嵐の前2
一緒に洗濯物を干し終えて、キャロルと屋内に戻ると、ユーリオがぼうっと壁に寄りかかっていた。
キャロルはジーンを肘で突いて、意味ありげに笑って立ち去る。
もしかして待っていたのか、と思ったが、聞けない。肯定されたら、反応に困る。
まだぼんやりした顔で軽く笑ったユーリオの側に、そっと近づいてみる。
「……キャロルのお勤め先って、どの辺りになるの?」
「キャロル?坂を下ってちょっと入ったところの、マンマリッタベーカリーの予定。リッタさんは大らかだし、腕もいいんだ」
「そう」
心ここにあらずかと思いきや、ユーリオは即答だった。よく知っている店だからキャロルを任せることにしたのだろう。ジーンはほっとした。しかしユーリオは逆に心配そうに眉を寄せた。
「なんで?キャロル、なんか言ってた?」
「ちょっと、ナイーブになってたかな」
ユーリオは腕を組んでため息をついた。
「本当はここから通いでよかったんだ。キャロルは自立するって言い張ってたけどさ、だから、せめてすぐ近くの店でと思って」
「近ければ様子も見に行けるしね」
それからふと、ジーンは窓から空を見上げた。
ガラス越しとは思えないほど鮮やかな、抜けるような青が目に刺さる。
海辺のリトナの空の色は、内陸のエレナとはだいぶ違う。つながっているとはいえ、天気どころかもともとの色さえ違うのだ。遠いな、と思った。
――ローランからも、リカルドたち仲間からも、ここは遠い。
「ジーン?」
ユーリオに呼ばれて、目を戻す。
――エレナは、ユーリオたちから遠い。
目に刺さった青が届いたのか、つきんつきんと胸まで痛い。
けれど今はそれどころではないのだ。そう、自分を戒めた。いや、目を逸らして誤魔化したのかもしれない。
考えること自体放棄して笑い顔を作った。
「なんでもない」
「……久しーぶりにその顔見た」
ユーリオが苦笑交じりに言う。言って、人差し指を伸ばして、ジーンの頬にちょんと触れた。
「分っかりやすいんだよなぁ、その営業スマイル」
そうして彼女が言い返せないのをいいことに、その指先が、なごり惜しげに頬のラインをなぞっていく。
「ユーリオー!」
ジーンが答えを見つけるより前に、子どもたちがかけてきた。
「ユーリオ、ジーン、あのね、これからお菓子作るって!来てきて!」
「あ、うん」
ジーンはジョシュに手を引っ張られて歩き出した。ジーン、と呼ばれる。
「あんたがどこにいようと行こうと、勝手に守るからね」
地図上に丸が増えていく。
たった今それを書き足した上司が、つとその目を東の端に滑らせたことに気付いて、リカルドはため息をついた。
陸の果て、海との境のその地域には、まだなんの印もついていない。
「ジーンが心配ですか」
男はいたずらがばれた子どものように少し肩をすくめる。そんな俗っぽい仕草すら、彼にかかると優雅に見えるから不思議だ。
「あの子は支部の詳細を聞いてきたのだったね。変に動こうとして気負わないと良いけれど」
あそこは海神殿陣営が頑張ってほしい場所だから、と言いながらペンを弄ぶ。
「ええ、私経由で、正規の手続きより早く返事を届けます。7日もあれば支部の情報がジーンの手元に着くかと」
「ジーンが動くとすればそれを待ってからだろうね。リトナの決着は早くともそれ以降かな」
「お急ぎなら俺が決着をつけてきましょうか?」
「うーん……それもねぇ」
「……前々から疑問だったのですが、なぜ全て我々で制圧しないのですか?手勢は足りていると思いますが」
リカルドは、まどろっこしいという気持ちを隠さずに尋ねた。敬愛する上司のいうことだから、反対はしない。けれど、彼の敬愛する人は、部下が疑問を投げ掛けることを嫌ったりしないということも知っている。
ローランはにこりと笑ってリカルドへ体を向け直す。
「リカルドは、他の神を奉じる者達と手を結ぶことに抵抗があるかな?」
「いえ。私自身は太陽神を信仰するのを変える気はありませんが、他人は他人なので」
「貴方のそういうところも、本当に面白いよねぇ」
「よして下さい。それより、その問いの意図はどこにあるんですか」
「ふふふ。そうだったね。他の神を奉じる神殿と手を組んでの勝利を、快く思わない者もいる、というのがヒントだよ」
「すみませんが、俺には分かりません」
「つまりね、原典派が神官派を制圧するとき、それが単独で圧倒的な勝利ならば、自分達こそが正義だ、と考える者が出てくるんだよ。そして、次は他の者達を排斥しかねない。残念ながら、原典派も一枚岩ではないからね。」
「そんなものでしょうか」
リカルドにとって、大切なのは恩人のローランと、自分の仲間が安全であることだ。本心では、誰が何派でも何教でもどうでもいい。
首を傾げた部下に、ローランは苦笑した。
「そんなものでしょうよ。だから、我々は東は海神殿から、西は山神まで、多くの神や神殿の手を借りて、辛くも勝利を収める必要があるんだよ」
それは、勝利後の自陣営を戒めるための調整だ。
「つまりローラン様は、原典派が正義だとは思っていないということですね」
「貴方は本当に鋭いねぇ。そうだよ、原典派も道を踏み外す可能性はある。近年は神官派が過激化し、排斥行為を働き過ぎたため、その実行力を削ぐ必要があった。ただそれだけのことなんだけれど」
それから、頬杖をついて、ふうとため息をついた。
「こんなふうに人の生死の数まで操ろうとするなんて、私は誰よりも神を冒頭している気がするよ」




