疑惑六、その神殿は排他的ですか(二)
神殿の朝は早い。
少なくとも下級神官や孤児上がりの下男や巫女はそうだったし、ここ海神殿では例外なく全員が早起きだ。
あのだらしなさそうなユーリオからして、日の出前に起きている。そうして男達はたいていの日、朝食前に漁へ行き、女たちが神殿の掃除や食事の準備をして待つのだ。
ジーンも長年の孤児院暮らしで早起きが染みついているから、寝坊をしたことはない。あのまま放逐される場合もあり得ると思ったが、意外にもジーンはもとの客間で朝を迎えていた。
素早く身なりを整えて、手伝いに混ざろうと急ぐ。
その道中、バーナムに出くわした。
「…起きているのか」
「おはようございます」
挨拶より先に投げられた奇妙なものを見る目と疑問に、ジーンはとりあえずお辞儀と朝の挨拶で返す。
バーナムは、やはり海神殿の関係者、それめ副神官長だった。彼が何を思ってジーンの残留を認めたのか、分からない。けれど、ジーンが昨夜の寝床に困らなかったのは確かなのだ。
「ジーンおはよう!」
「ぅを?!」
お辞儀の前傾姿勢に背後から抱きつかれて、ジーンは危うく転びかけるが踏ん張った。
「…おはようジョシュ、とりあえず、共倒れの前に、降りよう?」
「あ。ごめん」
素直に背中から滑り降りたので頭を撫でてやると、少年は嬉しそうに手を握って引っ張る。
「ね、早く行こう!」
「分かったから引っ張らないの。…では」
一応何とか半身バーナム側に振り向いて、会釈する。角を曲がるまでずっと、背中に視線を感じていた。
「お花だ」
一通りの掃除が済んで、ジョシュやミンミと聖堂に戻ると、床に色とりどりの花が並んでいた。
「今日は何かあるの?」
「あ、ジーンは初めてだったね。あのね、昼から集会があるんだよ」
「そういえば、この海神殿の儀式って見たことがなかったわ」
ジーンは疑惑の中身ばかり気にしていたが、考えてみれば、神殿の基本である。最終的に査察対象のユーリオが神官長にふさわしいかは、仕事ぶり如何が絶対条件なのだから。
そこで、気付く。
「そもそも、神官長の仕事をしているところすら見たことがなかったわ」
「格好いいんだよ~」
「いつものユーリオは優しくて好きだけど、集会のユーリオは格好良くて好き」
猛烈にプッシュしてくるので、ジーンは曖昧に笑った。
「おしゃべりもいいけど、早くお花を飾っておくれ。参列の方達が来てしまうよ」
はーいと首をすくめた子ども達が花を手に手に散っていく。ジーンはほっと息をついた。ジーンにとっては天の助けだった。
自分も花を飾りに行こうと腰を曲げ、ふと思う。
太陽神殿で、ジーンたち孤児が聖堂の花を飾ることはなかったなと。
いつもより慌ただしく朝食を食べて、片付ける。ジーンはそれでも子ども達と一緒に食堂で食べたが、他の大人は獲ってきた魚の処理や儀式の準備やらで、遅れてきたり先に席を立ったりしていた。いつもながら所在ないが、割り切って小さい子達の食事や着替えの面倒を見ることにする。幸いそちらは慣れている。
ふざけて半裸で逃げ回るジョシュを年長の子どもに捕まえてもらい、きれいなシャツを着せ終えると、本当に一仕事した気分になった。
「ごめんなさいねぇ、いつもはこんなに手がかからないんだけど」
聖堂で子どもを座らせながら報告すると、申し訳なさそうにポリーがそう言った。ジーンは逆に申し訳なくなる。
「もしかして、人が違って落ち着かなかったんですかね」
声が暗くならないように気を付けたが、あっさりばれたらしく、慌てたように手を振られた。
「違うわよぉ、そりゃ落ち着かなかったのはその通りだけど、悪いことじゃないから」
ポリーのフォローへの返答を、ジーンが愛想笑いでごまかしていると、頭上に影が差す。
「可愛い女の子に着替えの手伝いされるなんて、落ち着くわけないわ、そりゃ」
「その発想、どうにかならないの?」
振り仰ぐと案の定ユーリオだ。
「えー?自然の摂理でしょ」
「無駄話は後だ」
ジーンが反論しかけたが、その後ろからバーナムが割って入る。
「ユーリオ、何をほっつき歩いてるんです。とっとと集会の準備をしなさい」
