第6話 絶対に許さんぞ
——冷たさを増していく体で、オノチャンを優しく抱きしめるマクレイン。どれほどの時間が流れたのだろうか。永遠にも、一瞬にも感じられる静かな時間。燃え盛る街も、迫り来る死も、今の二人には関係なかった。ただ、互いの温もりだけを確かめるように、いつまでも抱き合っていた。
「オノチャン」
「なんですか? 師匠」
「これを使ってくれ」
——マクレインが肌身離さず身につけていた、一本だけ黒い線が入った緋色のペンダントを差し出して続ける。
「師匠……これは?」
「未来を変えてくれ」
「未来? 師匠……何を……?」
「俺にはできなかったけど、大丈夫。オノチャンならできるよ」
「師匠……?」
「だって、あのガリガリが竜を倒せたんだよ?」
「どういうことですか……」
「そんなの、俺にだってできやしない」
「……」
「それに……あの目。あの状況でドゥラウスを睨む奴なんて……面白すぎるだろ」
「もう……師匠」
……覚えていたんですね。初めてお会いした、あの日のこと。
「その時からずっと……オノチャンの目が、大好きだったんだ」
「……師匠」
「……おいで」
もう、いるじゃないですか。ここにいますよ。師匠。
「……よく頑張ったな。こんな小さな体で」
「……うっ……ううっ……」
「ふふ。自慢の弟子だ」
……。
師匠。
そんなこと言わないでください。
褒められたら、嬉しくなってしまうじゃありませんか。
「俺は……もう四回……四回やり直したけど、古代龍を倒せなかったんだ」
「え!?」
「今回はオノチャンがいたから、いつもより気合を入れていたんだけど……それでもダメだったんだ……みんなを守れなかった」
「師匠……何を……」
「だから……オノチャン。申し訳ないけど、自慢の弟子に任せてもいいかな?」
……。
やり直し……四回!?
さっき渡されたこれは……まさか! 師匠も!?
——マクレインがオノチャンに手渡したのは『魂の回廊』と呼ばれる秘宝。闘技場が生み出すSSSランクの魔物を討伐した際に低確率でドロップする魔道具は、取り込んだ者が命を落とした時……その魂を、五回まで回帰させることができる。
——回帰と転生……オノチャンはマクレインにだけ、酔った勢いで打ち明けたことがある。ガリガリの体で竜を倒した方法を。三度の死、三度の回帰……オノチャンの頬に残る一本の刺青は、偶然にもオノチャンの魂が乗り移ったガリガリのグラディエーター『172番』が取り込んだと推測される『魂の回廊』と同じ効果を持つ何かだ。
「師匠っ! 私にはまだあと一回! 残っているんです! だからっ! 一緒にっ!」
「……だめだよ、オノチャン」
「どうしてっ!」
「わからないんだろ? それが、まだ残ってるか……」
「それは……」
「それに、俺もオノチャンも……やり直す時は別々だ。知ってるだろ?」
「知りません……そんなの知りません!」
本当です。本当に知らないんです。私がこの世界に来た時は、生き残るのに必死で……クソみたいなセーブポイントを選んだ、『172番』のせいで……何もわからないうちに、三回も竜に殺されたんですから。
今もまだあの、闘技場の控え室にセーブポイントがあるのか、そもそもこの頬にある刺青が残機なのか、最後の魂なのかすらわかりません。
そんな私が、二人同時に死んだ時、同じ時間軸に移動できるかなんて、わかるわけがないじゃないですか。
だけど……師匠がそういうのだから、そうなのでしょう。
私が大好きになってしまったこのバカは、適当なことは言うけれど、嘘はつきませんから。
「知ってるだろ? 俺は……わがままなんだ」
知っている。『魂の回廊』のことは分からなくても、そっちのことはとてもよく知っている。
