第5話(5) 裏庭の特等席と不意打ちのセリフ
虎太郎は結局、自分で水を買った。石上は隣でミルクティーを買う。缶を取り出す仕草がやっぱり妙にきれいで、虎太郎は反射的に目を逸らした。手相占い以来、石上の指を見ると落ち着かない。最悪の後遺症だ。
「虎太郎、さっきの、気にしてる? 俺が告白されたこと」
「気にしてねぇ」
「即答だ」
「気にしてないからな。しつこい」
虎太郎は水のキャップを開けて、一口飲んだ。冷たい水が喉を通り、少しだけ落ち着く。
石上はミルクティーを手にしたまま、静かに言った。
「虎太郎が嫌なら、ちゃんと距離取るよ。女子と話すの、嫌だった?」
虎太郎は言葉に詰まった。嫌、というわけではない。石上には石上の人間関係がある。女子と話すな、なんて言える立場ではないし、そもそも本当の恋人でもない。むしろ、恋人じゃないと説明すべき側だ。なのに。
「別に、嫌とかじゃねぇよ。お前が誰と話そうが勝手だろ。ただ……」
「ただ?」
虎太郎はペットボトルを強く握りしめた。言いたくない。でも、言わないと、石上が変に誤解しそうだった。
「……誰にでも、同じようにするのかと思っただけだ」
声が、どんどん小さくなる。石上は、しばらく何も言わなかった。その沈黙が気まずくて、虎太郎は顔をしかめる。
「何か言えよ」
「今、すごく嬉しくて」
「は?」
「虎太郎、俺のこと気にしてくれたんだね。嫉妬?」
「違う!」
即座に否定したが、石上はにこにこしている。
「違わないと思うな。占ってみる?」
「何でも占いに逃げんな! 戻る!」
虎太郎は水を鞄に突っ込み、歩き出した。これ以上話していると、どんどん墓穴を掘る。
「ついてくんなよ」
「え、途中まで一緒じゃ駄目?」
「駄目」
「恥ずかしいなら、ちょっと離れて歩くね」
「そういう問題じゃねぇ!」
石上は声を立てて笑った。虎太郎が顔を真っ赤にしたまま歩き出すと、後ろから石上の声が追いかけてきた。
「虎太郎」
「今度は何だよ」
振り返らずに答える。石上は、少しだけ声を柔らかくした。
「俺、虎太郎以外には、恋人って言わないよ」
足が止まりそうになった。けれど必死にこらえて前を向く。
「当たり前だろ、軽率に言うな。あと、俺もまだ認めてねぇからな」
「『まだ』、なんだね」
「うるせぇ!」
ラウンジに戻ると、要がスマホを見ながら顔を上げた。
「あれ、水だけ? 俺のコーヒーは?」
「知らねぇ、自分で買え」
虎太郎は乱暴に椅子に座った。要がその顔を見て、目を細める。
「何かあった? 顔赤いけど」
「暑いだけだ」
「今日、そんなに暑くないと思うけど。……あ、石上?」
「……黙れ」
「当たりかぁ。で、何があったの」
「何もねぇって言ってんだろ」
虎太郎は答えず、ペットボトルの水をもう一口飲んだ。冷たいはずなのに、まだ喉の奥が熱い。石上の声が残っている。
『俺がさっき言った恋人って、虎太郎のことだよ』
虎太郎は額を押さえた。こんなの、気にするなという方が無理だ。
「根石」
「何」
「お前、マジで責任取れよ」
「何の話か分かんないけど、たぶん俺のせいだな。はいはい」
要はにやにやしながら、スマホを置いた。「それ、恋じゃん」
「違う!」
虎太郎は即座に否定した。
「まだ何も言ってないのに、違わないでしょ」
「違うからな! 絶対違うからな!」
ラウンジの隅で虎太郎の声が響き、周りの学生がちらりと見る。虎太郎は慌てて口を閉じた。
その時、スマホが震えた。画面を見ると、石上からだった。
「さっきはびっくりさせてごめん。でも、虎太郎に聞かれてちょっと嬉しかったな」
その下に、星のスタンプ。続けてもう一文。
「じゃあ今度は正面から言うね」
「……っ」
虎太郎はスマホを勢いよく伏せた。顔が熱い。要が横から覗き込もうとする。
「何て? 石上?」
「見るな!」
虎太郎はスマホを胸元に抱えるように隠した。完全に変な動きだ。要はそれを見て、ますます楽しそうに笑う。
「いやー、針田。楽しそうだな」
「楽しくねぇ!」
そう叫びながらも、虎太郎はスマホを握りしめたまま、机に額を押しつけた。
最初は、嘘告白の誤解を解くだけのはずだった。なのに、気づけば石上の人気にモヤモヤしている。石上が自分を「恋人」だと言ったことに、困っているくせに、少しだけ嬉しいと思ってしまった。それが、何より困る。
机に突っ伏したまま、目を閉じた。閉じた途端、石上の顔が浮かぶ。女子に囲まれていた時の笑顔。告白を断った時の真面目な顔。耳元で囁いた時の、少し意地悪な横顔。
そして――『虎太郎のことだよ』と言った、あの声。
胸が、また変なふうに鳴った。
違う、これは絶対に恋じゃない。
心の中でそう強く否定したけれど、その声は、さっきよりも確実に弱くなっていた。




