第3話(4) お試しデートは猫カフェで
けれど、そこからの時間は驚くほど自然に過ぎていった。
お互いの好きなゲームの話、大学の講義の愚痴、ハマっている動画のこと。石上は驚くほど聞き上手で、虎太郎が熱弁するゲームのシステム話を、変に茶化すこともなく「へぇ、それ面白そうだね」と熱心に聞いてくれた。
「あのさ、石上」
「うん?」
少し会話が途切れたタイミングで、虎太郎は意を決してカップを置いた。
今だ。今こそ、昨日のLINEの誤解を――。
そう口を開きかけた瞬間、膝の上に、トスンと心地よい重みが乗った。
「……え?」
見下ろすと、さっきの白い猫が虎太郎の太ももの上で完全に丸くなり、喉をゴロゴロと鳴らし始めていた。
「すごい、完全に気に入られちゃったね」
「こ、これ、動いていいのか……?」
「動かない方がその子のためかも」
虎太郎は完全に石像と化した。服越しに伝わってくる、猫の温かくて柔らかい小さな命の振動。
石上が嬉しそうにスマホを取り出す。
「写真、撮ってもいい?」
「ダメだ。俺の顔が写るだろ」
「じゃあ、膝元と猫だけ」
「……それなら、まあ」
パシャリ、と小さなシャッター音響く。画面を確認する石上の横顔には、これ以上ないほどの満足感が浮かんでいた。
何なんだ、この状況は。これでは本当に、ただの仲の良いカップルのデートではないか。
「虎太郎、今日来てくれて本当にありがとう。俺、すごく楽しいよ」
「……猫カフェだからだろ」
「猫も可愛いけど、虎太郎と一緒に来られたからだよ」
「そういうの、やめろって……」
「嫌?」
「……嫌では、ないけど」
あ、と気づいた時には遅かった。石上がわずかに目を見開く。
「猫カフェが! 猫カフェという空間が嫌じゃないって意味だからな!」
「うん、分かってるよ」
絶対に分かっていない、確信犯の笑顔だった。
店を出ると、夕方の外気は少しだけひんやりとしていた。
石上は満足そうに伸びをする。
「楽しかったね。今日のラッキースポット、大当りだったでしょ?」
「……まあ、猫は可愛かった」
「俺の評価は?」
「なんでお前の査定をしなきゃいけないんだよ。何度も言うけどデートじゃねぇからな」
「あはは、そうだね」
石上はそれだけで十分だというように笑った。
今なら言える。駅へ向かう道すがら、猫たちもいない、あの穏やかな空間から離れた今なら、現実に戻ってちゃんと言えるはずだ。
「あのさ、石上」
「うん?」
足を止めて振り返った石上の瞳には、夕日の光と、それから、何かを期待するような、少しだけ不安そうな色が混ざり合っていた。
その瞳を見た瞬間、虎太郎の喉がキュッと詰まる。
――罰ゲームだったんだ。嘘だったんだ。ごめん。
頭の中の文字を、唇がどうしても音声に変換してくれない。
「……今日は、その……連れてきてくれて、ありがとな」
吐き出したのは、情けないほどの敗北宣言だった。
だが、石上はこれ以上ないほど綺麗に、パッと表情を輝かせた。
「うん! こちらこそ。また行こうね、今度は別のラッキースポットでもいいし」
「お前、本当に占い好きだな」
「虎太郎と出かける理由になるなら、何度でも占うよ」
そう言った石上の耳の端が、夕日のせいだけではなく、ほんのりと赤くなっていることに気づいてしまい、虎太郎はそれ以上何も言えなくなった。
「……じゃあ、俺こっちだから」
駅の改札前で、虎太郎は逃げるように手を振った。
「うん、また連絡するね」
人混みの中に消えていく石上の背中を見送ってから、虎太郎はこれでもかと大きなため息を吐き出した。
結局、誤解は一ミリも解けなかった。それどころか、自分の中に「楽しかった」という確かな感情が残ってしまっている。
ポケットの中でスマホが震えた。メッセージを開くと、石上からの一枚の写真。
虎太郎の膝の上で、幸せそうに丸くなっている白い猫の写真だった。
「今日の虎太郎、猫に好かれてて可愛かった」
「……っ、~くそ」
虎太郎は真っ赤になった顔を片手で覆い、駅のホームで一人、スマホの画面を睨みつけた。
「可愛くねぇよ」
そう打ち込もうとして、一度消す。
結局、送った返信は一言だけ。
「猫がな」
一秒と経たずに、既読がついて返ってきた。
「うん。猫も、虎太郎も」
スマホを握りしめたまま、虎太郎は完全にフリーズした。
やっぱり、誤解は解けていない。解けていないどころか、完全に包囲網は狭まっている。
なのに、心臓の奥が、じんわりと温かいココアを流し込まれたみたいに甘く疼いていた。それが何より、虎太郎にとっては一番の緊急事態だった。




