最後の疑惑~その男は、文官をたぶらかしましたか?3
「感情の大きさに力の強弱が関係するというのは、分かっていたけどな……」
「ユーリオが暴走するなんて初めてだね」
「うみー」
「ユーリオって……いろんな意味ですごいね」
「先代のときも、ここまでのことはなかったなぁ」
両手で顔面を覆ってしゃがみこんだ青年が、嘘だろだなんだと自問するのを、子どもから大人までが生ぬるい目で見ている。
水は今や、屋内に入り込み、ジーンの足元をぐるりと囲んでいる。そんなことは、海をも割れるユーリオ以外の仕業ではあり得ないわけで、それが何を意味するかなんて言うまでもない。
しまいにキャロルが呟いた。
「大体、あれだけベタベタしてたくせに、ジーンさんのこと他人とか仕事で来てただけとか言っても今さらだよね」
「え、いやあれはだって!仕事の上で!」
ユーリオがぎょっとしたように言い訳を始めた。やっと顔が上がる。けれどその顔は真っ赤で、どこにも余裕なんてない。
ジーンは、少し迷って、あえて仕事用の声を出してみた。
「ユーリオ」
「何?」
ユーリオは叱られた子どものような、不貞腐れた返事をした。
「私は貴方にかけられた女好きの疑惑や婦女子誑かしの疑惑を全て『敵対勢力による誹謗中傷』と報告したけれど、間違いでしたか?貴方の私に対する言動は、ただのセクハラでしたか?」
「そんなわけないだろ!」
「じゃあ何?」
煽られて反駁したユーリオに、すかさず切り返す。
すると、彼はガンッと自分の膝を拳で叩いた。
「言えるわけないだろ!ようやく大事な上司と両思いだって分かってこれから幸せになろうって女に、好きだから行くなって縋って振られろって?どんな被虐趣味だよ!」
「えっ」
上司と両想いの女とはなんだろう、今はユーリオと自分の話ではなかったのか、とジーンは驚いた。
「……待って誰のこと?」
眉をひそめたジーンに、ユーリオはため息をついた。ビターンと、足元の海も平たく伸びて沈み込んだ。
「あんたに決まってるだろ……?他に誰がいるんだよ」
「私?!」
ジーンはさらに驚いた。
先程の女は自分とは全く結び付かない。一生懸命こんがらがった頭を解そうと口を動かす。
「えっと、じゃあ、もしかして上司ってローラン様のことだったの?それじゃあ、私がローラン様と両想いだと思ったってこと?確かにローラン様は恩人だけど、そういう相手じゃないわ」
今度はユーリオが目を丸くした。
「え?だってわざわざこんな遠くに回りくどい手まで使って隠すって、そういうことかと……」
「あり得ないわ」
「ちなみにローラン様は、ジーンの養父になることを長年希望している」
ばさりと切り捨てたジーンの言葉を補足するようにリカルドがぼそりと告げると、ユーリオはがばっと彼を振り返った。
「養父?!」
「そうだ。就職前から言っていたのに、こいつが『文官になって出世して、ローラン様のお役に立つ!』の一点張りで聞かなかったんだ」
「……なんだ、そっか。そうなんだ」
小さく笑いながら、ユーリオが立ち上がる。
そして、ジーンの肩に手を置いた。
ぐい、とやや強引なくらいの力で真正面から向かいあわされる。
「確認だけど、ジーンも、ローラン殿のこと恋愛的な意味で好きなわけじゃない?」
「だから、それはないって」
「本当の本当に?」
なかなかしつこいユーリオに、ジーンは大声で怒鳴った。
「最初からそう言ってるわ!」
すると、ばしゃんっと足元の水が歓声をあげるように跳ね上がった。ミルクに雫が垂れたときの、あの王冠のような飛沫だ。その中央に、ユーリオと二人向かい合っている。
ここに来て、ジーンは先程ユーリオが『好きだから』という言葉を使っていたことを思い出した。頬が急に熱くなる。
「ずっと、ジーンは、任務だからいてくれるんだと思ってた。ローラン様が好きだから、帰って来いって言われたら、絶対帰ってしまうって」
ユーリオが少し屈んで、目の高さを合わせてくる。深い海のような藍色の目に、真剣に見つめられている。どきりとするような色がある。
「今は、違う?俺が、帰らないでって頼んだら、ここに居てくれる?」
答えを求められている。
ジーンは唐突に、ものすごく恥ずかしくなった。
あれだけ大きなことをしてしまう人が臆病な聞き方をする。むしろ強引にここにいろと言ってくれたらいいのにと思った。
それでも、言え、と自分を奮い立たせる。何も持っていないジーンの、唯一の武器は言葉だ。
それに、服のなかには花貝が揺れている。これを手放せなかった時点で、自分の答えなどはなから決まっているのだ。
ジーンは真っ直ぐにユーリオの目を見つめた。その藍色に溺れそうに思いながら、口を開いた。
「……私は、ここが好き。子ども達も……ユーリオのことも、好き。もう、海神殿に盾はいらないし、役に立てることがなくなってしまったけど。本当の本当は、それでもここにいられれば良いのにって思ってる」
好きだと言った。ここにいたいと言った。
ユーリオの目が見開かれた。
そして、一度天井を見上げて何事か呟くと、腰を落として片膝をついた。
「ジーン・エレナン。俺の生涯の伴侶になって下さい」
ジーンの左手の指先にそっと触れたユーリオは、まるですがるように両手でそれを握った。
「盾なんていいんだ、役になんて立たなくても、ジーンだから欲しいんだ。だから、俺を、ジーンのたった一人にしてよ」




