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嵐の前

二日も建物にこもっていると、子ども達も飽きてきた。だがジーンを守れという指令があるため、表立って不満は口にしない。いい子達だ。けれど、元気のない姿やいらいらしやすい様子が目につく。仲良しのナタリエとマリエはリボンの取り合いでケンカをするし、温厚なマチスがジョシュのちょっとしたからかいに腹を立てて怒鳴り返すなんてこともあった。

いつもならこんなとき、子どもたちをなだめるのはキャロルだ。しかし彼女も、元気がない。

一人井戸の側でぼんやりしている姿を見かけて、ジーンは少し迷ったが声をかけた。

「キャロルも、外に出たいよね」

「え?あ!違うのちがうの」

キャロルは否定しつつ、ため息をついた。

「私はむしろ、ずっとここにいたいくらいなんだから」

「ずっと?」

うん、とキャロルは頷いた。

「あのね。私、もうすぐここを出るの」

「そうだったの……」

ジーンは少し意外だった。

あのユーリオか、本人が望まないのに神殿を追い出すだろうか。

ちなみに太陽神殿の孤児院の場合には、神殿の下働きにならない場合、養育にかかった費用の一部を返還しなくてはならなかった。その上エレナでは保証人がいない孤児が雇い先を見つけるのは難しいため、孤児院からそのまま神殿で働く者がほとんどだ。神殿の下働きはきついため、外からの希望者がなかなかいないということは、街で働きだしてから知った。

けれど、養父にまでなったユーリオが今さら費用の返還を求めるとは思えないし、この町での海神殿の立ち位置を考えるに、孤児だからと敬遠されるとも思えない。

「いいお勤め先が見つからないの?」

思いついた可能性を尋ねてみるが、キャロルは首を横に振った。

「ここを出るのが嫌なら、ユーリオに話してみたらどう?」

すると彼女は伏せていた目を少し上げて、おずおずと教えてほしいんだけど、と言い出した。

「ジーンさんは、孤児院出身だって言ってたけど……街で働いて、それからまた神殿に戻って文官になったんでしょう?」

「うん、そうだよ」

「それってどうして?」

「太陽神殿の文官になるには試験を受ける必要があるから、その準備で。私の場合、先に街に出ていた仲間と一緒だったから、何かと助けてもらえて」

下働きをしながら試験合格を目指すのは無理だと、リカルドたち先陣にローランが自立の支援をしたのが始まりだ。

「え?それって男の子じゃないよね?」

「両方。何人かで住んでたし、先に就職に成功した子が次の子を支える形だったから、家賃も食費も助かったな」

キャロルはなんだそっかと、やたらとほっとした顔をした。それから、また声を潜めた。

「神殿に戻ろうと思ったのは、寂しかったから?」

ジーンはしばらく黙って考えた。けれど、仲間の顔が浮かんできたので、寂しいという言葉は当てはまらないなと思う。

「ううん。私が戻ったのは、役に立ちたい人がいたから」

自立を助けてくれた仲間への恩を返すなら、次の代に還元すればいいので、神殿の仕事にこだわる必要はない。しかし、神殿にはローランがいた。

先に文官になったリカルドたちには、止められた。女のお前が、とあまり何度も眉根を寄せて言われ、その後も意地になるほど。

「その人と、また会えたの?」

「うん」

ジーンはにっこり微笑んだ。

現在の上司だ。働き始めてみると、人使いが荒く、横暴で、腹黒いところも見えたのだが、驚きはしても幻滅することはなかった。仕事に厳しくても、やっぱりローランは優しいと思えたし、何より彼は、ジーンに文字をくれた、ジーンの世界を変えた人だったから。

だから、後悔はないし、役に立ちたい気持ちは今も変わらない。

そう、リトナにいる今も、ローランの役に立ちたい気持ちがずっとある。何故か息のしづらさを感じて、ジーンは話を戻すことにした。

「私はこんな感じ。何か、キャロルの参考になった?」

キャロルはしばらくうろうろと目をさまよわせて黙っていた。

「あのね……ジーンさんとは、ちょっと似てるような気がしたの。でもやっぱり違うんだけど。笑わないって、約束してくれる?」

「もちろん」

ようやく聞こえた蚊の鳴くような声に、ジーンは即答したが、キャロルはまたしばらくもじもじと俯いた。それから、さっきよりもっと小さな声で言った。

「……私、バーナムさんのお嫁さんになりたいの」

ジーンは上げそうになった声を必死で堪えた。唐突に恋愛方向にきられた舵についていけなかった上、出てきた相手があのバーナム。そもそもジーンは、悲しいかな同性と色恋の話をしたことがほとんどなかった。仕事一辺倒の自分がその手の相談相手に相応しくないことは、自分でも納得していたくらいだ。

