第3話(1) お試しデートは猫カフェで
その日の夕方。
針田虎太郎は、自分の部屋でスマホを睨みつけていた。
ローテーブルの上には、昼に買ったコンビニパンの空き袋と、飲みかけのペットボトル。そして昨日から片づける気力を失ったままのお菓子の袋。
いつもと変わらない散らかった部屋なのに、妙に落ち着かない。
理由は分かっている。
石上朋也から届いた、たった一通のメッセージのせいだ。
「今日の夕方、少しだけ電話してもいい?」
その一文を見た瞬間、虎太郎は反射的にスマホを画面ごと畳の上に伏せた。
既読はつけていない。つけていないが、内容は通知ポップアップでバッチリ読んでしまった。つまり、見ていないふりをしているだけで、状況は一ミリも進展していない。
「……電話って何だよ、マジで」
虎太郎は、膝を抱えたままぽつりと呟いた。
昨日の夜までは、まだLINEのやり取りだけだった。しかも、その始まりは最低最悪の『罰ゲームによる嘘告白』だ。
今日の講義では、石上からご丁寧に「相性占い」のコピーまで渡された。
【ラブ度100パーセント。何をするにも最高の相性】
思い出しただけで、胃のあたりが変なふうに重くなる。
いや、重いだけじゃない。正直に言えば、ほんの少しだけ胸の奥がざわつく。それが何よりも腹立たしかった。
虎太郎は観念してスマホを手に取り、トーク画面を開いた。
メッセージが届いてから、もう何時間も経っている。今さら「寝てた」と言い訳するのも無理がある。
虎太郎は、短く打ち込んで送信した。
「少しなら」
「あ」
送信した直後、猛烈な後悔が押し寄せた。
少しなら、とは何だ。これでは完全に電話を待ち構えていたみたいじゃないか。
――いや、違う。電話でちゃんと説明するには都合がいいはずだ。
昨日の告白は罰ゲームだった。本気じゃない。今日も言いそびれてしまったけれど、本当に申し訳なかったと、ちゃんと謝る。
そう言う。言えば、この奇妙な時間は終わる。
そう自分に言い聞かせた直後、手の中のスマホが激しく震えた。
「早っ!?」
思わず声が出た。
画面に表示されているのは「石上朋也」の名前。着信のバイブレーションが、まるで虎太郎の心臓の音とシンクロするように部屋に響く。
たかが電話だ。相手は同じ大学の同級生。何度か普通に講義で言葉を交わしたこともある。何も緊張することなんてない。
虎太郎は大きく深呼吸を一つして、通話ボタンをスワイプした。
「……もしもし」
自分でも笑えるくらい、声がガチガチに硬かった。
ほんの少しの静寂のあと、スピーカーから石上の声が滑り込んでくる。
「もしもし。虎太郎?」
「名前で呼ぶな」
条件反射だった。電話の向こうで、石上が「あはは」と小さく笑う。
「じゃあ、針田くん?」
「……それはそれで、なんか他人のフリされてるみたいで変だろ」
「じゃあ、やっぱり虎太郎で」
「勝手に決めんな」
「嫌だった?」
「嫌っていうか……急なんだよ、心の準備とか」
「そっか。じゃあ、これから少しずつ慣れていって」
「慣れる前提で話進めるな」
いつもの調子で言い返したつもりだった。
けれど、イヤホン越しに聞こえる石上の声は、講義室で聞くよりも一段と近く感じられる。まるで耳元で直接囁かれているみたいで、どうにも落ち着かない。虎太郎はたまらずスマホを耳から数センチ遠ざけた。
「で、用件は何だよ」
「電話に出てくれてありがとう。少しならって言ってもらえただけでも、すごく嬉しい」
「……っ」
そういう台詞を、どうしてこの男はさらっと言えるのだろう。
虎太郎は言葉に詰まった。
石上の声は、昼間よりも少し柔らかく、どこか照れているような響きが含まれていた。昨日からずっと感じている、あの「妙な本気っぽさ」が、電波に乗ってダイレクトに伝わってくる。
だから困るのだ。
いっそからかわれたり、怒られたりした方が何倍も楽だった。




