第7話(3) 捕食者の不器用な縄張り
夕方。
虎太郎は、部屋を「軽く」片付けた。
あくまで軽く、である。完璧に大掃除したわけではない。床に落ちていた服を洗濯かごに放り込み、ローテーブルの上のお菓子の袋をまとめ、ペットボトルを捨てただけだ。
ゲーム機の周りはそのままだし、コントローラーも出したまま。いつでも対戦できる状態にしてある。
病み上がりなのに何色めき立っているんだ、という冷静な自分もいたが、石上が来るなら多少は体裁を整えたいと思ってしまった。そのことがひどく悔しい。
「……別に、汚いとゲームのコードが引っかかるからってだけだしな」
ひとりで誰もいない部屋に言い訳をする。
冷蔵庫には炭酸ジュースがある。石上が何を飲むかは知らないが、これでいいだろう。あいつ、本当は高級な紅茶とか飲んでそうだけど。
そこまで考えてから、虎太郎はぶんぶんと首を振った。何で石上の飲み物の好みまで考えているんだ。おかしい、調子が狂っている。
ピンポーン、とチャイムが鳴った。
虎太郎の身体が一瞬だけ、ビクッと固まる。それから、ゆっくりと玄関へ向かった。ドアを開けると、そこにはお洒落な私服に身を包んだ石上が立っていた。その手には、一冊のカラフルな本。表紙には、可愛らしい動物のイラストが並んでいる。
「お邪魔します、虎太郎」
「……何だ、その本」
「これ? 動物占いの本だよ」
「何でそんなもん持ってきてんだよ」
「虎太郎と一緒にやろうと思って」
「ゲームしに来たんじゃねぇのかよ」
「ゲームもするよ、もちろん」
石上は当然のように微笑みながら、するりと部屋の中へ入ってきた。
前回来た時は風邪で脳みそがバグっていたが、今日は意識がはっきりしている。その分、自分のパーソナルスペースに石上がいるという事実に、猛烈に緊張してしまう。
石上はバッグを置くと、部屋を見渡して小さく笑った。
「この前より、すごく綺麗に片付いてるね」
「言うな」
「お、俺が来るから?」
「ゲームの導線を確保しただけだ」
「そっか」
「その、ニヤニヤした顔をやめろ」
「これ、嬉しさが隠しきれない顔なんだけどな」
「いいからやめろって」
虎太郎は冷蔵庫から炭酸ジュースを取り出し、コップを二つ並べて石上の前に置いた。
「飲むか?」
「ありがとう」
「炭酸しかねぇけど」
「嬉しいよ。虎太郎の家で出してもらえるなら、泥水でも美味しいと思う」
「愛が重いんだよ、表現のクセが強いし」
「あはは、冗談だよ」
虎太郎はコップにジュースを注いだ。しゅわしゅわと泡が弾ける。
石上はローテーブルの前に座り、持ってきた本をパサッと広げた。ゲーム機の前に動物占いの本。あまりにもミスマッチな光景だ。
「先にゲームだろ」
「ちょっとだけ占わせてよ。すぐ終わるから」
「ちょっとだけって言って、お前の『ちょっと』は毎回長いんだよ」
「今回は動物だから直感的で分かりやすいよ」
石上はページをめくりながら、虎太郎の誕生日を確認してきた。虎太郎は、また始まったと思いながらも、渋々それを教える。石上は細い指先で本をなぞり、やがて嬉しそうにパッと顔を上げた。
「虎太郎、占いの結果も『虎』だって」
「名前そのまんまじゃねぇか」
「すごいね、ぴったり。強そう」
「まあ、虎だしな」
「ええと、なになに?『負けず嫌いで、プライドが高くて、好きなものには一直線』」
「なんか急に悪口っぽくなってねぇか?」
「あとね、『実はものすごく寂しがり屋』」
「……それ絶対違うわ」
「『強がりで、他人に甘えるのが致命的に下手』だって」
「その本、今すぐ閉じろ。燃やすぞ」
虎太郎は思いきり眉をひそめた。
当たっているような気がするのが、最高に腹立たしい。占いなんて誰にでも当てはまるように書いてあるだけだ。手相の時もそうだった。なのに、石上の低い声で読み上げられると、妙に心臓の奥に刺さる。
石上は楽しそうに、今度は別のページをめくった。
「ちなみに、俺の診断は『うさぎ』だったよ」
「弱そう」
「ひどいな」
「いや、虎とうさぎなら、どう考えてもそうなるだろ」
「そうだね」
石上はそこで、フッと目を細めてにっこりと笑った。
嫌な予感がした。虎太郎が制止するよりも早く、石上の口から甘いトーンの声が滑り出す。
「虎太郎は虎だからさ……うさぎの俺は、いつか食べられちゃうね」
「いかがわしい言い方すんな!」
虎太郎は即座にツッコミを入れた。石上はさらに目を細め、楽しそうに喉を鳴らす。
「いかがわしいって思ったんだ?」
「そういうニュアンスで言っただろ、お前!」
「えー? 俺は普通に、食物連鎖としての動物の話をしただけなのに」
「嘘つけ! その語尾の感じと、無駄に色っぽい目付きは絶対に狙ってただろ」
「あはは、バレちゃった?」
「バレちゃったじゃねぇよ!」
石上は本当に楽しそうだった。虎太郎の過剰なまでの反応を見て、完全に味をしめている。このままだと、会話の主導権を永久に握られかねない。
虎太郎は本を強引に閉じようと手を伸ばしたが、石上はそれをひらりとかわし、さらに顔の距離をグッと詰めてきた。息がかかりそうなほどの近距離で、ハチミツを垂らしたような甘い声が鼓膜を揺らす。
「いいよ、俺は。虎太郎にだったら、いつだって食べられても」
「だから、言い方――!」
「どういう意味に聞こえたの? 教えて、虎太郎」
「言わせんな、バカ!」
「ふふ、虎太郎、顔が真っ赤だよ」
「怒ってんだよ、お前に!」
「へぇ、虎って照れると怒るんだ。新発見」
「動物占いに変な項目を追加すんな!」
石上は可笑しそうに笑い転げ、肩を激しく揺らしている。虎太郎は本気でこいつの綺麗な顔を小突きたくなった。だが、風邪の時に看病してくれた大恩があるので、ぐっと拳を握り込んで我慢する。




