第7話(6) 捕食者の不器用な縄張り
だが、その「一回だけ」は、結局一回では終わらなかった。
「もう一回」「今のコンボミスしたから、あともう一回」「今の惜しかったから泣きのラスト!」
そんな子供のような応酬を繰り返しているうちに、気づけば深夜の静寂が部屋を支配していた。
炭酸ジュースのボトルは完全に空になり、スナック菓子の袋もいくつか床に転がっている。動物占いの本はローテーブルの端に開いたまま。ゲーム画面の鮮やかな光だけが、薄暗い部屋をパチパチと照らしていた。
石上が、限界そうに細い手を伸ばして目をこすった。
「流石に……眠くなってきちゃったな」
「帰れよ。ほら、早く」
「うん……」
「うん、じゃなくて。終電の時間」
虎太郎がスマホの画面をタップして、時刻を確認する。――そして、完全に硬直した。
終電の時刻は、もう30分以上も前に過ぎ去っていた。
「……おい」
「ん?」
「終電、もうねぇぞ」
「えっ、本当だ」
「本当だ、じゃねぇよ!」
「ごめん、ゲームが本当に楽しくて、完全に忘れてた……」
「俺も忘れてたけどよ!」
虎太郎はガシガシと頭を抱えた。完全にやらかした。病み上がりなのに深夜までゲームに没頭し、その上、石上を帰しそびれてしまった。
この時間では、もう選択肢は一つしかない。タクシーを使わせるという手もあるが、石上の家の住所も知らないし、高額な運賃を払わせるのも気が引ける。
虎太郎はしばらく悶々と悩んだ挙句、盛大なため息を吐き出した。
「……チッ、泊まっていけよ」
言った瞬間、石上の眠そうだった目が、パッと驚いたように丸くなった。
「いいの……?」
「この時間に、外に放り出すわけにいかねぇだろ。後味悪いわ」
「ありがとう、虎太郎」
「勘違いすんなよ? 終電を逃したから、人道的な措置として泊めるだけだからな」
「うん、分かってるよ」
「あと、うちには布団は一枚しかねぇからな」
「じゃあ、俺は床で寝るよ。ブランケットだけ貸してくれれば」
「客を呼んでおいて、床で寝かせるのも寝覚めが悪いだろ」
「虎太郎は、本当に優しいね」
「うるせぇ、黙れ」
虎太郎は押し入れから、予備の厚手のブランケットを引っ張り出した。要がたまに泊まりに来る時に使うやつだ。クッションを並べれば、床でも何とか寝られないことはない。
しかし、ゲームに熱中しすぎた代償として、二人とも眠気の限界を迎えていた。片付けもそこそこに、ローテーブルの横の床に揃ってへたり込む。
「……だめだ、ちょっとだけ、ここで休む」
虎太郎はそう言って、大きなクッションにもたれかかった。
「ちゃんとベッドに行けば?」と、石上が眠そうな声で言う。
「片付けてから行く……」
「すごく眠そうだよ、虎太郎」
「眠くねぇよ」
「目がもう、閉じてる」
「閉じてねぇっての……」
石上の声が、だんだんと遠い霧の向こうへ遠ざかっていく。
気づけば、右肩にずっしりとした、心地よい重みを感じた。石上が隣に座ったまま、虎太郎の肩に完全に頭を預けて寄りかかってきているのだ。
近い。心臓の音が聞こえそうなほど近い。だが、それを押し返す気力すら、今の虎太郎には残っていなかった。猛烈な眠気が、思考を全てシャットダウンしていく。
石上の柔らかい髪が、虎太郎の頬にサラリと触れる。お互いの体温が交じり合い、ひどくあたたかい。
「……重ぇよ、お前」
虎太郎は掠れた声で、小さく毒づいた。
「ごめんね……」
石上は口では謝ったものの、肩から離れようとはしなかった。
「離れろよ、バカ……」
「少しだけ、このままいさせて……」
「……本当に、少しだけだからな」
「うん……」
その微かな返事を最後に、虎太郎の意識は完全に深い闇へと沈んでいった。
ゲーム機の画面は、待機モーションのまま静かに明滅している。動物占いの本は開きっぱなし。ローテーブルには空のコップとお菓子の袋。そのすぐ横で、虎太郎と石上は、お互いの体温を分け合うように肩を寄せ合ったまま、静かな寝息を立てていた。




