【第15章‑1】 闘茶の表の顔
朝の光が、茶屋の奥座敷に薄く差し込んでいた。
障子越しの白さは柔らかく、
湯の沸く音だけが静かに部屋を満たしている。
四郎次郎は炉の前に膝をつき、
柄杓を軽く揺らして湯の表を見た。
湯面がわずかに震え、
その揺れが光を弾いて、
天井に淡い影をつくる。
「闘茶とは、どのようなものか。
その始まりからお聞きいただくのがよろしいでしょう。」
四郎次郎は、
湯から目を離さぬまま静かに言った。
久秀は正座し、
その横顔と手元をじっと見つめていた。
四郎次郎は、
茶入をそっと畳に置き、語り始める。
「闘茶は、もとは遊びどす。
唐物の茶を当てる、香りの遊び。
鎌倉の末から都で流行り、
南北朝のころには、
公家も武士も僧侶も、
皆が夢中になりました。」
湯気がふわりと立ち上がる。
その白さは、
遠い時代の熱がいまも薄く残っているようだった。
「唐物の茶は、
香りが深うございます。
和物とは、
葉の質も、火入れも違います。」
四郎次郎は、
茶入の蓋に指を添え、
その重みを確かめるようにわずかに動かした。
「闘茶の席では、
いくつかの茶を点てて、
どれが唐物か、
どれが和物かを当てます。
香り、舌ざわり、
火入れの具合。
それらを頼りに、
“理”を見抜く遊びどす。」
久秀は、
その言葉を静かに追っていた。
「……理。」
四郎次郎は、
微かに笑みを浮かべた。
「ええ。
香りにも、
理がございます。
どこで摘まれたか。
どれほど火を入れたか。
どのような器で点てられたか。
それらが混じり合って、
ひとつの香りになります。」
柄杓から落ちる湯の音が、
ひとつ、またひとつ、
部屋の静けさに吸い込まれていく。
「湯の温度も、
香りを大きう変えます。
熱すぎれば香りが飛び、
ぬるすぎれば立ちません。
茶碗の温度も同じどす。」
四郎次郎は、
茶碗を手に取り、
指先で縁をそっとなぞった。
「冷えた茶碗と、
温めた茶碗。
同じ茶でも、
香りの立ち方は違います。」
久秀は、
茶碗の縁をなぞる指の動きを見つめた。
「闘茶は、
香りを“聞く”と言います。
鼻で嗅ぐのやのうて、
心で聞く。
そういう遊びどす。」
久秀は、
その言葉を口の中で転がした。
「心で……聞く。」
「ええ。」
四郎次郎は、
茶筅を手に取った。
「香りは、
ただの匂いではありません。
茶の生まれ、
火の強さ、
湯の温度、
点てる者の手つき。
すべてが混じり合って、
ひとつの“物語”になります。」
茶筅が、
静かに茶碗の中を走る。
細かな泡が立ち、
その上に薄い香りが浮かび上がる。
四郎次郎は、
点てた茶を久秀の前に置いた。
「まずは、
香りを聞いてみてください。」
久秀は、
茶碗を両手で包み、
そっと鼻先を近づけた。
香りは淡く、
しかし確かにそこにあった。
草の気配と、
火の気配と、
湯の柔らかさが、
ひとつに溶けている。
「……むずかしい。」
四郎次郎は、
穏やかに笑った。
「ええ。
むずかしいからこそ、
都の人々は夢中になるんどす。」
久秀は、
もう一度、
ゆっくりと香りを吸い込んだ。
茶の香りの奥に、
まだ形にならない“何か”がある。
それが何かは、
まだわからない。
ただ、
この香りの世界が、
都の人々を惹きつけてやまない理由だけは、
少しわかった気がした。




