大好きですっ! 師匠っ!
——ヴェルガンド領の門から少し離れた森の奥に隠された小さな家。マクレインが仕事をサボる時によく使う隠れ家だ。魔物の群れから逃げ切れたものの、満身創痍の二人。
——機動力を重視するため、両脚にほとんどの闘気を使いながらも、百を越える魔物を殴り殺したオノチャンの両手は、もはや握ることも、開くことさえもできない。
——それでも、感覚のない両腕で抱きかかえたマクレインをベッドに寝かせると、薬棚からハイポーションの瓶を口でくわえて取り出した。そのまま壁に叩きつけて瓶を割り、こぼれた薬液を両手ですくい、マクレインの身体に振りかけた。
——両手ですくったハイポーションは、オノチャンの両拳を、日常動作が可能な程度にまで回復させる上等な品だった。しかし、すでに生命力の大半を失っているマクレインに対しては……少しばかり呼吸を楽にする程度。気休めに過ぎなかった。
——ヴェルガンド領を燃やし尽くす炎は、森の奥に隠されたこの小屋から見てもはっきりとわかるほど、滅びゆく二人の世界を明るく照らしていた。
「……」
「師匠」
「オノ……チャン」
「師匠……無理しないでください……」
「ここは……」
「いつも師匠がサボってる小屋ですよ。ほら、森にある」
「あぁ……」
師匠と二人きり。この場所へ来るのは、ずいぶん久しぶりですね。森の奥に隠された小さな家。昔、師匠が私を連れてきてくれた隠れ家です。あの頃は、秘密基地みたいだとはしゃいだものでした。
……。
師匠。そんな目で見ないでください。
わかっています。私だって拳闘士です。師匠には及びませんが、それでもヴェルガンドで最強と呼ばれる者の一人ですよ?
これまで、何人も、何十人も……何百人もの死を見てきました。
だから、もうわかってしまうのです。
師匠は……もう助からないって。
私たちは、間に合わなかったんだって。
……。
「オノチャン」
!?
師匠……! 呼吸ができるように——
「師匠……」
「ははっ。どうせ死ぬんだ。オノチャンと話せる最後の時間だぜ? たくさん話そうよっ」
「師匠……。ふふ。そうですね」
——微笑みかけるオノチャンの視線の先……マクレインの体を包み、激しく揺れる空色の闘気。傷ついた肉体を繋ぎ止めていた最後の生命力を燃やし、残された時間のすべてを、愛する弟子との会話に捧げようとしていた。
「……急いで帰ってきちゃったんだな〜」
「……え?」
「オノチャン。ヴァリアントドラゴンの肉、今あるか?」
「……あります」
「せっかく持ってきてくれたんだ。食べさせてくれ〜」
——マジックバックから、丁寧に血抜きされたヴァリアントドラゴンの肩ロースを取り出すと、一口大に切り分けて手に取るオノチャン。
……。
あぁ。
本当なら、師匠の好きな焼き加減……ミディアムレアに焼き付けた後、塩胡椒で軽く味を整えて……。それから、デイコンおろしに醤油をかけたものと、師匠は嫌がるけど、野菜も……野菜も……食べなきゃ……栄養バランスが……。
ふふ。忘れていました。もう……野菜嫌いの師匠に無理やり食べさせる必要も、栄養バランスを考える必要も……ない事を。
——オノチャンが手に持ったヴァリアントドラゴンの肉に、大粒の涙がこぼれ落ちた。
あら、ちょうどいいところに。流石になんの調味料も無しでは味気ないと思っていたの。涙なんて、久しく流していませんから、お塩もたっぷり入っているんじゃないかしら?
「師匠……お口を開けてください」
「……ああ」
——大粒の涙をこぼしながらも笑顔は絶やさず、震える手でマクレインの口へ肉を運ぶと、マクレインはゆっくりと噛み、飲み込んだ。
「……おお。これは……」
「……」
「やるなあ……オノチャン」
……。
あぁ。
その言葉。
聞きたかったんです。
「血抜きが良かったのかもしれませんね。ドゥラウスが珍しく、頑張っていましたよ」
「ははは。どうせオノチャンが急かしたんだろう。あまりドゥラウスをいじめてやるなよ」
「ふふ。師匠……初めてのヴァリアントドラゴンのお味はいかがですか?」
「あぁ、美味しいよ。ありがとな。オノチャン。ほら、こっちにおいで」
——三十にもなろうとする女性……オノチャンを呼び寄せると、いつものようにオノチャンが大好きな優しい笑顔を見せ、穏やかな声で褒めながら、いつもより……冷たい手で、オノチャンの頭を撫でる。
「ふふ。師匠。もう子供じゃ無いんですからっ!」
「嫌いか?」
「大好きですっ! 師匠っ! 師匠! あ、あ、うああああああ」
「はは。俺もだよ、オノチャン」
——いつものように優しくオノチャンの頭を撫でるマクレイン。いつもと違うのは、冷たい手。それと、オノチャンの小さな体を両腕で包み込んでいること。それだけだ。




