最後の疑惑~その男は、文官をたぶらかしましたか?
一頻り涙の再会やらお説教やらを終えると、ジーンが疲れてしまうからと、皆退室していった。
部屋には、ユーリオと、そしてリカルドが残った。リカルドが、ユーリオを呼び止めたのだ。
「まさか、まだお説教…」
嫌な予感に顔をしかめたジーンに、リカルドは首を振った。
そして、爆弾を落とした。
「いや。帰還命令を伝えようと思って」
時が止まった。
数十秒後、ざあっとにわか雨の降りだす音で、やっとジーンの石化が解けた。
「きかん……」
上手く理解できないままに繰り返して、それから目を見開いた。
リカルドの胸元から取り出された封筒は、よく見知った太陽神殿の正式文書のもの。
「これだ。お前が出した文書の返答でもある」
忘れかけるほど時間をかけて処理された正式な命令は、片手で受け取るジーンには、重すぎる気がした。
のろのろと紙を開くと、任務完了時には先方と契約解約後帰路につくこと、とまとめるとそのようなことが書かれていた。
「任務完了って……」
「海神殿の監査報告はすでに届いている。加えて、支部のあのシーラという女が海神殿への誹謗中傷を認めた。よって、お前の任務は名実ともに一昨日付けで完了している。リトナの支部は神官全員が付け火やお前の誘拐やらで身柄を拘束されて、一掃された。それに、太陽神殿の派閥争いも、無事にローラン様が収めた。だから、もうお前がエレナに戻っても安全だ」
淡々とそこまで説明して、リカルドは片眉をあげた。
「……なんだ、嬉しくなさそうだな」
「だって、」
喘ぐような声になった。ジーンは、一度呼吸を整えなければならなかった。
「……なんだか、急すぎて……リトナの問題が解決したのは、よかったけど。待って、そもそもエレナが安全って……何それ、私、危険から逃れていた記憶がないんだけど。ちゃんと、説明してよ」
リカルドの説明は、いつも端的すぎる。怪我人にだって優しさというものがない。今も、求められてようやくため息混じりに付け足す。
「ローラン様は、国内の太陽神殿の派閥争いを鎮圧する計画を立てていたんだ。それで、俺たちもあちこちに行かされていた。ただ、いざ本丸崩しにかかるとなると、ローラン様の秘蔵っ子と思われてるお前は狙われるかもしれない。だから、任務がてら遠くに避難させてたんだ。……ローラン様曰く、『リトナの海神殿なら万に一つも負けることはないから』だそうだ。まあ実際は、お前の暴走や他から逃れてきた分神官派が倍増したせいもあって、かなり際どくなったけど、ユーリオ殿のあの力を見ればその信用も納得だな」
リカルドは、続けて鎮圧された都市の名をいくつか挙げた。知らなかった派閥の勢力図が、これまた知らないうちにローラン側に塗りつぶされたらしい。そして自分は敢えてこの、中央の力が届きにくいリトナに送られていたらしい。リトナは、ユーリオがいれば安全だからと。
「そんなの、聞いてない」
「それもローラン様のお考えだ。お前には知らせるなってな」
「私は、聞いてない」
ジーンは駄々っ子のように繰り返した。
本当は、そこにこだわりたいのではない気がした。けれど、上手く触れられる気がしなくて、感情がささくれるままにリカルドを詰る。
それからジーンは、ユーリオを見た。
さっきから彼は無言でベッドサイドに立っている。
なにか言ってほしいと、ジーンは祈った。
「大事だからだろ」
唐突にユーリオが言った。
ジーンには、意図を読めない言葉だった。
「前にも言ったじゃん。汚いことも危険なことも知らせたくないほど、大事に思われているんだよ。……よかったな」
優しい言葉のはずなのに、ジーンは突き放されたように感じた。さっきから目が合わないことが、不安をさらに増幅する。
「ユーリオ?」
「出世して、役に立ちたい相手って、ローラン様だろ?あっちも大事に思ってて、任務完了で帰って来いって言うんだから、めでたしめでたしだよな……ずっと帰りたいって思ってたもんな」
ジーンは、今度こそ言葉を失った。
これでは完全に、帰れという意味ではないか。目覚める直前に、水のない海底で抱きしめてくれていたと思ったのは、幻だったのだろうか。呆然とする。
「いろいろこっちも助かったよ。その、なんていうか、ご苦労様」
言葉もなくただ見上げるジーンに、ユーリオはもともと合っていない目をさらに逸らすかのように俯いた。
「子どもたちにも、ちゃんと言っとくから」
ジーンには聞けなかった。
帰った方が良いのかという一言を。
「そう、だね……」
「……色々、支度しなきゃな」
彼はそう言って、くるりと背を向け出ていく。
バタンと、扉が閉ざされる。
窓から聞こえるのは雨の音ばかりで、今日に限って波音が聞こえない。
ジーンはボスンと枕に倒れ込んだ。
何も考えたくなかった。会話のあとはいつもなら盛んにメモをして内容を記憶にとどめようとするけれど、怪我をしているから、それも出来ないし、また出来なくてもいいと思った。夢のように、目覚めたら記憶も何もかも、消えてしまえばいい。
無事な方の手で目元を覆ったのは念の為だ。
リカルドがため息をついた。
「泣くくらいなら、なんで『そうだね』とか同意してんだよ」
「泣いてない」
「どこがだ」
リカルドが放ったハンカチが、ジーンの頭を直撃する。
「……だって、私、いてももう盾にもならないし」
そもそもその盾すら、結局はユーリオが本気を出せばいらない程度だった。その上。
「こんな手じゃ、ここにいてもなんの役にも立たない……」
ひっく、と喉の奥が鳴る。
「何、泣いてんだよ……あーもう」
だから嫌だったんだよ、とリカルドががしがしと頭をかいた。それから腰に手を当てて、ぐいと屈む。
「ここの人間の役に立ちたいからってこんな怪我までしておいて、まだぐだぐだ言ってる方が俺には分からん。俺がリトナに来たのはローラン様に言われたからだし、俺は自分の任務を全うするけど……お前さ、『役に立つ』だなんだって言い出した時点で、お前が誰を大事に思ってるかなんて丸わかりなんだよ」




