疑惑五再び。その男に、懐柔されてはいけません(三)
温かい。
大らか。
この神殿の子どもたちを表すると、そんな言葉になる。そしてそれは、元々肉親に恵まれなかった彼らがこの神殿にきて、そのように育まれて来たからだと、ジーンは思う。
しかしそれは私見だ。証拠を示せないのだから、諸々の疑惑への反論にはならない。そこまでの力が、ジーンにはない。
今の自分に出来るのは、金銭的な不均衡を出してやることくらいだ、とジーンはペンを握り直す。
目の前の紙は、二枚。一方には、併設孤児院設置に関わって太陽神殿が定めている規定が麦の粒ほどの細かい字で書いてある。
もう一方は、もともとこちらの海神殿で行っている養育についてジーンが書き出したものだ。
ちなみに、もともとのジーンの脳みそは、あまり記憶力に優れた仕様ではない。むしろ小さい頃など、何度聞かされても神殿の決まりが覚えられずに苦労したほどだ。こうして文字におこすのは、仕事である以前にジーンの記憶を助けるためでもある。
その覚え書き二枚を照合し、最も好条件で規定をみたす方法をひねり出そうと眉間に皺をよせる。この場合の好条件というのは、子どもたちの生活に変化が少ないということで、ユーリオと合意がとれている。
この孤児院申請は、あくまで海神殿の収支を健全化することが目的なのだ。ちなみに各神殿は毎年かなりの額を太陽神殿の本部に納めており、それが全国の施設運営に回っている。今までリトナの海神殿は納めるだけ納めて、もらうべき補助金を受けとってこなかったのだから、ジーンとしては全く自重する必要を感じない。
ちなみに、ユーリオの養子扱いになっている子どもたちだが、遊ぶ時間や勉強や漁だけでなく、神殿の手伝いや教典の学習も要所要所でしている。
そうなると他の神殿で子どものための時間がとれないのは、よほど非効率なことをしているともいえるので、神殿育ちとしては少ししょっぱい気持ちになる。とはいえ、そんなことを訴えても、一介の文官に勝てるわけがない。そのためジーンは、今はこの海神殿の案件についてだけを考える。三位文官のうちは上司の指示通りに雑用をするばかりだったので、ジーンにとってこの孤児院の申請は、初めて自分の考えで進める案件だ。出世には結びつかないが、自然張り切ってしまう。
あれもこれもと兼ね合いが成り立つように微妙な数字のやりくりをしていると、とんとんとんとノックの音がした。
すぐに扉から飛び込んで来たのは小さなミンミだ。ミンミは両手をそろえて前に突き出している。
「かーしーて!いーいーよ!」
ジーンは噴き出してしまった。
どうやら、ミンミの中ではまだ、お願いの言葉と承諾の返答の区別がついていないらしい。そして、貸してと上手に頼めたなら、貸してもらえるものだと思っている。
「なあに?ミンミは何を貸して欲しいの?」
膝をついて尋ねると、ミンミはちゃっかりとジーンの腿に座る。そして、手足まで動かして説明する。
「あのね。おはななの。きれいなの」
「ああ!もしかして、これ?」
「うん!」
ジーンの取り出した花貝のネックレスにミンミが目を輝かせる。
「かーしーて!いーいーよ!!」
伸ばされた小さな二つの手とネックレスを、ジーンは見くらべる。大事なネックレスだ。もらったばかりだけれど、ジーンの宝物になるだろうもの。けれど、幼いミンミは貸してもらえると信じている。それに、そもそもこのネックレスは彼らからもらったもので……と考えれば考えるほど分からなくなっていく。
そうこうするうち、なかなか満たされない両手に、ミンミの顔が曇り出した。
「かーしーて?」
涙のこぼれそうな大きな目を見て、ジーンはついに決心した。
「いいよ、貸してあげる。でも、大事なものだから、大切にしてね」
「うん!ありがと!」
途端に顔を輝かせてミンミの首に、ネックレスをかけてやる。するとミンミはそれを両手で胸に押さえつけて、駆けていった。
それを見送るジーンの胸に、愛おしさに混じって、かすかな焦燥が湧く。――あんな小さな子に、持ち物を貸してあげるのを躊躇うなんて、どうかしている。そもそも大事なものなど持ったことがなかったジーンは、自分の気持ちの変化に驚き呆れて、振り切るように扉を閉めた。




