第7話(8) 捕食者の不器用な縄張り
朝の光に満ちた自分の部屋に、石上朋也がいる。
昨夜遅くまで一緒にゲームをして、肩を寄せ合って寝落ちして、今こうして他愛のないことで言い合っている。どう考えても、距離が近すぎる。境界線が、完全に融けてしまっている。
――でも、それが、全く嫌じゃない。そこが一番、自分にとって困る大問題だった。
「虎太郎」
「何だよ」
「昨日、本当に楽しかったよ」
「……格ゲーがな」
「うん、虎太郎と一緒にゲームができたのが、最高に楽しかった」
「主語をゲームに変えろ」
「また、部屋に来てもいい?」
「……」
虎太郎は、すぐには返事ができなかった。「ダメだ」と突き放せばいいのに、その言葉がどうしても喉の奥で引っかかって出てこない。
昨日は確かに、心の底から楽しかったのだ。石上が「虎とうさぎ」だなんだとふざけて、自分がそれに全力でツッコミを入れて、夜が明けるまでゲームの画面に熱中して、笑い合ったあの時間。そんな贅沢な時間を、また過ごしたいと思ってしまっている自分が、確実に存在していた。
虎太郎は、寝癖で盛大にハネた髪を乱暴にかきむしった。
「……まぁ、ゲームの対戦相手がどうしても必要だって言うなら、来ればいいだろ」
石上の瞳が、目に見えてパッと輝きを取り戻す。
「うん、行く!」
「ただし、次は絶対に終電の時間を確認しろよ」
「うん、善処する」
「あと、あの忌々しい動物占いの本は持ち込み禁止な」
「えー、厳しいな。じゃあ、食べちゃうぞって言うのも禁止?」
「当たり前だろ! 永久に禁止だ!」
「じゃあ……『虎に守られるうさぎ』は?」
「……は?」
「それなら、言ってもいい?」
虎太郎は一瞬、思考がフリーズした。
石上は、完全に虎太郎の反応を分かっていて、楽しむような悪戯っぽい目でこちらを見つめている。
虎に、守られる、うさぎ。
それはつまり、自分が石上を守るということか。肉食獣として、草食獣のあいつを、自分の縄張りの中で。
「……勝手に、しろ」
虎太郎は完全に敗北を認め、顔を背けて小さく吐き捨てた。
石上は、この上なく満足そうに、柔らかく微笑んだ。
「じゃあ、俺はこれから、虎太郎に守られるうさぎになるね」
「調子に乗んな、バカ」
「うん。でも、ちょっとだけ乗るよ」
「乗るなって言ってんだろ」
虎太郎は気恥ずかしさに耐えかねて、勢いよく立ち上がった。朝ごはんの代わりに、昨日の残りのゼリーでも食べようと冷蔵庫へ向かう。
その途中、ふとローテーブルの上に目を落とした。
昨日、石上が持ってきた動物占いの本が、まだ開きっぱなしになっていた。
見開きの左ページには、猛々しくもどこか不器用そうな「虎」のイラスト。そして右ページには、寂しがり屋で愛らしい「うさぎ」のイラスト。二つのページが、朝の光の中でぴったりと隣り合っている。
虎太郎はそのページを見つめながら、今度こそ、ほんの少しだけ口元が緩んでしまうのを隠せなかった。もちろん、すぐに顔を引き締め直したけれど。
認めない。絶対に、絶対に認めない。
でも。あの生意気で、過保護で、どこか寂しがり屋な「うさぎ」が、またこの部屋にやってくる日を、ほんの少しだけ楽しみに待っている自分がいること。
その秘密だけは、世界の誰にも、そして目の前の男にだけは、絶対に悟られないようにしようと心に誓う虎太郎だった。




