【第7章‑3】 志乃の教え
鍛錬が終わるころ、
朝の光が台所の土間に入り始めていた。
久秀が戻ると、
志乃は味噌汁の味を確かめていた。
湯気が立ち、
冷えた空気が少し温かくなる。
「おはようございます、母上。」
久秀が頭を下げると、
志乃は振り返り、口元をやわらかくした。
庭から宗久が戻ってきた。
「久秀。
よく見ていたな。」
短い声だったが、
久秀の胸の奥に温度が広がった。
宗久が部屋へ入ると、
志乃は器を並べながら言う。
「久秀。
さきほど、お父上の動きを見ていましたね。」
「はい。」
志乃は器の位置を少しずつ動かした。
置く角度が変わるたび、
食卓の明るさがわずかに変わる。
「人の動きには、そのときの様子が出ます。
強いときも、弱いときも、迷うときも。
よく見ていると分かるようになります。」
久秀は、宗久の足の運びと息の速さを思い返した。
朝の鍛錬では、動きが乱れなかった。
志乃は続ける。
「器も同じです。
置き方が乱れると、食卓が落ち着きません。」
志乃は茶碗をひとつ持ち上げ、
光の入り方を見るように角度を変えた。
その動きはゆっくりで、
見ているだけで呼吸が整っていく。
「こうして並べると、朝がすっきりします。」
久秀は、器の位置が整うだけで
部屋の明るさが変わるのを見た。
堺では気づかなかったことだ。
光の反射ばかり追っていた自分が、
今は志乃の手元の動きに目を向けている。
志乃は久秀の視線に気づき、
やわらかく言った。
「久秀。
あなたはよく見ています。
それは、この家で生きるうえで大切なことですよ。」
久秀は小さくうなずく。
食卓に並んだ器は、
どれも落ち着いた位置に収まっていた。
その並びを見ていると、
胸の奥の温度がゆっくり整っていった。




