【第11章‑1】三好家の揺れと、父の呼び声
天文十八年 九月
朝の光が、障子を淡く照らしていた。
久秀は、
昨日見た町の景色を胸の奥に残したまま、
静かに身支度を整えていた。
廊下を歩くと、
宗久が文机の前に座り、
書状を一枚ずつ確かめている姿が見えた。
その背中は、
いつもと同じように見えたが、
どこか、
言葉にしづらい“重さ”があった。
久秀が近づくと、
宗久は筆を置き、
ゆっくりとこちらを振り向いた。
「久秀。」
呼び声は静かだったが、
その奥に、
何かを決めた人の気配があった。
久秀は膝をつき、
父の前に座る。
宗久はしばらく黙っていた。
その沈黙は、
言葉を選んでいるというより、
“どこから話すべきか”を測っているようだった。
やがて、
宗久は一枚の書状を指先で押しやり、
低く言った。
「三好家が、落ち着かぬ。」
久秀の胸がわずかに動く。
宗久は続けた。
「元長様が亡くなられ、
家中では若い長慶様が前に出ておられる。
だが、その周りでは、
人の態度が揺れ、
言葉の裏が増えている。」
宗久の目が、
久秀をまっすぐに捉えた。
「……長慶様が、
人の心の動きや、
場の緊張に気づける若い者を探しておられる。」
久秀は息を呑んだ。
宗久は、
その反応を確かめるように、
ゆっくりと言葉を続けた。
「久秀。
おまえに、
三好家へ行ってもらいたい。」
その瞬間、
久秀の胸の奥で、
昨日見た町の空気が、
別の形に変わって立ち上がった。
それは、
商人の目でも、
僧の声でも、
武士の姿勢でもない。
──政の場に流れる空気。
宗久は静かに言った。
「人の表情の変化、
声の調子、
立ち居振る舞い。
それらを見て、
何が起きているか察する力がいる。」
久秀は、
ゆっくりと頭を下げた。
胸の奥に、
重さと、
責任と、
まだ名のつかない光が、
同時に灯った。
その光は、
昨日の“外の風”とは違う。
もっと深く、
もっと静かで、
もっと長く続くものだった。
こうして久秀は、
十七歳の春、
初めて“政の場”へ向かうことになった。




