嵐5
泳げ。
重い。
息が。
沈む。
苦しい。
もみくちゃにされる。
なみがおしよせる。
ばらばらになってしまう。
おわってしまう。
ユーリオ。ユーリオ。ユーリオ。
――退け、道を開け――
ユーリオの声がしたと思った。
きっと走馬灯というやつだ。またはもう死んでしまったか。
息が苦しくないと気づいて、後者なのだと納得する。
それなら目を開けても大丈夫だろうと、ジーンはそっとまぶたを押し上げた。しばらく塩水が目に染みていたが、何度かまばたきを繰り返すと、やがて視界が開けた。
「………」
ジーンは、言葉を失った。
見えたつもりでまだ目がおかしいのだろう、何しろ溺れたあとだし、ともう一度しっかりまばたきをしたのだが。
「えぇ……?!」
海が左右に割れていた。
死者の見る夢にしても突拍子もない。
自分が助かった夢を見たいにしても、海底に座り込んで自分の回りの水だけ綺麗になくなっているなんて。
どうなっているのか、と水の残っているところへ近づいて触ると、指先の接した部分がぐにょんとへこんだ。
海が、自分を避けている。
ジーンは、考えるのを放棄した。どうせ夢だし、と。
そこへ、風に乗ってかすかな声が届いた。
「…ジーン!」
「都合の良い夢……」
ユーリオの声まで聞こえるなんてと未練がましさに恥ずかしくなって、耳を抑える。
けれど、裏腹に視線は声のした方を辿っていた。
すると、今度は目にも映った。青い水の壁の間を、ユーリオが走ってくるのだ。
抑えた指の隙間からは、海底を駆ける足音まで聞こえる。
「ジーン!!」
近づいてくる声の、姿のリアルさにぼけっとしているうちに、ユーリオはもう目の前に迫っていた。そして。
「……!」
力強く抱き込まれた。
全身に感じる体温に、息が止まる。
「よかった……!」
まるで大事なものを見つけたような声で言われて、胸が疼く。
ジーンは夢のくせに残酷だと苦笑した。こんなに願望を詰め込んだような夢を、死んだあとに見せないでほしい。
「ユーリオ、ごめんなさい。私、死んだみたい」
「馬鹿なこと言うなッ!縁起でもない……!」
「うん、でもね、ごめん。あり得ないでしょ」
目覚めない自分に言い聞かせる。
「何が」
「ほら、これ、この海、なんか変だし」
さらにきつくなった抱擁の間から海を指し示す。
けれど、ユーリオはそちらを見もしなかった。ジーンに括られた石に気づいて荒縄を解きにかかったからだ。
そして盛大に顔をしかめながら、彼は言った。
「俺がどかした」
「は?」
「俺が海をどかしたんだ。だからこれは、現実だよ。ジーンは生きてる」
「俺がって、どかすって、だって、海だよ?」
けれどふざけたようすもなく、声はあくまでも真面目だ。普段あんなに軽いのに、荒唐無稽なことを言う今はこんなに誠実そうで。
「だから、前に言ったろ?俺が祝詞を唱えると、本当になっちゃうって。リトナの海は、海神の末裔の声に従うの」
――祝詞は人から神に捧げるものだろ?あの言葉、バーナムが唱えるから祝詞だけど、俺が下手に喋るとなぁ。聞いて驚け、本当になっちゃうんだよ
――あ、信じてない。これ本当のことなのになー
海神殿の集会のあと、交わした言葉を思い出す。冗談目かして言っていたから、本気にはしていなかった。
しかし今、海は割れている。
ユーリオは、なぜかジーンの居場所を正確につかんで、こんなところまで助けに来た。
「でも私、」
海とユーリオを見比べる。しかしユーリオが首を横に振る。
「それ以上不吉なこと言わないで」
頼むからとまで言われて、ジーンは混乱しつつも口を閉じた。
「ジーンが海に飛び込んだから、俺に居場所が分かったんだ。その貝殻をつけててくれたから。……くそ、ほどけないな。……それにしたって、こんなこと許せない。あの女、ジーンを殺す気だったってことだろ」
「あ、ありがとう…ひゃぁ!?」
ようやく縄が解け、重たい石から解放されると、ユーリオに即座に抱き上げられた。
未だにジーンは自分が生きているのか半信半疑だったが、ユーリオの腕は濡れた服越しにしっかり熱を伝えてくる。
歩き出したユーリオの肩越しに振り向くと、背後で海が閉じていった。
本当に、ユーリオのために開いた道だったのだ。
ユーリオはその道を、滑るように歩く。それはいつか見た儀式の時と同じ、まるで魚が泳いでいるようだと思った。




