疑惑五、その男は、懐柔にはしりますか?
「らぶらぶってなーに?」
ぶっとお茶を噴き出した自分は悪くない。ジーンはそう思いながら急いで机を拭く。
「ねーおちえてー」
「こらミンミ~、さっき教えたでしょ!」
「そうだよ」
仁王立ちになってミンミを叱るのはキャロルで、その後をジョシュが引き継ぐ。
「ユーリオとジーンさんみたいなのをらぶらぶって言うんだぞ」
「どこが?!」
思わず大きな声を出してしまいはっとするが、子どもたちは気にした様子もなかった。
「ほら、ジーンさん照れちゃったでしょ。だからそういうこと目の前で言わないの!」
「それも違うよ!?」
キャロルのフォローにも反射で突っ込む。
それから、ここでの立場を思い出し、止まった。
「えっと…あの、あのね?まだ、ただの婚約者候補だから。あんまり私にベタベタされてもユーリオ様も嫌なはずだよ」
「俺のこと?」
「…ボタンが開きすぎです」
背後から現れたユーリオを、ジーンはきっと睨んで注意した。ここには何でも覚える子どもがたくさんいるのだからと。
同時に何故かおおっとジョシュが歓声を上げた。
それもこれも襟からのぞく鎖骨もまとめて全てユーリオが悪い。
数日前のあれ以来、何故かジーンは彼にかまわれている。理由がどうあれそれは確かで、よく分からないこの事態に、ジーンは疲れていた。
ジーンにとって、ユーリオの行動は本当に謎だ。
例えば夕餉の席。彼はジーンの皿に山を作る。新鮮な魚をたっぷり使った料理は、出汁のきいたスープも皮目をぱりっと焼いた焼き魚も、とてもおいしい。それにしたってすでに一人前盛られている上にどんどん追加されても、食べられる量には限度がある。
その限界を優に超えた量に嫌がらせを疑っているのだが、周りの反応は鳥の求愛行動を見守る観察者のそれだ。そこに混ざる、勘違いした子ども達の奇声歓声。
そして顔を引きつらせつつ、ジーンは毎回食べきる。ジーンは、盛られた食べ物を残せない。故に、それを食べ切らねばならない。その結果、食後は苦しさのためろくに動けない……この繰り返しだ。これが嫌がらせでなくてなんなのだと周りの目を疑い、いやもしかしたらともう一つの可能性を考える。
「あれ?なんか元気ないけど、お腹減ってる?」
「まさか!むしろ苦しいわ。それよりも早くボタンを止めて」
そもそもたった今朝ごはんが終わったばかりだ。恨みを込めてそう言うと、ユーリオは1つだけボタンを止めると満足げな笑みを浮かべた。
「良かった。じゃあ、腹ごなしに散歩に行こう」
言うなりジーンの手をとって立ち上がらせる。
ジーンは慌てた。食後の後片付けすらしないのでは、ただでさえ居候の身がさらに申し訳ないことになる。
「あ、ちょっと、お茶椀が」
「大丈夫!片付けておくから!ごゆっくり~」
「うひゃー!!頑張れユーリオぉー!」
キャロルのきらきらとした目とジョシュの謎の歓声に送られ、結局もごもごと後の言葉を飲み込むしかなくなる。
婚約者候補という表向きの看板は、想像以上に厄介だ。こういうとき、完全にユーリオに有利に働くのだ。
「漁はいいの?」
「今日は、禁漁日だからね」
なるほど、そういう決まりがあるのかと、ジーンは指を折った。
「どこに行くの」
ぱんぱんのお腹をさりげなく抑えながら、ユーリオの後について歩く。文官のローブは目立つため、到着からこちらジーンは一般的なくるぶし丈のワンピース姿だ。今日の服は腰元にベルトがあるとはいえ、お腹がぽんと出ているのは恥ずかしい。彼は漁に行くときと変わらない格好をしている。
「デートしよう」
「…あの~」
「と言うと拒否したがるとは思ったけど、君はあの子らの手前別々に戻ることも出来ないだろうとも思って」
「いい性格」
「褒めてくれてありがと~」
褒めてないことなどわかり切っているのにと、ジーンはそっぽを向いた。
腹は立つが、それとは別に海辺の景色は興味深かった。
「こっちの坂を上ると、向こうが大きな湾になってる。俺らの使う船のある漁港があって、大きな港はそのもう少し先ね…もう少しで見えるよ」
満腹の身には苦しかったが、なんとかなだらかな坂を登りきる。すると、視界が開ける。眼下に港が見えた。
「船がいっぱい!」
思わず声を上げてから、あ、と口を押さえる。いい年をして子どものように興奮してしまった。こんな文官らしくないことをして、と思うと、ジーンはユーリオの顔を見られなくなる。
「ふ、船は全部で何艘くらいいるの?」
ごまかすように尋ねると、彼はのんびりした声で答えた。
「商船や客船はそのときによって違うけど、漁船はだいたい三百くらいかなぁ」
それから、少し立ち止まって指さす。
「港に行くならあっちまでずっとこの道一本で行けるから。漁港をすぎてちょっとのところに一本太い道があるの見える?」
「えーと…あ、あれのこと?」
ユーリオは少しかがんでジーンの指した指に目線を合わせた。普段かなり見上げなくてはならない顔が近づいて、心臓がどきりとはねる。
