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【第4章‑4】別れの準備

祖母が家族に話をしてから、

十日ほどが過ぎた。

家の中の音は変わらないようでいて、

少しずつ違っていった。

兄たちは帳場で手を動かす時間が増え、

久秀を見る目の動きがわずかに遅くなった。

父は外へ出ることが多くなり、

戻ると帳面を開いたまま長く座っていた。

背中の線がいつもより固く、

肩の位置が低かった。

祖母の部屋には、

興福寺の僧が二度訪れた。

廊下を進む僧の足音は一定で、

その音が家の奥へゆっくり届いた。

文のやり取りが進んでいることを、

家の者は知らぬまま、

家の空気だけが静かに変わっていった。

そして、ある朝。

門の前に、紺の直垂を着た男が立った。

篠原家の使者だった。

家の者が慌ただしく動き、

父が座敷へ案内した。

兄たちは廊下の陰に身を寄せ、

息を小さくして様子を見ていた。

久秀は、少し離れた場所からその光景を見た。

使者の声は低く、落ち着いていた。

「宗久様よりの仰せにて。

 久秀殿をお迎えする日取り、

 来月初めと定まりました。」

その言葉が座敷に落ちた瞬間、

畳の上の暗い部分がわずかに形を変えた。

父は深く頭を下げ、

静かに答えた。

「……よろしくお願いいたします。」

兄たちはその言葉を聞いたまま、

動けずにいた。

肩の位置が少し上がり、

呼吸の速さが変わった。

久秀は胸の奥に小さな波が立つのを感じた。

その波は一定ではなく、

呼吸に合わせて大きさを変えた。

使者が帰ったあと、

祖母が久秀を呼んだ。

部屋に入ると、

祖母は座っていた。

姿は弱っているようでいて、

背筋の線はまっすぐだった。

祖母は小さな木箱を久秀の前に置いた。

「これはね、

 お前が外へ出るときに持っていくものだよ。」

久秀は木箱を見つめた。

蓋の木目は深く、

指で触れればざらつきが残りそうだった。

祖母は微笑んだ。

「中身は、いま見なくていい。

 外の世界で、どうしても迷ったときに開けなさい。」

声は低く、やわらかかった。

久秀はうなずいた。

祖母の言葉が胸の奥へゆっくり沈み、

その温度が広がった。

祖母は続けた。

「久秀。

 外へ出るというのはね、

 家を離れることじゃない。

 自分の流れを持つということだよ。」

部屋の外では、

風が庭の松を押していた。

枝が小さく動き、

その影が障子の紙に薄く映った。

久秀は木箱を抱え、

祖母の前に座り続けた。

家の中の暗い部分が、

光の角度でゆっくり形を変えていくのを感じながら。


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