【第10章‑2】商人の顔
町の入口に近づくと、
空気の音が少し大きくなった。
荷車の軋む音。
布を広げる音。
人の声が重なり、
道の奥まで続いていた。
志乃は歩みをゆるめ、
久秀の肩にそっと手を添えた。
「ここから先は、お店が並んでいますよ。
人が多いから、ゆっくり歩きましょうね。」
声はやわらかく落ちた。
店先では、
布を並べる商人が大きな声を張っていた。
「安いよ、今日は特に安いよ!」
声は明るく、
通りに広がっていた。
志乃は小さく首を傾け、
久秀に言った。
「久秀。まずは、お顔を見てごらんなさい。」
久秀は商人の顔を見た。
口元は大きく開き、
声も強かった。
だが、目の向きが一定ではなく、
左右へ何度も動いていた。
客ではなく、
通りの向こうを見ていた。
「……なんだか、そわそわしてる。」
久秀がつぶやくと、
志乃はやわらかくうなずいた。
「ええ。
声がどんなに明るくても、
落ち着かないときは、
目がああいうふうに動くのですよ。」
久秀が志乃を見上げた。
志乃は空を少し見て、
続けた。
「商いをしている人はね、
風の変わり目にとても敏いのです。
お客さんが減るかもしれない、
値が動くかもしれない……
そんなときは、
どうしても目が忙しくなるの。」
声は説明ではなく、
暮らしの中で覚えたことをそのまま置くような調子だった。
久秀はもう一度、
商人の目を見た。
声と目の調子が違い、
その違いが紙の上の線のように残っていた。
「久秀。
声よりもね、
お顔のほうがずっと正直なのですよ。」
町の音の中で、
その言葉だけが静かに届いた。
久秀は商人の目の動きをもう一度見て、
志乃の後を追った。
外の風はまだ冷たかった。
その冷たさの中で、
通りの音が少しずつ変わっていった。