わがままで、バカで、怠け者で、強くて、優しくて、独り言がはじまると止まらない。街のみんなに好かれている。私の大好きな師匠のこと、知らないわけがないじゃないですか。
「……師匠」
「今回だけなんだ。ガリガリの拳闘士が、やばい目つきで睨みつけてきたのは……」
「……」
「毎回、最初に真っ二つにされていた、あのガリガリが……」
「……」
「次、俺が戻った時……ガリガリの『172番』が……竜を倒せなかったら……オノチャンが死ぬところをもう一度見たら……俺はもう耐えられない」
「師匠……」
「だから、オノチャン。俺を救ってくれないか?」
「……」
「俺は……大好きなオノチャンと一緒にいられる今回を……最後にしたいんだ」
「ずるい」
「オノチャン。知ってるだろ? 俺はずるいんだ」
「バカ」
「ははは。それも知ってるはずだ……なんでも知ってるな。オノチャン」
ずるい。師匠。そんなこと、言われたら。私が断れるわけないでしょう。
「師匠……わかりました。私は絶対に! 師匠との約束を果たします!」
「……ありがとう。オノチャン」
——怖いものなど、何一つなかったような男が、本気で安堵の息を漏らした。
「俺の書斎の……棚の裏に……隠し通路がある」
「……はい」
「入り口に触れて、闘気を込めて、合言葉を言えば……開く」
「合言葉……ですか?」
「ああ」
——マクレインの命を繋ぐ、最後の闘気が、そろそろ尽きる。もう、二人に残された時間は……ほとんどない。
「……夕月」
「!?」
「俺だって……酔っ払ったら、なんでも忘れるわけじゃないさ」
……。
……夕月。
小野夕月。
日本の女子大生だった頃の、私の名前。
……。
どうして、そんなものを合言葉にしたんですか。
『回帰』と『転生』……私と師匠しか知らない二人だけの秘密。
あのとき、確かに話しましたが……二人とも、酔っ払っていたじゃないですか。
私がどこから来たのか。どうして、この世界にいるのか。ぜーんぶ酔っ払いの戯言……だったはずです。
私はもう、前前前前世のことなんか、酒の席のネタにするくらい……どうでも良いのに。私はもう、小野夕月ではありません。
『マクレイン・ヴェルガンドの弟子 オノチャン』
その名前に、誇りを持っています。
それなのに。
それなのに……。
こんなにも、心が温かくなるなんて。
前前前前世も含めて、初めてなのです。
……。
大好きな、本当に大好きな人に、自分の名前を呼んでもらったのは。
だって、5回も死んだと言うのに、たった一人しか居ないんですから。
私の愛した人は……。
師匠。あなただけなんですから。
……。
あぁ。
師匠がもうすぐ死ぬというのに。
私ときたら、困ったやつですね。
涙が止まらないのに、頬が少しだけ……緩んでしまいます。
「……師匠」
「……ん?」
「名前を呼んでください」
「……ふふ。夕月」
「はい」
「いい名前だな。夕月の世界にも、月はあったんだな」
「……ありましたよ」
「……そうか」
——マクレインが小さな窓の向こう側を見ると、夕月もつられてそちらを見る。
「……月は、出ているかな」
——マクレインの体を支えて窓のそばへ連れていく夕月。森の向こうに、赤い光が見える。燃え続けるヴェルガンドの街。その上に、赤く染まった月が浮かんでいた。
「師匠……見てください。あれですよ」
「……ああ」
「私の世界にも……あんな感じの、赤くて丸い月があるんです」
……。
本当は違います。
あれは、街を燃やす炎の色です。
炎に照らされた空に浮かぶ月が、赤く見えている。
ただ、それだけです。
私の知っている綺麗な夕焼けなんかではありません。
それなのに……美しい。
皮肉なものですね。
師匠の目から見てもあの夕月が美しければいいなって、そう思います。
「……綺麗だな」
「はい。師匠」
「夕月」
