嵐4
制圧は予定通り決行された。
領軍を引き連れたリカルドが粛々と、かつ迅速に内陸から押し寄せる。
当然それに真向勝負を挑む者ばかりでなく、逃げようと試みる者も多かったのだが、そうして海辺を目指した者は、退路を塞ぐように迫る水に驚愕した。
ただの土砂降りではない。
それは海水だった。
海が膨れ上がり、まるで生き物のように町を浸食していたのだ。
この異常な光景に、逃げ場を失った逃亡者は大混乱に陥り、呆気なく領軍によって捕らえられた。
事態は制圧者側の圧倒的な勝利かに見えた。しかし、支部内に入った彼らもまた、慌てていた。
人質となっているはずのジーンが見つからなかったのだ。
「どういうことだ?」
「くまなく探せ!隠し部屋があるかもしれないぞ」
ジーンが見つからなければ、攻め込んだ大義が失われる。もちろん、放火や海神殿への脅迫など実際に悪事は行われているのだが、領軍を動かしたリカルドは立場を失うし、領主としても『文官の武器』という不可避の要請の方が武力行使の言い分がたちやすい。
そして何より、
「ジーンは!?なんでいない?!」
ユーリオが荒れ狂っていた。
「落ち着け。捕らえた者達に確認中だ」
リカルドが宥めても、落ち着けるわけがない。ダン!と強く壁を殴りつけると、荒々しい足取りで縄打たれた一団のもとへ向かう。
「俺の婚約者をどこへやった?」
見張りも尋問していた者も突き飛ばす勢いで、最も煌びやかな衣の男の襟首を掴み上げて問いただす。
「お前には我が娘をくれてやると……ひぃぃッ!」
吊り上げられた男の足が、情けなく床を搔く。
「俺の婚約者はどこだ……!?」
「…地下の、そう、こ……」
「そこはもう調べた」
首を振るリカルドを確認すると、再度吊り上げる。
「ぐぅっ……!本、当…だ…そんな、たしかに、そこに……!」
失禁しつつも首を横に振り続ける男を突き飛ばすように放して、他の者をぐるりと見回すと、数人明らかに震えの大きい者がいる。ユーリオの体がゆらりとそちらに傾ぐ。
「お前、知っているな?」
ユーリオがつかみかかる前にリカルドがその男の肩に手を置いた。
「早く吐いた方が身のためだ。……アイツはお前の鼻を削ぐのも躊躇わないぞ」
前半は甘く、後半は酷薄に囁けば、された方は毒を流し込まれたように口をぱくぱく動かし出す。
「耳からいくか」
「シーラ様がッ!」
駄目押しの呟きで男は落ちた。
「シーラ様が、罰を与えに行った……!」
罰という言葉にユーリオの怒気が目に見えるほど増幅する。尋問相手が殺されぬよう、リカルドは急いで問い詰める。
「そうか。それで、その女は文官をどこへやった?」
「分からない……でも、隠し通路の鍵を持っていた……そのあとは、知らない!本当だ!俺は帰されたんだからッ!」
絶対零度のユーリオに見下ろされ、恐慌状態に陥った男が、口角から泡を飛ばす。
「鍵は」
「どうにでもなる。神官長殿をその通路とやらにお連れしろ」
猿ぐつわに唾液が吸い取られて、口の中がカラカラだ。それなのに引っ立てられて歩かされるから、息が上がって喉がひりひり痛い。
後ろ手に縛られている上、身分がわかりやすいようにとわざわざ着てきた文官の制服が絡んで、歩きにくい。
よろけるたびに小突かれて、ジーンはふらふらだった。
何故か長い地下通路を歩かされた。
地下だというのに天井からぼたぼたと絶えず垂れてくる水滴で、服はびしょ濡れになった。しまいに足下にも水が溜まり、通路はまるで水路のようになった。
出たところで潮鳴りを聞いた。
「あのね、貴方の遺体が支部で見付かると迷惑なの。だから、貴方にはちゃんと自分で出て行ってもらわないと」
つまり、地下から外へ出るのだろう。
相変わらず、なんとも行き当たりばったりな行動だ。捕まえて人質にすると思いきや、連れ出して殺そうという。
