疑惑五再び。その男に、懐柔されてはいけません(二)
支部に行ってみよう。
そう思ったのは、上司の意図を少しでも探ろうと思ったからでもあるし、それに、なんにせよ仕事は全うするべしと自分を戒めるためでもあった。これでは、懐柔されるどころではない、という危機感を抱いていた。
太陽神殿の派閥抗争があることは分かった。そして、上司が原典派ということは、ジーンも自覚がないとはいえ対外的には原典派。その原典派からリトナの海神殿に婚約者を送りこむことの意味。
また、本来の目的であるユーリオに関する密告についても、密告者は敵対側にいる可能性が高い。海神殿と神官派であるリトナ支部、またジーンの上司たち原典派と神官派が敵対しているのであれば、支部を探らない手はない。
こんなことをごちゃごちゃ考えて二日。ようやく決心して、ユーリオに告げた。
「支部に?」
しかし、予想以上に難しい顔をされた。
「やめておいた方が良い」
「なんでよ」
「やめときな。あんたが立場を変える気じゃないならね」
ユーリオは朝の漁から戻ったところで、頭から被った手ぬぐいでがしがしと髪を拭いている。
それを眺めながら、そういえばこのところユーリオに『ちゃん』付けや『君』と呼ばれないなと、ふと気付く。それだけで軽薄な印象が全て払拭されるわけではないけれど、今は取りあえず真面目に見える。
「『立場を変える』?」
手を止めたユーリオが、まっすぐジーンを見つめた。
「原典派辞めます婚約者今すぐ取り消しですってなれば、そこまで危険な目には合わない…かもしれない。でも、俺はあんたをあそこに近づかせたくない」
ジーンの心臓がどきんと大きく拍を打った。
自分は何に驚いたのか、とジーンは目をそらせないまま考える。
「…そんなに過激な連中なの」
ユーリオは肩をすくめただけで、否定しなかった。普段のあの無駄にへらへらした顔もしない。そうすると、一気に真剣に見えて、ジーンはそれ以上食い下がれなかった。
「…分かったわ。別の方向で考える」
顔が赤らみそうなのをごまかそうと、肩をすくめ返したついでに目を伏せた。言い終えたところで、ノックと共に扉が開かれた。ひょいとマチスという少年が顔を出す。
「ユーリオ、手紙。あと、ジーンさんにも」
数通の封筒から、マチスが一通を抜いてジーンに差し出す。
「ありがとう。……ああ、きっと、あの件ね」
「孤児院の?早いな」
ジーンは例の孤児院の設置についての文書を、ここに着いた当日にしたためて翌日には送っていた。その返事が戻ってきたのだ。
「ちゃんと規定の条件を満たせば、教育行為に罰則はないって。私の上司の職印が押してあるるわ」
「そっか」
ユーリオの呟きがほっとした声音だったので、ジーンも安堵する。
一つでも、前進した気がした。
「これで、連れてこれる人数が増えるな」
ジーンは半目になった。
「…その言い方が誤解を招くんじゃない?」
「え?」
ユーリオに対する密告の内容には、子女誘拐もある。
「『連れてこれる』って、何だか拐かしっぽく聞こえるのよ」
えー、とユーリオが心外だとばかりに口を尖らせた。
「保護とか救うとか、そういう言葉ってあんまり使いたくないじゃん」
「まあ…分からなくはないけど」
子どもの側からすれば、そんな正義感なんかで縛られた行動よりも、家族として迎えられることの方がうれしいだろう。
「ともかく、よそでは気をつけて。貴方の発言をもとに新たな疑惑が次々生じたら、いつまで経っても私、検証しきれないんだから」
一応釘を刺す。
「ふーん?それ、俺は困らないかもよ」
あごに手を当てて笑うユーリオへ、ジーンはわけが分からないものを見る目を向けた。
「貴方は神官長でしょう?この神殿に責任があるはずよ。大事じゃないの?」
「大事だよ」
「じゃあ、神殿の立場が危うくなることは避けるべきでしょう」
「うん、そうだね」
にこにこ、を通り越してくすくす笑い出したユーリオに、ジーンは呆れてさじを投げた。
その脚で向かったのは厨房で、魚を捌く大人の脇で朝食を盛るナタリエたちを、ジーンも手伝う。
「あ、ジーンが来た!ねえ、これあげる!」
気付いたジョシュが寄ってきて、両手をジーンに突き出した。
「わ。なあに?これ」
ジョシュの掌の中には、きれいな薄紅色の薄片があった。鱗よりも厚みがあるが、光が透けそうな透明感がある。
「花貝っていうんだ、それ。きれいだろ?なあ、元気出た?」
ジーンが目を見開いてジョシュを見ると、見上げる目には心配の色が見えた。
「あげるよ、ジーンにぴったりだよ」
こんな子どもにまで心配をかけていたのかと頬に熱を感じつつ、それにもましてぽかぽかと胸が暖まる。
「ありがとう、うれしい。…うん、元気出たよ。この色、とってもきれいね」
そう言って受け取ると、少年は満面の笑みになって、駆けていく。
花貝は、神官の一人が開けてくれたとかで、小さな穴が開いていた。手持ちのネックレスに通せばと言われたが、あいにく厳格な孤児院育ち、その後も仕事一筋だったジーンは、一つも装飾品を持っていない。
恥を忍んでそう謝ると、食後にキャロルが、刺繍糸で作った細い紐を通してくれた。
「うん、とっても素敵よ」
キャロルを初めとする子どもたちに、どこか誇らしげに見つめられる。
ジーンはきっと紅潮しているだろう顔を少し俯けて、首もとの小さな貝を指でなぞった。
「ありがとう。これ、大事にするね。…私の生まれて初めてのネックレスよ」
正真正銘、生まれて初めて、身を飾る目的で何かを身につけている。口にして、じんわりと実感が増した。しかも、これはジョシュやキャロルたちからのプレゼントなのだ。
ジーンが小さな貝をためつすがめつしていると、キャロルがこそっと教えてくれた。
「あのね、花貝って、花嫁さんのお守りなの」
それと、と付け足す声が、少し笑っている。
「漁の帰りにそれを見つけたのは、本当はユーリオなんだって」
「……へ、へぇ」
淡い紅色の小さな貝を、長い指が拾う幻を見る。その顔をさっき見たあの笑い顔で思い浮かべてしまって、ジーンの耳が熱くなる。
――きっと目立っていたから目について、何の気なしに拾ったのだ。深い意味などない。ああ、違うこれもきっと、懐柔だ。そうに決まっている。
「あ、私、手紙の返事を書かなきゃ!」
パタパタと廊下に出てから、はぁぁと大きく息を吐いた。熱を持った頬に両手を当てる。
まだ食堂の台ふきは途中だったのに、あの場にいるのが気恥ずかしくて、つい忙しいふうを装ってしまった。変に思わなかっただろうか。
「…書類、書いちゃおう…」
仕事放棄の心苦しさを振り払うように、ジーンは机に向かった。