「はいはい、ったく人使いが荒いんだから。漁に行って疲れてるのに、誰か労ってくれてもいいのにさぁ」
「貴方が海で疲れるわけがないでしょう。冗談を言っていないでさっさと着替えなさい」
バーナムに背中を物理的に押しだされ、ユーリオが遠ざかる。
それから彼は、振り向いた。
鋭い目がジーンを見下ろす。薄い水色の瞳は、ただただ冷たく刺すようだが、ジーンはなんとか真っ直ぐ見返した。
「なぜ同席する?これはお前の神の儀式ではない」
「バーナムひどいよっ」
近くの席にいたナタリエが立ち上がった。
頬を膨らませた子どもを頭を撫でて座らせながら、ジーンは必死で頭を働かせる。
ここで争っては駄目だと。ここは聖堂で、これから神事を行うのだから。
自分は確かに太陽神殿所属であって海神を信仰してはいない。でも、一人で動く裁量を与えられた二位文官だ。頭に詰め込んだ知識こそが文官の武器だろう。
「太陽神殿の原典には、数多の神々がこの世界を支えているとあります。ですから、どの神の儀式にも私は敬意を払います」
ゆっくりと述べた言葉に、バーナムは片方の眉を上げた。
「はっ!敬意とは笑わせる。口では何とでも言えるものだな」
「ええ、そうですね。では私の言葉を聞く意味はないのでしょうから、行動でご判断下さい。少なくとも、私はこれから祭事を行うこの場を諍いで汚したいとは思いません」
言い切ったジーンを見下ろすと、バーナムはふん、と忌々しげに鼻を鳴らして、去っていった。
密かに呼吸を整えつつ見送る。ポリーが頬に手を当てて眉を下げる。
「全くバーナムは堅いんだから…。ごめんなさいねぇ」
「いえ。気にしていません。それよりこれから祭事を行うのに、バーナムさんは大丈夫でしょうか」
ジーンも話を切り上げるためとはいえ、相手の神経を逆なでするようなことを口にしてしまった。それで気にかかって言ったのだが、返答は『主役はユーリオだから大丈夫』というあっさりしたものだった。
「それより、ジーンさんは、どうして怒らないの?」
まだ頬を膨らませたままだったナタリエに聞かれて、ジーンは肩をすくめた。
「これが当然の反応だと思ってたから、かな」
「なんで?せっかく遠くから来てくれたお嫁さんなのに」
自分の居ない隙を狙って太陽神殿から送り込まれたという状況、それをユーリオらが受け入れていること、それがただでさえ警戒対象であるジーンにさらなる拒絶として現されるのだろう。分かるから、仕方ないと思っている。それでも敵意をことばに載せられれば、反射的に反論してしまうのだが。
「うーん…あのね、太陽神殿の一部の人と、ここの神殿て、あんまり仲良くないのね。だから、嫌な奴の仲間が来たーって言う人も、いるの」
「そんなの、ジーンさんに関係ないじゃん。それにさ、そんなに仲悪かったら、普通結婚相手の心配とかする?」
「…しない、よねぇ…」
「でしょ?ほら!」
鼻息荒く言い切るナタリエに、ジーンは改めてこの立場の意味を考える。
本当に、なんで上司はジーンを直接海神殿に送り込んだのだろう。いくら監査のためとはいえ、同じ街に太陽神殿の支部があるのなら、そちらを拠点にすればいいのだ。そうすれば、おかしな婚約者設定などもいらなかったのだし。どうしても内部に入らせたいと言うのであっても、この関係性の中で婚約者候補など海神殿側が受け入れる可能性の方が低かったはずだ。
「本当に、何を考えているんだろ」
案外ただの嫌がらせか、などと思うのも一瞬で、すぐにジーンは考えを巡らせた。上司は大変癖のある人物だが、無慈悲なほどに計算高い。
事実は、ジーンが海神殿に行けと言われたこと。ユーリオに、婚約者候補だという書類が送られたこと。ジーンが、支部に行けと言われなかったこと。
とにかく、無意味なはずはないのだ。ならば、これから始まる儀式を見ることも、きっと大きな枠の中では意味を持つのだろう。ジーンは祭壇側に立つバーナムの横顔を眺めた。
それからいくらもしないうちに、続々と人が集まり、ジーンたちが花を飾った聖堂に、人が溢れた。




