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【序章-5】 松永久秀
長慶の時代に、畿内には久しぶりの落ち着きが戻りつつあった。
戦は完全には消えていないが、町には人が集まり、
商いが動き、文化の声が響いている。
京都では、連歌が詠まれた。
堺では、商人が名物を手に取り、値を語り合った。
茶の湯は、武家と町人のあいだを静かにつないでいた。
長慶の治める畿内は、光に包まれたように見えた。
争いの火が弱まり、人々の暮らしに余裕が生まれていた。
若い武将が作り上げたこの季節を、人々は喜んだ。
だが、その光の外側には、別の空気があった。
静かで、重く、誰も気づかない線のような空気だった。
その線の中で、ひとりの男が生まれようとしていた。
名も知られていない。
家も大きくない。
だが、後に畿内を揺らす存在となる男だった。
松永久秀。
この物語の中心に立つ人物である。
長慶の光の季節は、久秀が登場するための準備だった。
名物が政治の道具となり、茶の湯が力の象徴となり、
価値が動けば人が動く時代が整っていた。
その時代の端で、久秀は静かに生まれた。
誰も気づかない場所で、誰にも知られずに。
だが、風だけが知っている。
この線の中から、ひとつの物語が始まることを。




