【第8章‑1】昼餉前の刻
光が廊下に細い筋をつくっている。
木の面はまだ冷たく、
久秀が裸足で進むたび、ひやりとした感触が足裏に残った。
台所では湯気が静かに立ち上がり、
志乃が味噌汁の味を確かめている。
志乃は鍋の位置を少し動かし、
火を弱めた。
「久秀。廊下を拭き終えたら、庭の桶の水を替えておいてね。」
「はい。」
久秀は、朝に干しておいた雑巾を手に取り、
廊下の端にしゃがんだ。
木の面をこすると、
薄い線が明るくなり、
足音が軽く響くようになった。
宗久は三好家へ出仕している。
屋敷の中は音が少なく、
聞こえるのは志乃の包丁の音と、
雑巾が木をこする音だけだ。
庭に出ると、
土はまだ湿っていて、
久秀が桶を持ち上げると、水が静かに揺れた。
桶の水を捨て、新しい水を汲んだ。
水面が動くたび、光が跳ねた。
台所に戻ると、
志乃が昼餉の膳を並べ始めていた。
箸を揃え、器の位置を少しずつ整える。
その動きは一定で、
台所の空気がゆっくりと締まっていく。
「父上様、もうすぐ戻られますね。」
久秀が言うと、
志乃はうなずいた。
「ええ。昼餉のころには戻られます。」
久秀は膳の前に敷く布を広げ、
皿の位置を確かめた。
朝からの自分の動きが頭に浮かぶ。
廊下を拭き、庭の水を替え、
台所の手伝いをした。
どれも小さな作業だが、
屋敷の中の光の通り方が少しずつ変わっていく。
宗久が戻ったとき、
今日も「助かった」と言ってくれるだろうか。
久秀は布の端を整え、
膳の向きをもう一度見た。
屋敷の中は、昼餉前の静かな空気に包まれている。
その空気のまま、
このあと起こる変化をまだ誰も知らない。




