新たな任務と私の出世
ジーンの胸に、何かが込み上げていっぱいになった。
あわあわと口を開け閉めして視線をうろうろさせていると、代わりに他から声が上がる。
「きゃあ!これはもう、百点あげてもいいんじゃない?」
「ユーリオ、やっと男を見せたな」
「そろそろオッケー出してもいいよね」
「キスしちゃう流れ?」
「きしゅ?」
「そうかも!」
最初の悲壮感はどこへと思うくらいわくわく見守っていた子どもたちが、誰かの言ったキスという単語に反応して『キース、キース』とはやし始める。
「ちょっと待って、こら!キャロルまで何してるの!?」
「ジーンこそ待ってよ。話を逸らさないで、返事してよ」
耐えきれずに子どもたちの方へくるりと向き直ろうとするジーン。その手をぎゅっと握り込んで自分に固定しようとするユーリオ。相変わらずはやしつづける子どもたち。
そんな混沌の中、仏頂面のリカルドが、ぬっと二人の間に白いものを付き出した。
明らかな妨害にリオは顔をしかめる。
しかしそれが昨日と同じく太陽神殿の、まだ封を切られていない封書だと気付いて、ジーンと顔を見合わせた。
「何?これ」
「こういう流れになったときだけ渡せって言われた」
手つきだけでなく言葉も雑だった。
ジーン宛かと思えば、ユーリオの名も連ねられている。かさりと二人で開くと、見慣れたローランの字が並んでいた。
『ジーンが望むのであれば、ユーリオ・リトナ殿との婚約継続及びジーンのリトナ支部勤務を認める。ただし、婚約中も年に一度はリトナの状況報告をしにエレナに戻ること』
まるで、この状況を見越したかのような文面に、またしても顔を見合わせてしまう。しかも、これを先に出してくれれば、きっと何の混乱もなかったのだ。
「なんで、最初から見せてくれなかったの?」
ジーンが睨むと、リカルドは面白くなさそうに腕を組んだ。
「だから、全部ローラン様の指示だ。あんな帰還命令ごときで諦める関係なら、早めに断ち切った方がお互いのためだ。その程度の覚悟では、お前を嫁にやらないってことだろ」
それから、ユーリオを見る。
「エレナ側としては、今回の救出も含めてぎりぎり及第点というところだ。まあ、あとは本人の意思だがな」
ジーンに皆の目が集まる。足元の海も、答えを迫るように打ち寄せる。
この短時間に、失恋告白、さらにはお付き合いを一足飛びに飛び越してプロポーズの答えとは、目まぐるしすぎるのではないか。これではこの人生の一代イベントを、ちゃんと覚えておけるか心配だ。
ジーンは怪我をした右手の変わりに左の指先をたどたどしく動かしながら、この場にぴったりな言葉を探して、ほんのちょっと首をかしげた。
それから、藍色の目をもう一度覗き込むと、思いきって目の前の胸に飛び込んだ。
「あーあ、本当にお嫁に行っちゃうんだねぇ」
「そんなに手放したくないくせに、どうしてリトナになんてやったんですか?」
「だから、粛正の騒ぎから逃すためだよ。知っているでしょう?」
誤魔化さないでください、とリカルドは顔をしかめた。
「それだけなら、もう少し近場にだってあるでしょう。安全で、それらしい理由をつけて派遣できる支部くらい。わざわざあんな遠くにやって、大怪我させることはなかったんだ」
リトナは遠い。安全な手段をとらせても、若い娘の一人旅が長ければそれだけ危険が増すのは当然のことだ。確かにユーリオの能力は、現状他の神殿に見ないレベルの強大さではあるが、それで全ての不安要素が取り除かれるわけではない。結果怪我まで負ったことに、リカルドは腹を立てていた。
「リカルドはかわいげのないやつに育っちゃったね。誤魔化されてくれないんだから」
「はいはい、かわいげは一人娘に求めて下さい。それで、まだ理由を伺ってませんけど」
ローランはため息をついた。やや芝居がかっているから、嫌味のつもりなのだろう。
「リトナには、若い頃に行ったことがあるんだ。そのときふと、ジーンが言ってたことを思い出したんだよ。大きくなったら、絶対に海を見に行くんですって。両手を広げてね、このくらいかな、もっと大きいのかなって」
「……それ、本人も覚えてないんじゃないですか」
「そうかもしれないね。でも、この子に海を見せてやりたいって、そのとき思ったんだよねぇ。それにほら、今回の大粛正が終われば、私の手元におくつもりだったから、これが最後の機会かなというのもあったし」
「それで見事にあの鉄砲玉は飛び出したっきりになったわけですね」
「おや、少しとげがあるね。ジーンの婚約が気に入らないかい?まずまず好青年だと思ってるんだけど」
つまり、ローランは遥か以前のリトナ訪問時から、ユーリオを認識して一方的にジーンの将来を考えていたということだ。その頃も今も、まだ自分の養女になったわけでもないのに。
それは、少し引く。しかしリカルドは、まあ今さらだなと思い直した。
「いえ別に。でも、あれだけ出世してローラン様のお役に立つって言っていたくせにとは思いますね」
リカルドにとってのジーンは、先にローランの指導を受け始めた妬ましい奴で、ひっそり勉強を続けた大事な仲間でもある。男社会の文官のなかで先に文官になった自分たちにずっと張り合ってきた生意気な妹分だ。それが遠くに嫁にいくとなれば、心配でもあるしムカつきもする。
「リカルドだって、自分の方が出世するからお前の出る幕はないだなんて、いつもあの子に言っていたくせに」
ぐっと言葉に詰まった後、リカルドは仏頂面で問うた。
「誰から聞いたんです」
ローランは面白そうに部下を見ながら、すぐに情報源をはく。
「ジーンだよ。リカルドが素直に安心して行けと言わないから、今回だってあの子はバカ正直に受け取って『リトナ支部でもお役に立ってみせます』って憤慨してたよ」
「へえ」
ジーンにとって、ローランはやはりいくつになっても特別なのだ。密かに学び続けながら、共に誓った幼い日のままに。そう思うと、リカルドは少し胸のもやが晴れる気がした。
「もう一つ伺っていいですか?」
「いいよ」
「あの神官長との婚姻と、ジーンのリトナ勤務を認めたのは、ジーン可愛さからですか?それとも、あの果ての地の管理をしやすくするためですか?」
ローランはにっこりと微笑んだ。
「二者択一とは、リカルドもまだ青いね。私は、ジーンを私の手駒として使うけどね、同時に自分の幸せをつかんで欲しいとも願っているんだよ」
腕の骨が完治するまでに、一ヶ月。そして、さまざまな手続きやらローランの手伝いやらで、もう半月。
少し時間がかかったのは、意外と怪我に関して過保護だったリカルドたち幼なじみのせいと、養子縁組を済ませてから行けと粘ったローランのせいだ。結果、ジーンの右手は以前と全く変わりなく動くようになったし、ローランとは義理の父娘になった。そして、新たな任地へ、支部の代表としてやってきたのだ。
馬車がもうすぐ止まる。
ざざん、と波の音が聞こえた。
鼻をくすぐるこれは、潮の香りだ。
今度はそれが分かる。この街は、どこにいても彼の気配に包まれいてる。
「ただいま、リトナ」
ジーンは、彼と同じ町の名を呼んだ。
これにて完結です。
更新が途絶えがちになったのにもかかわらず、最後まで読んでくださった方がた、見つけて読んでくださった方がた、本当にありがとうございました。




