【第10章‑4】武家屋敷の前
寺を離れると、
町の音が少しずつ落ち着き、
道が広くなっていった。
志乃は歩く速度をゆるめ、
久秀の手をそっと握り直した。
「この先は、武家のお屋敷が並んでいます。
静かに歩きましょうね。」
声はいつもより慎重に落ちた。
通りの両側には高い塀が続き、
門の前には槍を持つ武士が立っていた。
久秀は息を浅くした。
門番の武士は前を向いているようで、
目の動きが周囲を細かく追っていた。
肩の位置が高く、
足の向きも一定で、
いつでも動けるように見えた。
「……こわい顔だ。」
久秀がつぶやくと、
志乃はやわらかく首を振った。
「怖いのではなくてね、
とても気を張っているのですよ。」
「気を張る……?」
「ええ。
武士の方々は、
世の中の変わり目にとても敏いのです。
何かが動き始めると、
まず姿勢に出ます。」
久秀はもう一度、
門番の武士を見た。
槍を持つ手は静かだが、
その静けさの奥で、
体の向きがわずかに固まっていた。
「……さっきの商人の目と、
ちょっと似てる。」
久秀が言うと、
志乃はふっと微笑んだ。
「そうですね。
商人の方は“値の風”に、
武士の方は“世の風”に敏いのです。」
久秀はその言葉を受け取り、
通りの様子を見た。
武士の姿勢、
目の鋭さ、
音の少なさ。
それらがひとつに並んでいた。
志乃は久秀の肩に手を置いた。
「久秀。
人の姿勢や歩き方にも、
その人の内側が出るのですよ。」
久秀は前を見た。
門番の線と自分の線が、
道の上で並んで伸びていた。
線は静かで、
その静けさの奥で空気が張っていた。
外の風は、
ただ吹いているだけではなかった。
人の姿勢を変え、
目の向きを変え、
通りの音を変えていた。
志乃は久秀の背を軽く押した。
「さあ、もう少し歩きましょう。」




