【第15章‑5】 闘茶の裏の顔
離れの座敷は、
先ほどの闘茶の余韻を残したまま静かだった。
炉の火が小さく揺れ、
湯の音がかすかに響く。
四郎次郎は、
茶筅を洗いながら、
しばらく口を開かなかった。
やがて、
静かに言った。
「……久秀様。
先ほどのお言葉、
聞き流すには惜しゅうございました。」
久秀は、
茶碗を置いて四郎次郎を見た。
四郎次郎は、
湯気の向こうで微笑んだ。
「名物を狩り集める仕組み……
よう気づかれました。」
久秀は、
特に驚いた様子もなく頷いた。
「都の者たちは、
よく考えるものだと思っただけだよ。」
四郎次郎は、
茶入を一つ取り出し、
その蓋を指で軽く叩いた。
「闘茶は、
香りの勝負どす。
表向きは、
それだけのこと。」
その声は穏やかだったが、
次の言葉は、
少しだけ低くなった。
「けれど……
香りは、
作れます。」
久秀の目がわずかに動いた。
四郎次郎は、
淡々と続けた。
「火入れを少し強うする。
湯の温度を一度だけ変える。
茶碗を温めすぎる。
あるいは、
冷やしすぎる。」
茶碗を指でなぞりながら言う。
「香りは、
点てる者の手で、
いくらでも“寄せられます”。」
久秀は、
静かに聞いていた。
四郎次郎は、
さらに続けた。
「順番も大事どす。
強い香りの茶のあとに、
弱い香りの茶を出せば、
弱いほうは消えてしまう。
逆に、
弱い茶のあとに強い茶を出せば、
誰でも当てられます。」
四郎次郎は、
茶入を二つ並べた。
「仕掛け人もおります。
席の端に座り、
わずかに咳をする。
扇を動かす。
茶碗を置く音を変える。
それだけで、
人の心は揺れます。」
久秀は、
その言葉を胸の奥で転がした。
四郎次郎は、
湯を汲みながら言った。
「都と堺の豪商は、
名物の値を決めております。
どの名物を上げ、
どの名物を落とすか。
そのために、
誰を勝たせ、
誰を負けさせるか。」
その声は、
淡々としていた。
怒りも、
誇りも、
迷いもない。
ただ、
事実だけを述べている。
「公家を勝たせる日もあれば、
落とす日もあります。
落ちた公家は、
名物を手放しはる。
豪商はそれを受け取り、
値をつけ直す。」
久秀は、
静かに言った。
「……流れを作っているのか。」
四郎次郎は、
初めて久秀の目をまっすぐに見た。
「ええ。
流れどす。」
炉の火が、
ぱちりと小さく弾けた。
四郎次郎は、
茶碗を久秀の前に置いた。
「久秀様。
必要があれば……
必ず勝たせます。」
その言葉は、
軽くも、
重くもなかった。
ただ、
事実として置かれた。
久秀は、
茶碗を見つめた。
四郎次郎は、
続けた。
「どうか……
ご内聞に。」
久秀は、
ゆっくりと頷いた。
四郎次郎は、
その頷きを見て、
静かに息を吐いた。
その息には、
昼間にはなかった
“決意”が混じっていた。




