【第23章‑4】 名物献上
四服が終わり、
茶碗を下げた四郎次郎の手が静かに止まった。
炉の湯がかすかに揺れ、
座敷の空気がゆっくりと沈んでいく。
信長は正客の座に腰を据えたまま、
茶碗の置かれた位置を一度だけ見た。
その視線は短いが、
座敷の全員がその動きを追った。
客衆たちは膝を寄せ、
畳の上に深く頭を下げた。
誰も言葉を発しない。
久秀は扇を膝に置き、
信長の横顔を見た。
その表情は読めない。
だが、座敷の空気はすでに
信長の手の内にあった。
四郎次郎が茶入を一つ、
畳の中央にそっと置いた。
今井宗薫が前に出て、
両手を畳につけた。
「本日の勝負、
信長公の御見事にてございました。
これを、
お納めいただきとうございます」
声は震えていない。
だが、背中の筋が固く張っていた。
信長は茶入を見た。
手を伸ばさず、
ただ視線だけを落とした。
その視線が茶入の肩をなぞり、
蓋の縁を通り、
畳の影へと移った。
町衆たちの呼吸が浅くなる。
久秀は茶入を見て、
胸の奥に冷たいものが落ちるのを感じた。
名物が“価値”ではなく、
“力の証”として動いている。
その変化が、
目の前で形になっていた。
信長の沈黙が、
座敷の中心に重く落ちていた。
やがて信長は、
ゆっくりと右手を膝から離した。
その手が茶入の蓋に触れ、
軽く押した。
「……見事な技であった」
声は低く、
しかし座敷の隅々まで届いた。
町衆たちは一斉に頭を下げた。
畳に額が触れる音が、
小さく重なった。
信長は茶入を手に取り、
蓋をわずかに開けた。
香りを確かめるでもなく、
ただ中を一度見ただけで蓋を閉じた。
その動きに、
町衆たちの肩がわずかに震えた。
久秀は信長の横顔を見つめた。
その表情には、
茶の価値を味わう気配はなかった。
ただ、
“献上されたものを受け取る者”
としての静かな確信だけがあった。
四郎次郎は茶器を下げるために立ち上がり、
炉の湯を一度見た。
湯の表面が静かに揺れ、
その揺れが座敷の空気を映していた。
信長は立ち上がり、
供の武士がすぐに後ろについた。
足音は軽いが、
畳の沈み方が他の誰とも違った。
豪商たちは深く頭を下げたまま、
信長の影が座敷を離れていくのを感じていた。
久秀は扇を閉じ、
静かに息を吐いた。
茶の世界が、
完全に武家の手に渡ったことを
はっきりと悟った。




