らないとか見る目ないよ」
「一回かつらバレバレの高圧的なヤツいて。あそこでブチギレてむしってたら、その後はっちゃけられてたかもです」
「その武勇伝ある轟さんとは、俺震えてろくに話せなかっただろうなぁ」
想像して、声に出して笑ってしまう。今という時間は、そういうあったかもしれない選択を選ばなかった奇跡の産物で。そう思うと少しだけ、轟さんと話せる就職失敗という過去を持っていることを、悪くないと思ってる自分がいた。
路上の中心の方で、蹴りを入れてからずっと揉めていたキリヤ君とタク君が、ヘッドロックの体勢で落ち着いた。もちろん、キリヤ君がタク君に。まぁタク君、上背あるけどヒョロいもんなぁ。ひそかに仲間扱いしている。いや、比べるべくもないんだけどヒョロっと感が。
あそこがギブアップしたら本当にお開きの流れかなと、周りの状況を見る。
「轟さん大通り出てタクシー拾う?」
「あ、アタシ配車サービス呼んでます」
「配車……サービス」
若者たちは効率的だ。タクシーに乗るまで見送る気でいたが、おじさんの余計なお世話だったらしい。
「藤田さんどこ住みですか? 方向同じなら乗ってきます? 運転手に話したらある程度変更もできるんで」
「お言葉に甘えようかな」
住所を告げて、問題はなさそうと確定する。どっちから来るんだろうかと視界を広くして──小さな光を目にした。
反射でしかない、小さな光。
「藤田さん?」
轟さんの言葉を背に歩き出す。確証も何もない、不安だけで動き出した足は、目にしたものに速まっていく。
いつの間にか場に混じった、黒髪の、華奢な女の子。じっと他なんて目に入らない様子で、キリヤ君を見つめる女の子。
「──殺したら手に入るなんてことはないですよ」
その手に、両手を重ねて包み込む。
──固く握られたナイフごと。
「五年経ったら声を忘れます。十年経ったら表情を忘れます。こんなことして残るとしたら、後悔と寂しさだけです」
仏壇に飾った写真は古いもので、父の写真は免許証、母に至っては十歳近く若いものだった。あの世代は写真を撮らない。どちらも自分が知るものとは違いすぎて、記憶はどんどんボケていく。いないことでぽっかりと空いた穴だけが、今も埋まらない。
振り絞って、選んで、それでも口から出た途端に言葉は薄っぺらくなる。だってこれは俺の感情だ。彼女の感情は彼女だけのもので、俺はそこに切り込む手段なんか持っていない。
血が、手の平から滴って、滑りそうになる。
それでも、震える手を握り続ける。
「このナイフで傷つくのは、君の未来だけです」
駄目だ。全然駄目だ。
異変に、周りの空気が変わったのを感じる。
頼む。気づいたとしてもできるだけ黙っていてくれ。刺激しないでくれ。人の不満と向き合ってきた十年の経験が、今の俺を動かしている。
キリヤ君だけを見ていた顔がぎこちなく横向けられて、その瞳に俺を映す。
「わたしがこんなに苦しいのに、何で笑ってんだよ……」
理不尽な怒りの言葉。
でも彼女の表情に浮かぶのは、それじゃない。
悲しみが深すぎる時、人は外側を怒りで覆うことがある。
ノイズが、頭にチラつく。
好きになってしまっただけだった。
なのにどうして俺は傷つけられなくてはならなかった。
自己満足で告げたせいか。
気持ちが悪いならそう言うだけで良かっただろう。
──何で弄ぶみたいに触れる必要があった。
何であいつらは笑ってた。
何で──何で──!
がちりと、奥歯を鳴らす。
「彼は彼自身のものだから。笑うも泣くも怒るも、それを邪魔する権利は誰にもないんです」
自分以外を操作することなんて、誰にもできない。
でもだからこそ。
「君も、泣きたいなら力いっぱい泣いていい」
自分だって自由でいていいんだ。
女の子の目が揺れる。潤んで涙ぐんで。抑えている手の中、力が抜けていくのを感じる。その細い身体が、がくりと膝を折って崩れ落ちる。
ゆっくりとナイフを抜いて落とし、それから女の子の震える背に手を置く。
自分に優しくない世界を恨む気持ちは、誰にだってある。もがいても、あがいても、落ちていくだけのどうしようもない孤独。でもその世界にだって寄り添える存在がいることを、少しでも分かってもらえるように。
──ああ、でも、手、痛いなぁ。
「ゴロさん……」
押し殺した呼び声に振り返る。踏み出したくても踏み出せないって姿勢でいるキリヤ君に、へらりと力なく笑顔を浮かべてみせる。よく待てました、だ。制圧なら最適だろうけど、説得には劇薬過ぎるからね。それが分かってるだろうから、今もそんな小さな声で呼びかける。
ホントに、よく気がつく子だなぁ。
そんな彼の身体が傾いて。
「ゴロさん!」
──あ、違う、これ、俺の身体の方だ。
眼鏡、嫌な音鳴った気がする。
「救急車っ」
「配車っ、配車もうすぐ来ます!」
あぁ、若い子に迷惑かけて、俺ってダメな大人だなぁ──