ジーンは、きっとこのシーラの独断による変更なのだろうと予想がついてきた。ユーリオについての誹謗も、今ジーンを殺そうとしていることも、彼女の盲目的で自分勝手な恋慕によるもの。だから、連行する人数は少ない。けれど、屈強な男二人はこれもシーラに盲目なようで、一部の隙もない。
急な坂を登りきったところが、小さな掘っ立て小屋になっていた。男の一人が扉を開け、ジーンは押し出されて外に出る。
そこは、海の上だった。
断崖と言うほどの高さはないが、妙な具合に岩が波に抉られせり出している。見える限り波間にはすがりつく岩一つない。
そして今、海は大きくうねっていた。ここへ来てから見たことがなかった鉛色の空が、しぶきをあげる海に覆い被さっている。
夜の海は見た。しかしあのときよりもよそよそしく見えるのは、ここが自分の死地となる予感からだろうか。それとも降りしきる雨で先が見えないからだろうか。額を伝った雨が目に入り、ジーンは目を瞬かせた。
「最後に何か、言い残したいことは、あるかしら?」
なんでなどと、聞いても意味はないだろう。
目の前の女性は、自分にとって邪魔な存在ならば消してもいいと思う人間なのだから。そんなのは太陽神殿の神典にも反しているのだが、そう言って通じるならば初めからこんなことはしない。
ただ、猿ぐつわを外されたのは、うれしい。
一番気になることが口をついた。
「この後も、ユーリオや子ども達に、手を出すつもり?」
シーラの目が不愉快げに細められる。
「自分の、死んだ後の心配?なんのつもりかしら。彼は、貴方となんか、もうなんの関係もないのに」
さらりと子ども達のことを無視して聞き取られた。
「関係があろうとなかろうと、お世話になった恩はあるもの。それで、子ども達には手を出さないのよね?」
「手を出すだなんて、失礼ね。どこかへやってしまえばいいではないの。もともと本当の子どもでもないのに」
「ユーリオはそんなこと許さない」
ばしん、と頬を張られた。
「私が言ったら言うとおりにするのよ!」
ああ、彼女は本気でそう思っているのだ。
何でも自分の思い通りになると、ミンミよりも幼い子どものように、本気で信じている。
「ああ、そうね。そうだわ」
シーラがまた、少女じみた仕草で両手をぱちんと合わせる。
「貴方が躊躇わないように、約束してあげましょう。貴方はこれから、石を抱えて、自分で海へ飛び込むの」
男に渡された石は子どもの頭よりも大きいほどで、ジーンは重みによろめいた。体に括り付けられていくそれは、海水に浮力があっても沈むしかないと実感させる。まあ、つけていなくても泳げないジーンは沈むしかないのだが。
「それでね。貴方が海に入るまで、数を数えてあげる。その数だけ、子ども全員を鞭で打つのはどう?」
それじゃあ優しすぎるかしら、と頬に手を当てるシーラに、頭の中だけで、狂っている、と呟く。あたまがくらくらして、目をつぶった。
リカルドはちゃんと武力行使できただろうか。もしできたなら、ジーンの身柄が見付からなくて困っているかもしれない。でも、リカルドなら、何とかするはずだ。たとえ行方不明でも、状況証拠でごり押しできるだろう。
ユーリオは?彼は、自分を責めるかもしれない。でも、リカルドが動けていれば、少なくとも子ども達と安全に生活できるようになる。
ジーンは深呼吸をした。
別に、死ぬと決まったわけではない。
それが自分で選んだ仕事の結果なのだから。
それが少しでも彼らのためになるのだから。
ただ、死ぬかもしれないというだけで。
幸い、見付かったときの言い訳のためか手足は縛られていない。
ミンミだって泳いでいた。
石はなんとか外せるかもしれない。
「もう、いいかしら?」
「はい、シーラ様」
思考に耽っている間に、石を括る荒縄が結びおえられたらしい。
ジーンはまぶたを持ち上げた。
「では、数えるわ」
一秒だって数えさせるものかと、ジーンは宙に身を投げた。