「はい」
「名前の通り……綺麗だね」
……。
もう。
師匠ってば。
こんな時まで——。
「おいで」
——夕月の返事を待たずに抱きしめるマクレイン。
「夕月には悪いけど……俺は幸せだよ」
「……師匠?」
「最後の最後に……本当に大好きな女の子を抱いて死ねる」
「……」
「これ以上に幸せなことは……ないさ」
……。
師匠。
師匠。
……。
師匠、師匠、師匠——。
「師匠……師匠……!」
「まったく……泣き虫ちゃんだな」
「愛しています!」
「ありがと。俺も、愛しているよ」
「絶対に……絶対に私は! 次の私が古代龍を倒しますから! ドゥラウスを! レオニクスを! この街を! 師匠を! 大好きな師匠を! 守って見せますからっ!」
……。
「だから……安心してください!」
——夕月は、マクレインを抱きしめる腕を一度だけ緩め、その唇に、自分の唇を重ねた。
……。
「愛しています……師匠」
「……あ、ああ。まったく……困った弟子だ」
「師匠」
「死ぬ前に……、俺の知らない喜びを……またひとつ教えてくれてしまったな」
「……」
「どうしてくれるんだ……未練ができてしまった」
——マクレインの目から一筋の涙がこぼれ落ちる。
「……はは。続きは、次の俺に任せるしかないな」
「師匠……」
「だいぶ長く持ったとは思うんだがな……いよいよ……年貢の納め時みたいだ……」
「……」
「……夕月」
「……はい」
「……もう一回。いいか?」
「はい。師匠……愛しています」
何回だって。何百回だって。師匠が望むなら——。
——夕月は、もう自分の力で動くことも、微笑むこともできないマクレインの、冷たい唇に……唇を重ねた。
——マクレインの呼吸は、少しずつ弱くなっていく。
……。
——小窓から見えていた月は、すでに見えなくなっていた。
……。
——マクレインの呼吸も……鼓動も……すでに止まっている。
——それでも夕月は離れない。
もう一回。
師匠の最後のお願い。
生きている師匠との最後の口付け。
もう、二度と会えない。
次に会う師匠は……もう、私が本気で愛した師匠では無い。
最初で最後の愛する人。
そんな相手との最後の口付けを、簡単に終わらせられるほど、私は潔い女ではないのです。
離したら……終わってしまう。
そんなのはごめんです。
……。
オルドリアの兵士どもを八つ裂きにしてやりたい。
あのハイヒューマンを、古代龍を、魔物どもを。
一匹残らずぶち殺してやりたい。
はらわたが煮え繰り返る思いだ。
でも、それは次回にとっておいてやる。
命拾いをしたな……クズども。
私は今忙しいんだ。
師匠の……最後の「もう一回」を、死ぬまで続けるのだからな。
……。
「……こんなところにいたのね」
——聞き慣れたハイエルフの声と同時に、オノチャンの背中から胸へ、深々と突き刺さる一本の槍。
……。
あぁ。
なるほど。
お前だったのか。
エルセフィア。
……。
まあいい。
そんなこと、《《今はな》》。
「……オノチャン?」
背後から何かが聞こえる。
どうでもいい。
私は師匠の最後の「もう一回」に集中したいんだ。
話しかけるな。
話しかけても無視するぞ。
槍がどうした。
どうでもいい。
師匠。
師匠。
師匠。
……。
何も見えない。
何も聞こえない。
何も感じない。
懐かしい……思い出したくもない。
何度経験したって慣れやしない。
あの感覚。
……そうか。
終わったんだな。
最後の「もう一回」は。
さようなら、師匠。約束は絶対に守ります。
その後にまた、会えるといいですね。
……。
さて。
始めようか。
復讐を……。
絶対に許さんぞ。
◇
その日。
巨大な闘技場を中心に栄え、多くの人々で賑わっていた都市ヴェルガンドは、滅びた。
◇
◇
◇
——ガタッ




