第3話 一応これでも……英雄……だからね……
街が……ヴェルガンドの街が燃えている……!
セレーヌのパン屋も、ガルドの武器屋も、師匠の好きな……図書館も……。
——上空に立ちこめる黒煙の向こうを、巨大な影が横切った。あれは、竜だ。それも一匹や二匹ではない。翼を広げた竜の群れが炎を吐き、燃え盛る街並みにさらに火を注いでいる。
——大通りには、建物の二階に届こうかというハイオーガがいた。巨大な棍棒を振り回し、逃げ惑う人々を追い立てている。その向こうでは、グレイテストボアが石畳を砕きながら商店へ突っ込み、建物を丸ごと倒壊させていた。
何ですか……これは。
ゴブリンも、オークも、見たことのない魔物までいる。竜とハイオーガが同じ場所で暴れているなんて、どう考えてもおかしいでしょう。
こんなもの、ただの魔物の襲撃ではありません。
「オノチャン! 闇雲に突っ込むな! 俺たちも——」
「師匠を探さなきゃ!」
「ンガァ! ワカってる! だからこそ、まずは状況ヲ——」
「師匠っ!」
師匠……師匠っ!どこにいるんですか!? 師匠っ!
領主館? 違う。あの人が自分の屋敷に閉じこもっているはずがありません。街の人たちが襲われているのなら、真っ先に助けに向かうでしょう。
城? いえ、もっと多くの人を守れる場所がある。
……闘技場。
グラディウス大闘技場! あそこなら数万人でも収容できる。頑丈な外壁に囲まれ、戦えるグラディエーターたちもいる。
何より、あそこは師匠の——。
『なあ、オノチャン。この時間の闘技場って、綺麗なんだよなあ』
『師匠。また飲んでるんですか? 晩ご飯の前ですよ?』
『まあまあ。オノチャンも見てみなよ』
『何をですか』
『ほら、あれ。月だよ。ちょうど夕日が沈む頃に見える赤い月……俺はこの貴賓席から見えるあの赤い月が大好きなんだ』
『……そうですか』
『こうしてここで一緒にいると、オノチャンと初めて会った時を思い出すな〜』
『そんなこと忘れてください。恥ずかしいです』
『え〜。あの獣みたいな目で狂気の笑みを浮かべたガリガリの剣闘士を? そりゃあ無理な相談だよ〜』
『忘れさせてあげます! 今日はドワーフの酒を開けましょう!』
『ははは。オノチャンには敵わないなあ』
……。
師匠。あそこですね! あの場所にいるんですね!
「闘技場だ!」
「オノチャン?」
「師匠は闘技場にいる! 絶対に!」
「オイ——」
——返事を待たずに地を蹴った。全身を覆う闘気を両足に集中する。石畳が砕け、身体が前へ弾き出される。
「グルルルァ!」
「邪魔!」
——バキィッ
——道を塞ぐハイオーガの顎を殴り上げる。頭が吹き飛ぶのを確認するより早く、次の魔物へ拳を振り抜いた。
「邪魔だ!」
「オノチャン! 上ダ!」
——ドゥラウスの声に反応し、見上げると、黒煙の中から竜が急降下してくるところだった。
「どけ……そこをドケェェェ!」
——オノチャンは跳び上がり、竜の頭蓋へ拳を叩き込む——ボガァン!
——首をへし折られた竜が民家の屋根を突き破って墜落した。
こんな雑魚、何匹でも殺してやります。何百匹だろうと、何千匹だろうと。
だからお願いです。
師匠。
生きていてください。
◇
ハァ、ハァ。見えた! 闘技場——!?
——ヴェルガンド領の誇る……グラディウス大闘技場の外壁はところどころ崩れ、無数の爪痕が刻まれている。正面の巨大な門は半ば破壊され、そこから魔物たちが次々と侵入しようとしていた。
——キャアアアアアッ! ——ウゴアガアエガッ!
人の悲鳴に……魔物の咆哮っ! 剣戟の音は……ほとんど聞こえませんね……。ここには数多くのグラディエーターが所属しています。彼らが簡単に魔物に殺されるなど、あり得ないはずなのです。
それなのに……。
——門を潜った先で、オノチャンは足を止めた。血。石畳を染めるほどの血。転がっているのは、見慣れた鎧。見慣れた剣。見慣れた顔。
『オノチャン! 今日の試合には出るのか? 勝ったら酒を奢ってくれよ!』
……アーロン。まだ、あの時の約束のお酒は奢っていないのですが……。
『その槍をヨコセ! オノチャン! どうせお前には使いこなせん!』
……シフォン。初めて会った時から、人のものばかり狙って……。
『オノチャン! 俺たち、ボスに守られてばかりで良いのか!? いつか強くなって、一緒にボスと……この闘技場を守ろうな! 約束だぞ!』
……ドグル、あなたまで。一緒に師匠を守ろうって……誓ったじゃないですか……。
昨日まで、いや、五日前まで元気だった連中が、どうしてこんなところに転がっているのですか。
あなたたち、グラディエーターでしょう?
