【第23章‑3】 四服の勝負
炉の湯が静かに揺れていた。
信長は正客の座に腰を下ろし、
膝に置いた右手をわずかに動かした。
その仕草だけで、座敷の空気がひとつの形に固まった。
四郎次郎は茶碗を取り、
第一服の準備に入った。
久秀は扇を膝に置き、
信長の視線の流れを読み取っている。
町衆たちは息を潜め、
畳の上で膝をわずかに寄せた。
■ 第一服
四郎次郎が茶を点て、
茶碗を信長の前に置いた。
信長は茶碗を手に取り、
縁を軽く回し、
静かに口をつけた。
その所作はゆっくりだが、
座敷の空気を完全に支配していた。
客衆たちは誰も動かない。
信長が茶碗を置く音が、
座敷の中心に落ちた。
久秀はその音を合図のように受け取り、
扇をわずかに動かした。
四郎次郎が次の茶碗を準備する。
■ 第二服
客衆の一人が前に出た。
茶碗を受け取る手がわずかに震えている。
四郎次郎はその震えを見て、
「自然に迷う技」を思い出させるように
茶碗の角度を少し変えた。
客は香りを確かめ、
茶を口に含んだ。
目を閉じ、
しばらく考えるふりをした。
「……これは、先ほどとは……」
言いかけて、言葉を濁した。
迷いを演じるのではなく、
迷いそのものをその場に置くような動きだった。
信長はその様子を横目で見ただけで、
何も言わなかった。
■ 第三服
今度は公家が前に出た。
細い指で茶碗を持ち、
香りを確かめる。
その動きは優雅だが、
どこか落ち着きがなかった。
「……これは、違うように……」
声が小さく揺れた。
四郎次郎はその揺れを見て、
自然に負ける技が座敷に馴染んでいくのを感じた。
久秀は扇を閉じ、
信長の表情をうかがった。
信長はわずかに顎を引き、
次の一服を待っている。
■ 第四服
四郎次郎は名物の茶碗を手に取った。
客衆たちが息をのむ。
茶碗の縁に朝の光がわずかに当たり、
薄い影が畳に落ちた。
信長の視線がその影を追った。
四郎次郎はその視線の動きを読み、
茶を点てる手をわずかに遅くした。
茶碗を信長の前に置くと、
信長はすぐには手を伸ばさなかった。
炉の湯の音だけが座敷に響いた。
やがて信長は茶碗を取り、
一度だけ縁を見た。
そのまま口をつけ、
静かに飲み干した。
茶碗を置く音が、
座敷の中心に落ちた。
客衆たちはその音を聞き、
自然に負ける技が
完全に形になったことを悟った。
久秀は扇を膝に置き、
信長の横顔を見た。
その表情は読めない。
だが、座敷の空気は
すでに信長のものになっていた。
四郎次郎は深く息を吸い、
茶碗を下げた。
勝負は、
何の乱れもなく終わった。




