疑惑五の検証、その男に、懐柔されてはいけません。
なかなかの速度で坂を下ったので、港に着いたときジーンの息は上がっていた。汗ばんだ首筋を潮風が冷やしていく。
休漁日と言っていた通り、漁港は人がまばらだった。穏やかな波が船を揺らしている。
「船が珍しい?」
「…まあ。エレナの川は、太陽神殿から遠かったから」
興味を隠せず近くに停泊中の船に駆け寄っていたジーンは、もごもごとごまかす。隣に立ったユーリオの方を見たくない。
「乗ってみる?」
「え、だって勝手に乗るわけにいかないでしょ?」
「うちの船、あっちにあるよ」
ユーリオの親指が指す方を見れば、色とりどりの船が見える。
それはとても魅力的な申し出だった。
「…じゃあ、見るだけ見せてほしい」
「りょーかい」
湾岸の縁に沿って少し引き返すと、突き出た桟橋にずらりと船が繋がれていた。
桟橋が海に浮かんで見えるので、ジーンは少し尻込みした。
「どうしたの……あぁ、怖い?」
振り返ったユーリオがそんなことを言ったので、途端にぴんと背中を伸ばす。
「まさか!子どもじゃあるまいし平気です」
「…虚勢張ると敬語になるのな」
くすくす笑いながら戻ってきたユーリオがジーンの手をとる。
「だ、だから大丈夫だって!」
「分かった分かった。でもデートって言って出てきたんだから、手ぐらい繋いでおかないとな」
「デートじゃないし!誰も見てないし!」
取り合われないまま大小さまざまな船の間を手を引かれて通り、やがて一艘の船の前まで来る。
青いペンキで船体を塗られたきれいな船だった。ジーンはほぅ、とため息をついて見惚れた。周りの船の中では、ちょうど中くらいの大きさだが、それでも乗り合い馬車よりもずっと大きい。
「ほら」
「ひゃあっ?!」
ひょいと抱え上げるようにされて、視界が急転する。
気付けばジーンの体は船上にあった。立ったと思ったのもつかの間、人間の重みを受けて揺れる船に、ジーンの足がよろける。けれども倒れる前にユーリオの腕に支えられた。
ジーンは大慌てで押し返した。
「だだだだ大丈夫っもう、立てる、から…!」
「はいはい、ちゃんと放すからほら、落ち着いて。あ、ここに座っちゃいなよ」
混乱するジーンに、意外にもユーリオは大人しく引き下がってくれた。
考えたくないが、ジーンが一杯いっぱいだとあまりに明らかだったから、だろうか。しかし今のジーンはそれがわかっても取り繕えないほどに、頭が働かない。
「ちょっとちょっと。見えてる?大丈夫?」
「……大、丈夫」
目の前で手を振られてもうまい返しも見つからない。顔が、肌が、だからボタンを止めろと言ったのに、とそんなことしか浮かばない。
はだけた部分に押しつけられるように抱えられて、ジーンの頬はユーリオの胸に突っ込んでしまったのだ。文句は色々あるが、わざわざ口にするのは、恥ずかしすぎる。触れてしまったのだと思うと、ユーリオの方が向けない。
ジーンは気付いていなかったが、常に出世だけを目指して進んできた彼女には、色めいたことに触れる機会がほぼなかった。孤児院でも変わり者だったし、そこから出た後も文官になるための勉強と仕事しかしてこなかった。つまり、何が言いたいのかというと、免疫がなかった。
しばらく側に立って手を振っていたユーリオだが、そのうちその手で頭をかいた。
「あーっと…もしかして日なたで動きすぎたのかもな。ちょっと待ってて」
飲み物を勝ってくる、と走って行ったユーリオを目をそらしたまま送って、ジーンはぼんやりと海を眺めた。
海を見ていると、少し気持ちが収まってくる気がした。だんだんと頬の熱が冷やされ、同時に先ほどの焦りが勘違いだった気がしてくる。
波が船を揺らす。水平線まで何もない、青い海が広がっている。まるで何もかものみ込んでくれるようだ。それが広すぎて怖いような。でも、どこへでも行けるような。
ジーンはそっと船べりへ手をかけた。
「そこで何をしている!」




