【第7章‑1】 武家の朝の空気
天文十六年(1547年)。
夜の色がまだ薄く残るころ、
篠原家の屋敷はゆっくりと明るさを増していった。
堺で聞いた商人の声はなく、
荷車の軋む音も聞こえない。
土壁の外を通る風が、
壁の表面を軽くこすっていく。
遠くで鶏が短く鳴いた。
久秀は薄い光の中で目を開けた。
畳は堺の家よりも粗く、
足裏にざらりとした温度が残る。
土の壁には細いひびが走り、
朝の光でその線がわずかに浮かび上がった。
外に出ると、
庭の松が朝の光を受けて地面に長い形を落としていた。
その形は、堺で見たものよりもはっきりしている。
庭の中央には宗久が立っていた。
木刀を握り、
胸の前でゆっくり息を吐く。
まだ動き始めていないのに、
その立ち方だけで庭の空気が変わったように見えた。
久秀は、地面に落ちた松の形に目を向けた。
宗久の足元の形と重なり、
朝の光で少しずつ伸びていく。
宗久が木刀を上げた。
足を運ぶたび、
地面の形がわずかに動く。
その動きが、庭の砂の色を少し変えていった。
久秀は宗久の体よりも、
地面の形の変化を先に追った。
宗久がふと振り返った。
「久秀。そこを見るのか。」
久秀は小さくうなずく。
宗久は口元をわずかに緩めた。
「形を追えるなら、動きも読める。」
その声は、朝の冷たい空気にまっすぐ届いた。
松の形は、
光が強くなるにつれてゆっくり伸び、
篠原家の一日の始まりを示していた。




