嵐2
朝、神殿の空気はどんよりと沈んでいた。
ジーンを帰したと伝えると、子どもたちは大層ショックを受けた。ミンミやジョシュは泣き出した。マリエは青ざめた顔で唇を噛んでいた。年少者を慰めるキャロルらの顔色も悪い。
子どもたちには告げていないが、ジーンの部屋は朝、ユーリオが訪れた時には既に空だった。布団はきれいに畳まれて、荷物も全て残っていない。ユーリオが帰るように告げるより早く、彼女はここを出て行ったのだ。
「ユーリオ。ジーンさん宛の手紙なんだけど…」
朝食前、マチスがユーリオのもとに駆けてきた。
「どこから?」
「太陽神殿から」
差し出された封書の裏書きには、確かに見知った名前があった。ジーンの上司、ローランからだ。
しばらくそれを眺めた後、ユーリオは封を切った。それは、リトナ支部についての資料だった。
「あの、それでその手紙を持ってきた人が、ジーンさんに会いたいって言うんだけど」
ユーリオははっと顔を上げた。
まだ人を尋ねるには早い時間だ。けれど、会わないという選択肢は無い。
その人物がいるという祭壇前に行くと、短髪の旅装の男が立っていた。
どこにでも居そうな格好なのに、妙に隙がない。
ユーリオは、声をかける前に振り向いた男を見て、そう思った。
「遠路はるばる、ありがとうございます。私はこの海神殿の神官長、ユーリオ・リトナです」
「太陽神殿本部から参じた、リカルド・エレナンと申す者です」
エレナンは、ジーンと同じ姓だ。
そしてジーンが消えたタイミングで現れたその男は、前置きもなくこう言った。
「ジーンが世話になりました。あの馬鹿に少しでも縁を感じてくれるならば、少々お時間をください」
ジーンを呼び捨てにするだけでなく『あの馬鹿』呼ばわりする男に、こんな時なのにユーリオは胸がざらつくのを感じた。
そんな気持ちの乱れを感じたのか、彼は改めて名乗り直した。
「一応先に申告しますが、俺は、原典派のローラン神官の直属です。太陽神殿本部の一位文官ではありますが、俺がここにいるのは神官派のそちら側への侵害行為を抑えるためであって、査察目的ではありません」
ローランの手紙を持ってその名を告げる男を、ユーリオは信用することにした。
「承知しました。それで、ジーンはどこに居るのですか?」
初対面の得体の知れない人間に焦りを見せるのは、得策ではない。けれど抑えきれず、素っ気ないほど単刀直入になる。
傍らのバーナムが目で注意してくるが、そんなの分かっているのだ。
「知りません」
「知りません?!貴方のもとにいるんじゃないのか?」
とうとう敬語を使い損ねる。
またバーナムの目がうるさい。
「なるほど。……ということは、そちらも把握していない、と」
はぁ、とため息交じりに言われて、探られていた上無様に情報を晒したことを悟る。けれどそれどころではない。
「答えろ。あんたはさっき、ジーンに縁を感じるならと言ったよな。つまりジーンがどこにいて何をする気なのか知ってるんじゃないのか?」
黒い目がぎろりとユーリオを射る。
「上に立つ者とは思えない直情ぶりだな。俺は知っているとは一言も言っていないし、それを隠す気もない。俺が知っているのは、あいつがここにいないことと、多分危険なことをしていることだけだ」
すでにお互い最低限の敬語すら使っていないが、そんなことに構っている余裕はない。
「危険?!」
「お宅の反応で、それもそちらの指示ではないこともはっきり分かった」
「は、え、ちょっと待て。まさかと思うけど、ジーンは、支部に行ったのか?!」
リカルド・エレナンはこれに答えず小さな紙片を差し出した。
訝しみつつ受け取り、ユーリオは眉を寄せた。
「『正午、文官の武器を使って。条件は私が満たす』……文官の武器って何だ」
「一般には知られていない。別名『差しちがえ』という、文官の身の危険が前提の武力行使だ」
「嘘だろ?!」
大きすぎる声が講堂の高い天井に響く。
「嘘などついている時間は無い。あいつは俺が近くにいると知って、誰にも相談もせずにつかまりに行った。腹立たしいが、そちらにとってもこれは好機だ。協力する気はあるか聞きに来た」
「好機ってなんだ。彼女を道具として扱う気はないぞ」
「どちらでも良い。とにかくあの馬鹿は、多分一人で敵地に乗り込んだ。俺は領軍を動かすが、救助にしろ制圧にしろ手は多い方がいい」
協力しろなど、言われるまでもない話だ。
「では、正午だ。この雨に乗じて俺は陸側から一気に攻める。そちらは海側に逃れた者を捉えろ。生死は問わない」
それだけ確認すると、リカルドという文官は去って行った。激しく降り始めた雨で、後ろ姿はすぐに見えなくなる。
ユーリオもすぐにバーナムと相談を開始する。
ジーン宛ての手紙によると、支部長は半年前まで太陽神殿の本部にいた神官派の人物。派閥内の権力闘争に負けてリトナにきたらしいが、未だに陰で多くのつながりを持っていると目されている。
支部には彼を筆頭に正式な神官が九人、その他に支部長の妻と、一人娘がいる。
「正式な、というのは?」
側で聞いていたバーナムが尋ねる。
「内陸から様々な理由でこちらに身を寄せている元神官がいるようだ」
リカルドからジーン宛ての書面には、半月前までの食料の動きなども書かれていた。それによれば、申告の倍以上の人間がいてもおかしくない。
「港の向こうの出入りは分からないからな……」
そもそも支部設立時に、神官たちの居住地が出来たところから発展した集落なので、地の利もない。
かろうじて、支部の周りが商店ではなくて個人の住宅地域だと聞いているものの、中がどうなってるかも分からない。
豊かなリトナの領軍は、質も量もそれなりのものだから、彼らが出てくるとなれば、敵の十人そこら万が一にも取りこぼすことなどない。ユーリオたちの出る幕はない可能性が高い。
しかし、あちらにはジーンがいる。人質にされ、盾にされれば、人数も屈強さも意味をなくすかもしれない。しかも、実際の敵の数はもっと多い可能性が高いという。
ユーリオは、人員配置を提案してくるバーナムを、片手で制した。
「俺がやる。一人の方がいい」
バーナムが、険しい顔を一層固くした。
「……ユーリオ。本当に良いんですか?貴方が本気になれば、周りの見る目は変わる。ずっと、気にしてきたでしょう」
恐ろしげな顔に似合わず、声は気遣わしげに潜められている。
「分かっているし、良いに決まってる。もともと、そのつもりだったんだ」
ユーリオは即答した。
「どうなるにしろ『神は、自ら泳ごうとする者を助ける』んだよ」
自分たちの教典の一節を説かれて、バーナムは黙った。




