【第14章‑5】 影の武将の兆し
畿内を巡り終えた翌朝、
久秀は裏庭に出ていた。
朝の光は弱く、
砂はまだ冷たい。
静けさの中で、
久秀はふと足元を見た。
影が、
昨日より長い気がした。
光の角度のせいかもしれない。
だが、
それだけではないようにも思えた。
裏庭の端に、
古参の家臣が立っていた。
久秀を見ると、
軽く頭を下げた。
「……久秀殿。
摂津や堺を回られたとか。」
声は低く、
探るというより“様子を見ている”だけの調子だった。
久秀は深く頭を下げた。
「冬康殿に命じられました。」
家臣は頷いた。
「そうでございましたか。
……あちこちで、
久秀殿のお名前を耳にいたします。」
久秀は少し驚いた。
「私の名を、ですか。」
「ええ。
“あの者が来た”と。」
それは賞賛でも非難でもない。
ただ、
名が動き始めたという事実だけだった。
久秀は静かに受け止めた。
そのとき、
庭の向こうから
十河一存が歩いてきた。
久秀を見ると、
短く言った。
「……昨日の返答、悪くなかった。」
褒める気配はない。
だが、
否定でもない。
久秀は頭を下げた。
「一存様に命じられた通りに。」
一存はしばらく久秀を見ていた。
その目は、
昨日までの“外様を見る目”とは
わずかに違っていた。
「……まあ、使い道はある。」
それだけ言って、
一存は去っていった。
久秀は、
その背中を見送った。
使い道はある。
それは、
侮りでもあり、
認めでもあった。
廊下に戻ると、
岩成友通が立っていた。
友通は、
久秀を見るなり言った。
「……冬康が、
そなたのことを“役に立つ”と言っていた。」
久秀は深く頭を下げた。
「冬康殿に命じられたことを
務めただけにございます。」
友通は、
久秀の影を見た。
「……影が伸びておるな。」
久秀は答えなかった。
友通は続けた。
「光が弱ると、
影は濃くなる。」
久秀は、
その言葉の意味を胸に落とした。
光──長慶。
弱る光の下で、
影が濃くなる。
それは、
武家の世界の摂理だった。
夕刻。
久秀は一人、
城の外れの土塀の前に立っていた。
夕陽が落ちかけ、
影が長く伸びる。
その影は、
朝よりもさらに濃かった。
久秀は思った。
──私は、
まだ何者でもない。
だが、
影は答えるように
静かに伸びていた。
久秀は、
その影を見つめたまま
小さく息を吐いた。
「……なるようになる。」
その言葉は、
風にも乗らず、
ただ土塀の前に落ちた。
だが、
その静かな一言こそが、
“影の武将”の最初の兆しだった。