驚いたからだ、とジーンは誰にともなく言い訳した。格好いいからとかでは、断じてない。
「あれがこの町のもう一つの馬車道。あれをまっすぐ行くと、隣町の太陽神殿に続くよ」
街道らしいものを目でたどっていくと、白い建物がにょきりと突き出していた。リトナへ旅立つ前に調べてはいたが、思っていたよりも大きな丸屋根が見える。
「でも陸側に入ると、行き止まりとかちょっと危ない通りとかもあるから、行きたかったら誰かに案内を頼むこと」
それだけ言うと、確かめるように彼はこちらを見た。つまりそういうことか、と悟ったジーンは、ユーリオの方に体を向けてきちんと目を合わせた。
「分かったわ。次からちゃんと、迷子にならないように気を付ける」
ユーリオが頷く。
「そうして。リトナの治安はそこまで悪くないけど、それでも陸は、女の子が暗い時間に一人で歩けるほど平和じゃないからさ」
少し妙な言い回しに引っかかりつつも、ジーンはそれを聞き流した。それよりも何よりも、今はじわじわと熱くなる耳の方が大問題だったので。
これではまるで心配をされているようだ。そのことが、誰かの大事な人間になったようで面映ゆかった。いや今のは一般論であって、ジーンだからというわけではないと、自分に言い聞かせようとするが、藍色の目があんまり真面目くさってこちらを見ているからそれも適わない。
もじもじ俯きたくなるのに負けないよう、ぐっと手をこぶしに握って、すでに腰を伸ばしているユーリオの高いところにある瞳を、まっすぐ見上げた。
「…あの、ありがと」
頬が熱いのには、気付かないふりをした。
そんな彼女を、ユーリオは軽く目を見開いてまじまじ見ていたが、やがてにっと笑った。
「なにそれデートのお礼?だったらちゅーがいいな」
ジーンの目が限界まで開く。
「はぁぁ?!違うから!もう、いいっ」
髪がぶわっと逆立つ勢いで否定する彼女に、ユーリオはけらけらと笑った。
ジーンはむっと口をつぐむと早足で歩き出した。足音荒く坂を下る。後ろから聞こえる抑えもしない笑い声は、ちっとも遠ざからない。
せっかく人が真面目に伝えた礼を茶化すように返した男を許すことが出来ない。
「そっち崖だよ」
「着いてこないで!」
「迷子になるじゃん?」
「放っておいて」
「婚約者だしさぁ」
「仮!候補!期間限定!」
「俺は仮じゃなくてもいいけど」
今度はジーンがまじまじと見つめる番だった。
聞き間違いだろうと思った。それで、念押しして確認してみる。
「…私とよ?勝手に決められた婚約なんて、嫌でしょ」
返事は一つだと思っていた。しかし。
「別に嫌じゃないよ?」
「なっなんで…?!」
ジーンは我が身を振り返る。いたって事務的で、よく見積もっても当たり障りのないとしか言えないような言動だったはずだ。
「なんでって、逆にどうしてそんなに嫌がられる前提なの?」
「それは、だって、太陽神殿に勝手に決められた訳だし、会ったばかりだし」
「お見合いなんて、皆そうじゃない?」
言われて、そういえばそうかと気付く。
「髪!私髪も短いし」
たいていの女性は髪を腰近くまで伸ばしているが、ジーンの髪は肩よりも短い。リトナでこの長さなのは、ミンミくらい小さな子だけだ。
「珍しいけど、ふわふわしてて似合ってるからいいじゃん」
「ッ…で、でも!貴方だって好きな人とかいいなと思う人の一人や二人いるでしょ?」
「んー。特にいない。だから、ジーンがいい子で可愛くてよかった」
「っ私!貴方に対して愛想も悪かったはずっ」
ユーリオは体をくの字に曲げて大笑いした。
「あはははは!ま、確かにねえ」
やや複雑な心境ながらも、思い通りの反応が返ってきたわけなので、ジーンは勢い込んで畳みかける。
「でしょう?!それに、女らしさもないし!」
ユーリオは否定せずげらげら笑っている。
「貴方の隠し子を許容できる懐もない!」
「いや」
ユーリオが手を挙げて制止した。
「それは、違うんじゃない?」
彼はまだ収まらない笑いを手で抑え込みながらも、再度否定した。
「…なんで?」
「君、来たばっかりなのに、あの子達の名前全部覚えてるじゃん」
「…うろ覚えよ。報告をまとめるために調べただけで」
覚えていないという嘘はつけなかった。
名前なんていらないと十把一絡げに扱われるのは、本当に悔しいことだから。
「ナタリエとマリエなんか、同じ赤毛で背も同じだから、皆に間違えられるっていつも怒ってるんだけどね。ナタリエ、ジーンがちゃんと呼んでくれるって言って喜んでたよ」
ありがとうと言われても、なんと答えれば良いのか。どんな顔をすれば良いのか。
これは、あれだ。もう一つと考えていた可能性で決まりなのだろう。もろもろの不可解な行動も全てひっくるめてみれば筋道が立つ。
これは懐柔。ユーリオ・リトナは、ジーンがいよいよ査察を始めたとみて、彼女を取り込む方向に舵を切ったのだ。
それなのに頬が緩みそうになる自分は何なのか。査察中の文官としてどうなのだ。
困って困って、ジーンは結局無言でくるりと向き直り、また坂を下っていった。




