【第17章‑1】 長慶の死と三好家の混乱
永禄七年九月。
三好長慶が死んだ。
その後の一か月は、
驚くほど静かだった。
兄弟衆は弔いを理由に部屋へ籠もり、
家臣たちは余計な動きを避け、
豪商も寺社も、
ただ“様子を見る”という姿勢を崩さなかった。
表向きは、
何も乱れていない。
だが、
その静けさは、
深い水面に張った薄氷のようなものだった。
一か月が過ぎた頃、
その氷に、
最初の亀裂が走った。
兄弟衆の間で、
命令の出し方がわずかに食い違い始めた。
兵の配置をめぐる指示が重なり、
寺社領への徴発が“増えた”という噂が流れた。
豪商たちは、
三好館への出入りを控えた。
「しばし静観したい」とだけ言い残し、
大きな取引の話を先送りにした。
寺社からの文も届いた。
「年貢の乱れ、目に余る」
まだ抗議ではない。
だが、
明らかな不満が滲んでいた。
久秀は、
そのどこにも呼ばれなかった。
呼ばれぬことは、
自然だった。
長慶の側近でありながら、
外様であり、
若く、
兄弟衆から見れば扱いにくい存在。
長慶が生きていたからこそ、
その位置が許されていた。
その長慶がいない。
久秀は、
四郎次郎の屋敷に通い続けた。
茶を前にしても、
多くは語らない。
四郎次郎もまた、
余計な言葉を挟まない。
「……揺れが出て参りましたな。」
「ええ。
まだ小さき揺れにござるが、
いずれ形となりましょう。」
短い言葉だけが交わされ、
あとは沈黙が続いた。
三好家の内部は、
まだ“崩壊”とは呼べぬ。
だが、
喪が明けたその瞬間から、
“次”をめぐる力が
静かにぶつかり始めていた。
久秀は、
屋敷を辞して歩きながら、
曇った空を見上げた。
(……ここからだ。)
その確信だけが、
胸の奥に静かに沈んでいた。