「そ……そっかぁ……」

反応に困ったジーンに、キャロルが慌てたような早口で言う。

「あ!あのね、でももちろん分かってるのよ?私がバーナムさんと万が一にも、お付き合いなんてしちゃったら、この神殿が悪く思われるってことくらい。だから、私はちゃんと神殿を出なきゃいけないの。……でもね、」

キャロルの声が、途切れる。

「私がここを出ちゃったら、バーナムさんは、私のことなんてすぐ他人扱いするんだろうなって……それがね、寂しくて」

それはないよとも言えない。バーナムという男の内と外の線引きが厳しいのは明らかで、神殿から自立した人間がその中に入るのかどうかは、ジーンにとって未知の部分だ。

ジーンは、分からないなりにキャロルの言葉を反芻した。特に、キャロルとバーナムのように年の差や立場の差がある場合には、その上周りにどう見られるかという心配も出てくるわけだ。大切な相手だから、役に立ちこそすれ、困らせたくはない。それはジーンにも共感できる思いだった。

「私も、ローラン様のことが大事だし尊敬しているけど……キャロルの気持ちは、それとは違うんだよね。どんな感じ?」

ふと気になって、聞いていた。キャロルはきょとんとして、それから考え考え答える。

「もっと、欲張りな気持ちかな。側にいたくて、他の人と話して欲しくなくて、触られたくて」

ああもう、こんなこと言わせないで、としまいには真っ赤になって顔を覆ってしまった。

「分かるでしょ?ジーンさんだって、ユーリオと想い合ってるんだから」

その瞬間、今度はジーンがぼっと赤くなる。

「……え?!『想い合ってる』?!」

「あれ?そこで驚くの?」

「あ、えっと、あの」

ジーンは失敗に気づいてさらに焦った。

キャロルたちには、婚約者の件は候補とはいえ本当のものだということにしてあるのだから、たとえ政略的な組み合わせであっても、ジーンとユーリオは『想い合って』いるべきなのだ。

しかしキャロルはあぁ、とすぐに自己完結した。

「もしかして、自覚してなかった?確かに前はユーリオだけがご飯山盛りとか謎の求愛してて、片思いっぽかったけど、最近じゃあジーンさんもユーリオの後ろ姿見つめてぼーっとしてるし、話してる空気が甘ったるいし、どこからどう見てもなのに。そっか、それでどんな気持ちかなんて知りたかったの」

ジーンはさらなる動揺に襲われた。

「そ、そう……なのかな」

「そうだよ。ねえ、ユーリオのいいなと思うところって、ないの?」

ジーンは考えた。期限付きの関係なのだからと、今まで敢えて考えないようにしてきたことを。

「……」

そんなものはないと言わずにすまそうかとちらりと伺えば、キャロルは期待の眼差しでこちらを見ている。裏切れない。

「そうね、えっと……子ども好きなところとか、あっけらかんとして見えて実はいろいろ見てるところとか……明るいところとか……」

「うんうん。それで、そういうところ見ると、どんな気持ちになるの?」

「……役に立ちたいって思うかな」

わくわくしたキャロルの期待に応える言葉では、多分なかった。それでも、頬が熱かった。きっと顔は真っ赤になってしまっている。

キャロルはそれで十分満足したようだった。

「そっかぁ。ふぅん。うふふふ。変な邪魔者なんかに負けないでね。ユーリオがきっと何とかするから。あー、いいなぁ相思相愛。羨ましい!」

――相、思、相、愛。

ジーンの顔から、自然と火照りが退いていく。もしも『相思相愛』だとして、それは幸せか。対外的には婚約者だが、ジーンはここに仕事で来た身だ。

それはつまり、役目を終えれば去らなければならないということ。

「……でもキャロルは、お勤め先が遠くでなければ、ちょくちょく帰って来られるんでしょう?」

何故か遠くなる感覚に戸惑いながら、声を出す。ぼんやりしていても、ジーンとて文官の端くれ、話を逸らすくらいならできる。キャロルは頷いて話題に乗ってくれた。

「うん。そこはもう、候補の中で一番近くに決めたの」

「じゃあ、毎日戻って来ないと」

それから、話したら少し楽になったと、キャロルはようやくいつもの笑顔を見せた。

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