最後の疑惑~その男は、文官をたぶらかしましたか?2
幸い寝付いている間に、あばらはほぼ回復し、手の方も固定されていればさほど痛まないまでになっていた。
まだ痛み止めが要るが、役目が終わった以上、これ以上ここで厄介になるわけにはいかない。それに、ここよりやや太陽神殿よりのとある町に、治癒術に長けた神殿があるという。指の動きに支障がでないように早めに見てもらうべきだというリカルドの主張により、帰路につくことになった。
のろのろと片手で詰めたというのに、荷造りは、呆気ないくらい簡単に終わってしまった。
せめてここの庭から海を見納めしたいと思ったが、降り続く雨で、かなわなかった。
「もう、出られるな」
リカルドの言葉には、喉がつまって返事ができなかった。
無言で頷いたら、リカルドは呆れたようなため息をついた。よほど恨めしい顔をしていたのだろう。
最後に皆に挨拶をと、玄関へ向かう。
ホールに続く扉を開けると同時に、赤い弾丸が飛び出してきた。
「ジーン!」
気づけばマリエとナタリエにしがみつかれていた。
痛めたあばらを避けるように服だけ掴むと、少女たちは叫んだ。
「いっちゃやだ!」
「ずっと居てって言ったじゃない!」
「マリエ……ナタリエ……」
「ユーリオの意気地無し!なんでジーンのこと引き留めないの?!お仕事の都合とかそんなの関係ないよ、あんなに仲良しだったじゃない!」
「二人とも、大人しくしてろ。迷惑かけちゃ、駄目だ」
ユーリオがたしなめて離れさせようと、マリエの背後に近づく。
それは、久しぶりの距離のユーリオだった。
亜麻色の髪がくしゃくしゃで、目の下には酷いくまができている。藍色の目が、困ったように俯いて二人の赤毛を見下ろしているのは、彼女たちがしっかりジーンの側に貼り付いているから。無理やり引き離すには、ジーンの服に触れなくてはならないから。
たった数日前、潰れるほど抱き締めてきた人が、服に触ることすら躊躇っている。その前だって、手を握るわ、腰を抱きかけるわだったのに。それなのに、今やジーンは子どもがしがみついたら『迷惑』になる相手らしい。
そう思ったら、また、切なくなった。
「もう、私、他人ってことね?」
「……そういうことになるでしょ」
肯定された。
ジーンは、目元がかあっと熱くなるのを感じた。
「分かった。みんな、良くしてくれて本当にありがとうございました。こんなかたちで去ることになって、ごめんなさい。お元気で」
本当の本当は、ユーリオを詰りたい。こんなにあっさり別れを告げられるくらいなら、大事になんてしないでほしかったと。けれど、自分だって子どもたちに婚約者だなんて嘘をついて、今だって肝心なことをユーリオに言えずにいるのだ。自業自得すぎて、何も言う資格がないとジーンは思った。
頭のなかはぐちゃぐちゃだ。とてもじゃないけど目をあげる余裕なんて無く、口早にそれだけ告げて、続くさよならは、深呼吸しても、かすれ声にしかならなかった。その声の固さに、マリエとナタリエの手から力が抜ける。
決意を込めて、ジーンは、くるりと背を向け玄関扉を開けた。
そして、閉じた。
ジーンはそのまましばし立ち竦んだ。
「ジーン?」
ミンミが不思議そうに呟いた。
けれど今度はジーンの肩が小刻みに揺れ出した。ふわふわと、肩上の髪も揺れる。
「……ユーリオ、私、帰ってもいいの?」
ジーンはおかしな聞き方をした。
「どうぞ、お好きに」
ユーリオは怪訝そうに、少しだけジーンの方を伺って答えた。
「本当に?」
「もちろん」
ユーリオは何かを振り払うように先程よりもはっきりと言った。
すると、ジーンが泣き笑いのような顔で振り向く。そして体を壁に寄せて戸口を避けるようにした。
「これでも、本当?」
扉を開ける。
そこには、大量の水。
海が行く手を塞いでいた。