闘技場であれほど威勢よく吠えていたじゃありませんか。師匠にお肉を振る舞ったら、明日もボコボコにしてあげようと思っていましたのに。
なのに……。
どうしてっ——。
「オノチャン!」
レオ……ニクス。
「オノチャン! マクレイン……ボスは……ボスはどこだっ!」
そうだ……師匠ッ! 師匠を探さなくては。
——さらに奥へ進むと、観客席から泣き声が聞こえてきた。そこにいたのは、数え切れないほどの市民たち。
——老人も、子供も、怪我人もいる。互いに身を寄せ合い、闘技場の中央を恐ろしそうに見つめている。
——おそらく生き残ったほとんどの市民が、この闘技場に身を寄せていた。それもそのはず。
——なぜなら、このグラディウス大闘技場の主人……そして、ヴェルガンド最強の剣闘士であるマクレイン・ヴェルガンドがいるこの場こそ、今現在、力を持たぬ市民たちにとって、最も安全な場所だからだ。
「……師匠」
……。
——闘技場の中央。市民たちを守るように敵と対峙するマクレイン・ヴェルガンド。服は破れ、全身は血に染まり、右腕はだらりと垂れている。左足もまともに動かせていないようだった。
——それでも彼は立っていた。市民たちを背にして……たった一人で。
「師匠っ!」
「オノ……チャン……!?」
「師匠っ! 師匠!」
「来るな! オノチャン——」
——ヴオオオオオオオッ!
——飛び込もうとするオノチャンとマクレインの間を引き裂いたのは、咆哮と共に吹き出した、紫色の炎。
——地面に叩きつけられた炎は扇状に広がり、マクレインの両脇を抜け、その背後にいた市民たちをも呑み込んだ。
「師匠っ! 師匠っ!」
——オノチャンの叫びは、紫炎の轟き……そして、民衆の断末魔にかき消され、マクレインには届かない。
——紫炎の発生源は……巨大な竜。ヴァリアントドラゴンなど比較にもならないほどの巨体。
——広げた翼は闘技場の上空を覆い尽くすほど広大で、その威容はまさしく——古代龍。……御伽話の中の存在だ。
——そして、その竜の傍らに立つ男。人間……いや、違う。人間族とよく似ているが、蛮族と同様に大きな体。しかし、粗雑ではない、洗練された身なり。強き肉体と生まれつき強大な魔力を持つ……選ばれた新人類……ハイヒューマン。
——その背後にいる武装集団が掲げる見慣れない紋章は……オルドリア王国のものだ。グランヴェルト山脈の遥か向こう。ヴェルガンドから遠く離れた土地にあると言われる大国。
——炎に包まれる闘技場で、一人のハイヒューマンがマクレインに声をかける。
「……まだ立っているのか。さすがはマクレインだ」
「一応これでも……英雄……だからね……」
「まだ守れるつもりか?」
「まあ……まだ……体は……動くし……」
「目も見えず……耳も、ほとんど……聞こえていないんじゃないか?」
「子供が……はは……俺が勝つって……信じてるやつがいるから……さ」
「そうか……。すまんな」
「ははっ。謝らなくていいからよ……帰って……くれないか? ゴホッ……」
——咳き込み、吐血しながらも、いつものように軽口を叩くマクレインに向けて、大剣を振り上げるハイヒューマン。その瞳からは小さな光がこぼれ落ちていた。
「それは……難しい相談だ。せめて一息に——」
——カキィン!
——突如現れた高濃度の闘気を纏った拳が、オリハルコン製の兜に守られたハイヒューマンの顔面を捉え、そのままマクレインを担いで闘技場の入り口へと走り出す。
「師匠!」
「オノチャン……?」
「黙って!」
「子供たちは……」
「……」
「そうか……守れて……いなかったんだな……」
——マクレインの背後にいた市民たちは……先ほど、古代龍の吐き出した炎……闘気によって身を守る術を持たぬものには決して抗えぬ熱によって、骨も残らず塵となっていた……。
——両脚にありったけの闘気を集中させ、地を蹴るオノチャン。その疾走は、全てを置き去りにした。
師匠……師匠を早く!
安全な場所へ!!!




