第9話(3) 嘘じゃない気持ちの名前
昼休み。
虎太郎は学生ラウンジの隅で、根石要と向かい合っていた。
要は今日に限って、いつもの軽い笑いを少し抑えている。昨日、石上にあの一件を知られてしまったことを、要も本気で気にしているのだろう。何度も謝ってきたし、今朝も律儀に謝罪のメッセージが来ていた。
虎太郎としては、すぐに「許した」と言い切れるほど大人にはなれない。けれど、要が猛省していることくらいは分かっていた。
「……で、石上とは話したのか?」
「話した」
「どうだった?」
「普通」
「普通?」
「普通すぎて変なんだよ」
要が首を傾げた。「どういう意味?」と。
虎太郎は、紙パックのジュースを握ったまま黙り込む。言いたくない。でも、誰かに吐き出さないと、頭の中がずっとぐちゃぐちゃのままだ。そして、こういう話をできる相手は、元凶であるこの男くらいしかいなかった。
「……あれから変なんだよ、あいつ。距離、取るんだよ」
「そりゃ、恋人ごっこ終わらせたからじゃないのか?」
「分かってる!」
虎太郎は、少し強く言った。
「分かってるけど! 今までなら、もっと遠慮なく来ただろ。勝手に隣座って、変な占い持ってきて、手ぇ触ってきたり、耳元で変なこと言ったりさ。なのに、今日は座っていいか聞いてきた」
「いいことじゃん」
「いいことなんだよ。いいことなのに、調子狂う。……あいつに距離を置かれると、悔しいけど、胸が痛くなる」
言ってしまった。口に出した瞬間、自分でも動揺した。
胸が痛い。それは、あまりにも正直すぎる本心だった。
虎太郎は慌てて視線を逸らす。「いや、別に変な意味じゃなくて」と取り繕おうとしたが、要が真剣な声でそれを遮った。
「針田」
「何だよ」
「最初は俺が悪い。それはもう、逃げようがないくらい俺が悪いよ」
「……分かってんならいい」
「でもさ、そこから先のことまで、全部俺のせいにされても困るんだよ」
「元凶のくせに」
「元凶だけどさ、石上と何回も会って、関係を深めたのは針田だろ? 今、あいつに距離置かれてしんどいって言ったのも針田だろ」
「……」
「それはもう、俺の罰ゲームじゃなくて、針田自身の気持ちじゃん」
虎太郎は、言い返せなかった。
要の言葉は、妙にまっすぐだった。普段は軽いくせに、こういう時だけ逃げ道を完璧に塞いでくる。それが腹立たしい。でも、否定できなかった。
最初は罰ゲームだった。そこは変わらない。
でも、そのあと石上と過ごしたのは虎太郎だ。猫カフェで一緒に笑ったのも、喫茶店で手を取られて心臓が跳ねたのも、看病に来てくれて安心したのも、部屋で一緒にゲームをして楽しいと思ってしまったのも。
石上が距離を取ったことに、こんなにも胸が痛くなっているのも。
全部、虎太郎の中で起きたことだった。罰ゲームのせいには、もうできない。
「……でも」
虎太郎は、やっとの思いで声を絞り出した。
「最初が嘘だったんだよ。俺が嘘ついたんだ。すぐ否定しなかったのは俺だし……あいつは最初から分かってたって言ったけど、それでも傷つけてた。昨日の顔、見ただろ」
「見たよ」
「そんな相手に、今さら俺が何言えばいいんだよ。好きかもしれないって思ったとしても、それ言っていいのかよ。都合よすぎるだろ。嘘で振り回して、向こうが本気だって分かったら、自分も好きになりました、なんて」
「でも、嘘のまま何もしない方がいいのか?」
「……」
「石上は待つって言ったんだろ」
「言ったけど」
「だったら、針田が考えるしかないじゃん。……別に、今すぐ好きって言えって話じゃない。言えないなら言えないでいいと思う。でも、ちゃんと考えてるってことくらいは伝えてやれば?」
要は、少しだけ困ったように笑った。
「石上ってさ、けっこう不安なんじゃないかと思うんだよね。あいつ、余裕そうに見えるけどさ。あの告白が嘘だって知っててもOKしたくらい、針田のこと好きだったんだろ。今、針田が何も言わなかったら、やっぱり困らせただけだったのかなって、あいつも悩むかもしれないじゃん。今すぐ答えは出せなくても、『逃げない』ってことだけでもさ」
虎太郎は、スマホを見下ろした。
石上とのトーク画面。最後のやり取りは、昨日の夜だ。
『昨日はちゃんと話せてよかった。無理しないでね』という石上からのメッセージに、虎太郎はまだ返信していなかった。既読だけつけて、そのままにしていた。
石上は、それをどう思っただろう。「待っている」と言った石上を、ただ不安にさせているだけではないのか。それは逃げていないと言えるのか。
「……分かってるよ」
虎太郎は、小さく言った。
「俺だって、なかったことにしたいわけじゃない」
「うん」
「でも、何て言えばいいか分かんねぇんだよ」
「そのまま言えば? ちゃんと考えてる。なかったことにはしない。俺も逃げない。そういう感じ」
虎太郎は、スマホを握りしめた。要の言葉は、悔しいくらい分かりやすかった。
「根石」
「何?」
「お前、たまにまともだな」
「たまにって何だよ」
「だいたい元凶のくせに」
「それは一生言われるやつ?」
「一生言う」
「まあ、今回は受け入れるよ」
要が苦笑する。




